労働者なのに経営者目線で話す人や管理されてる側なのに管理者きどりで話す人や
市民なのに為政者目線で話す人、患者なのに病院側目線で話す人 自己責任論に精を出す下層に位置する人達 …
現代日本においてはこのような倒錯した行為が頻繁に見られます。(自発的隷従 /エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ)
なぜ、自分の立場をほっぽり出して、あっち側の立場に回って代弁・擁護するのでしょうか。
なぜ自分の権利を放棄することを頼まれもせずに自ら進んでやるのでしょうか。
そんな俺カッコイイ そんな私よく弁えてる みたいな勘違いがうかがえます。
(関連:殆どの人は泣き寝入り?)
こんな倒錯した発言が、普通に大手を振ってまかり通る日本は、重い症状を呈していると思います。
デモや暴動が起きる方が、ずっと明るいし心が健康だしまともだと思います。
日本では、抵抗を示している人達に対して「迷惑をかけている」「自己中」「下品」「暴力だ」「平穏を脅かしている」
などといった的外れな薄っぺらの「モラル」をふりかざして、同じ立場の人達が嘲笑、侮蔑を向けるということが
さかんに行われています。
誰が迷惑をかけていて自己中で下品で暴力を振るっていて平穏を脅かしているかの区別さえつかないのは重症だと思います。
また平和を掲げる人がいつも闘ってる様を、「平和を愛すと言いながらいつも戦闘的で物騒なのはかれらの方だ」などと
とんちんかんな揚げ足取りをしてきます。そうでない状態に対して敢然と闘い続けるのは当たり前のことなのに。
日本では、異常に低級な揚げ足取りが、平然とまかり通っています。モラルの認識が歪んでいる。
恣意的につまみ上げた対象に突如「モラル」を持ち出してくる、「モラルの手段化」がやりたい放題になされている
秩序なき社会です。
だから私はモラルという言葉が、苦手な言葉にさえなっています。秩序という言葉も同じです。
それらの言葉が、モラルも秩序も滅茶苦茶な人達から、それらを本当には大切にしている人達に対して
浅ましくふりかざされ悪用されているからです。
人を苦しめるモラルや秩序は要らない 邪魔でしかないから