今日は、仲間たちとの学習会をしました。
そこで今まで題材として使っていた「怠ける権利」という本を貸していただきました。
まだ途中ですが、とても面白いです。このような本を読んでいると、心が落ち着き、元気が出てきます。
この本では、日本の世の中で右向け右の方向に、こう思わされていることに対して
素で異論を唱えているからです。例えば、松下幸之助は日本で経営の神様として崇拝、尊敬されていますが
この本では彼が行い、残した絶大なる負の遺産とそれによる計り知れない犠牲について書かれています。
こういう、空気に反して素で書いている本は、私を元気にさせます。
私も、松下氏がなんでこんなに神様扱いされているのか、全くわからなかったし
建築家のおじちゃんは、「日本を破壊した戦犯」と言ってとても嫌っておられます。
学習会の締めくくりに、どんな社会を望んでいるかをみなで言っていきました。
ある人は、あまりにも生きづらい社会にいるから、どんな社会を望むと聞かれても俄かに答えられず困惑しつつ
「どこどこ(会社)で何(仕事)をしている〇〇です」という肩書がないと人との繋がりが絶たれる社会ではなく
そういうのがなくても、人との繋がりの中にある社会と言われました。
日本では、それがなくなったら即 はみ出し者 落伍者 敗者 としての位置づけになってしまいます。
そういう社会は、成熟の反対の、野蛮な社会だと思います。
野蛮な社会
↑
↓
成熟した社会
フランスでは、「自立」は経済的自立とは関係ないと、フランス居住経験の長い作家が言っていました。
ではどういうのが自立だとされているのか、ぜひ書いて欲しかったけど書かれてはなかったです。(私が読み取れなかったのか)
私は、遠き山に日は落ちての歌詞みたいな暮らしができる社会を望んでいると言いました。
遠き山に 日は落ちて
星は空を ちりばめぬ
きょうの業(わざ)を なし終えて
心軽く 安らえば
風は涼し この夕べ
いざや 楽しき 円居(まどい)せん
この自然な生活が叶わない社会に私たちは、不本意にも置かれています。
私はこの詞のような生活を望んでいるのだから、それに反するものを受け取らないようにと思いました。
知らず知らずのうちに受け入れてしまい、時にはその一過性の蜜の味を喜び、私の望みと反対の社会を支えてしまっていると思います。
その点、建築家のおじちゃんは哲学と自身の生き方が一重に合わさっていて、筋金入りでぶれなくてすごいです。
彼は、自分の望まない社会を支えているものを、一切受け取ろうとしない人です。その嗅覚、見極め力がすごいです。