刺激教 の続き。
「大きな刺激を外から与えられないと満足できない」という考えの刷り込みが、社会においてさかんになされています。
この洗脳は誤っています。ヒトは、外から大きな刺激を与えられずとも、日々の生活の中で自ら大小の刺激を得ることができます。
(関連:静の中から生まれる動 建築家のおじちゃんの美学)
外からわかりやすく与えられる刺激で満足しようとする場合、
ヒトは刺激にすぐに慣れるものだから、際限がなくより強い刺激を求めることになります。
ここまでは前記事で書いたので、続きをここから書きます。
外から与えられずとも自ら刺激を見出す場合はこの逆で、より微細な事柄に対して多くの刺激を受け取るようになります。
こちらの方も際限がなく、それは豊かな方向に際限がないということです。
しかし、大きな声で扇動するあらゆる勢力は、そのことをかき消してきます。自ら刺激を見出し満足されると自らの利益に反するからです。
その勢力は、なにもない 足りない 性能が低い 今のままじゃだめ と思わせる働きかけをしてきます。
新しきは古きに優る とも、自動的な誤った考えを植え付けてきます。でも、そんなことはないです。
古きは新しきに劣らないです。古きに劣る新しきで溢れています。
私はこのブログで、商業的、政治的に声高に扇動されているメッセージの逆のことを言っていきたいと思います。
(関連:不便が便利に勝利する ついていくべき変化なのか ジョン・ラスキン …)
<追伸>
私はかつて、グラフィックデザインを学ぼうとして、間違って、物を売る為の広告の学校に行ってしまいました。
グラフィックデザイン学校だったんだけど… そこで学んだのは、売り手の都合のいいように一方向の考えを人々に
刷り込むことでした。講師たちや学校側はそれを自覚していたか知りませんが。(参照:調和)
また、人の低次元な考えや心理を徹底的に利用し、さらに煽り助長することでした。
「儲けるには、ばかを騙すことが1番手っ取り早い」とは、真実です。
料理スクールのABCクッキングが、都会のおしゃれなビルにテナントを構え、総ガラス張りにしているのには理由があります。
料理を学ぶのに、人がたくさん行き交うおしゃれなビルでガラス張りである必要はありません。簡単に言うと、
リア充気分を満喫させるため、虚栄心を満たすためです。まさにこの戦略に携わったコンサルタントが言ってましたから。
「こんなお洒落な私」を味わいたいのだって。 ガラス張りは、見せる為です。
また広告は、その製品に含まれている有害なものや企業のやっていることや(例えば自然破壊、汚染、伝統文化の破壊、他の産業の犠牲や破壊、脱税、搾取、ハラスメントetc。)から目を逸らしてそれとかけ離れたイメージで覆い隠すことに使われています。