人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

瞬間接触

2015年04月17日 | 日記
孫はかわいいけれど

あのエネルギーにはやっぱり

ついていけません。

お嫁さんもいい人だけど

やっぱり

接触は瞬間がいい

「こんにちは」と「さよなら」が

ほとんど同時に

行われるのがよろしい。

一般に人は「さよなら」を言うとき

急に元気になるものです。

でれでれと食事に招かれたり

お茶しないほうがよろしい。

息子が間にいれば大丈夫だけれど

嫁と姑が「二人」の時間は・・・・

「嫁」は話題もないから

子どもたちを叱り飛ばしてばかり

間が持たないってことを

姑が察知すぺきでありましょう。

そう、孫のための特別お手伝いがある間は

接触してよろしい。が、

終わったらすぐ「さよなら」を言いましょう。

なんて言ってるけれど、365日ずっと

同居の嫁姑はどうなっているんだろう。

昔「イエ」という制度があったころ、

「ヨメ」はどんな心境にあったのだろう。

「シュウトメ」は疎外感はなかったのかな。

近頃、老いたる女性で「姑」でもある人は

疎外感との戦いを常としなきゃなりません。

そんなことは全然ありません、うちは

なにしろ、仲よく円満この上ない

「同居家族」でございます、と

いう人もいるかもしれない

けれど、そんな人にこう言おう、

「おめでとう!!」

皮肉ではなく、心から言うよ

「おめでとう」って。

ただ、心がふっと己を省みて

さみしさを味わう老女に

そっと寄り添いたい・・・・

すまじきものは

2015年04月05日 | 日記
姑が嫁にすまじきものは

批判・愚痴・息子へのそれら。

嫁が姑にすまじきものは

夫へのそれら。

夫が妻にすまじきものは

妻の容貌の衰えを口にすること

せんなきことではあるまいか。

親が子どもにすまじきものは

兄弟姉妹の比較

担任教師の批判

勉強の強制

子どもが親にすまじきものは・・・

と言ったところで

子どもにはできまい。

反抗は当然だし

反抗しつつ成長もするし・・・

先生が生徒にすまじきものは

「不誠実」の一語。

「体罰」にあらず。
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ーーー注「すまじきもの」とは、「してはならないこと」という意味ーー


タンポポを見よ

2015年04月04日 | 日記
タンポポを見よ

精一杯咲いて

時が満ちると

地にひれ伏して

死んだようになる

次の世代へバトンを渡す

自然の掟

やがて花は枯れ

また時がきて

蓬髪の綿毛となって

すっくと背を伸ばし

青空に向かってタネを播く

さようなら

愛しい子どもたちよ

タンポポのように

私もまた

最後の背伸びをして

おお、あの空に

やわらかな綿毛をそっと

吹き送りたい


何に縋って

2015年04月02日 | 日記
老人老女たちは

何に縋(スガ)って生きているんだろう

ある人は信仰、とそのグループ

ある人は趣味、とそのグループ

ある人はボランティア、とそのグループ

ある人は・・・

と、ここまで考えて自省する。

私、息子や孫に縋っているんじゃないかな、と。

あと何日で息子に会える、

何月何日は孫の入学式、

その日のあるために今日を意味あるもののごとく

生きているのではないかな。

そう、自省したのです。

ふだん、なにかの「グループ」に縋ることなく

「見かけだおしの孤高」みたいな生き方してるけど

結局はこどもたち、孫たちに

すがっているのではないかな。

じゃあどう生きるの。

わからなくなって

今日は庭の桜をデジカメで撮って

息子たちに写メしたら

息子たちからもすぐ返信

とっても短かったけれど。

一人は奥さんと子どもたちと奥さんのお母さんと

にこにこ笑った写真だった。

なんだか

自分がやっと

彼らに縋っていないと

思った。

なんだか、桜の下で

そんな気がした。








台湾にて

2015年04月01日 | 旅行
ついに

台湾に行った

かつて日本の統治時代の光と影が

八十歳以上の人に色濃く

刻まれている国

そう、立派な「国」であって「島」ではない

そこで

私は見た

日本の新聞を読みふけっている

台湾の老人・・・・

なぜかいきなり

落涙してしまった

日本が失ってしまったものを

しっかり保っていてくれる人たちが

ここ台湾にはまだいるのです

美しい日本語と

美しい精神を保って

今の日本の情けない姿を見つめて

嘆いているであろう人たちが・・・

心優しく

地下鉄ではすぐに席を立って

ゆずってくれる人たち

台湾で

私は泣きました。