福島紀行 藤田城趾
ここは、
文治5年(1189)の阿津賀志山合戦において源頼朝が鎌倉勢の本陣を敷いた場所であるとの伝承が残っている。
室町時代に入ると城主は藤田氏になったものと思われる。藤田氏は伊達氏の有力な家臣であったが、元和8年(1622)、藤田氏は伊達政宗の時代において、陸奥国江刺郡の岩谷堂城の城代となるが、延宝6年(1678)に藤田氏は罪に問われて断絶した、という記録があるようです。
ここは、
文治5年(1189)の阿津賀志山合戦において源頼朝が鎌倉勢の本陣を敷いた場所であるとの伝承が残っている。
室町時代に入ると城主は藤田氏になったものと思われる。藤田氏は伊達氏の有力な家臣であったが、元和8年(1622)、藤田氏は伊達政宗の時代において、陸奥国江刺郡の岩谷堂城の城代となるが、延宝6年(1678)に藤田氏は罪に問われて断絶した、という記録があるようです。