山本太郎氏は、「目的の為には手段を選ばない」人間だと、彼を潰そうとする人達に非難されています。
たしかに、それは間違っていない要素があると私も思います。れいわっていう党名とか。
でも私は、そんな彼を支持します。(参照:教養人と大衆の壁)
なぜなら、世の中の多勢は大衆であり、コロコロやすやすと動かされる人達だからです。教養人は、非常に少数派です。
かれらの気高い言葉は、歴史の中でいつまでも色褪せることなく、輝き続けると思います。
でもその理想に寸分もずれることなく純度100%でやっていても、今のこの世の中を変えることができません。
社会を構成する圧倒的多数は、教養など持ち合わせていない 損得勘定でやすきに流れる大衆だからです。
また、闘っている人の精神的な苦痛の問題があります。例えば私のような、精神疾患を発症して脆弱になっている状態では
更なる苦痛な刺激に耐えられない。闘う人には、強靭な精神力をもって色んな攻撃をはね返す豪傑もいるけれど
これ以上の精神的苦痛にさらされることに耐えられない人達も多くいます。
これらのことから、社会になにかを発信するには、やり方、戦術というのが必要になってきます。
私は濁っているのか…
山の湧水のように澄み切ったPurenessを持った闘士たちの書いた文章を読んでいるとそう思います。
かれらの言葉は、澱みなく、美しく、どこから見ても、澄み渡っている。
今どんなにバカにされてもキチガイと言われても、そのまっすぐな言葉は歴史の中で輝きを失うことなく、後世の人達 教養人からは 正しく評価され尊敬されるでしょう
動物としてのヒトの弱さ、自動的な行動傾向は徹底的に研究されていて、それが政治的・商業的勢力から利用され、かれらの意図通りに動かされています。ヒトは、自らに精神的努力を強いるような行動を、とりたがりません。そんな殊勝な人は、少数派なのです。そんなすごい人達に、私は出会ってきましたが、彼らは極少数派です。
やすきに流れるヒトの性質は、支配勢力から利用され、誘導されて、操縦されています。商品を買わせる為、一方向の価値観を刷り込む為に、ヒトの心理傾向に対応する形で、あらゆる誘導のしかけがなされています。買わせる為に、思い通りに動かす為に、それを阻む障害物、つっかえ、躊躇ファクターを排除してスムーズに誘導します。そんな中で、ヒトに内面的な努力を要する形で動かそうとしても失敗に終わるにきまってる。社会に浸透してしまっている、ヒトを動かすやり方に逆行しています。ヒトはそんなに褒められた人格をもっている人は少数派だから、精神的な努力を要することにまず関わろうとする人は稀で、関わったとしても、続かない。(参照:哀しい摂理)
だから、私は「目的の為なら手段を選ばない」したたかな山本太郎氏を応援しています。
抽象的な文章ですみません。
関連:William Morris as real Socialist Better is the enemy of Good