萩尾望都先生はまだご存命なのでしょうか?
萩尾望都先生の作品を始めて目にしたのは忘れもしない小学生のとき
近所にすんでいた上級生の子が引っ越しをすることになり、整理した漫画の中から何冊かいただいたたわけなのですが
その中に「百億の昼と千億の夜」の下巻が含まれていたのでした
言うまでもなく「百億の昼と千億の夜」は光瀬龍作のSF小説で、私が手にしたのは萩尾もと先生によりコミカライズされた漫画です
まだ子供の私には内容が少々難しく、すぐには理解できませんでしたが
可愛らしくも凛々しい少女・阿修羅王の立ち居振舞いや
お釈迦様がサイボーグに改造されて手からビームが出たりすることや
イエス・キリストが小者感あふれる悪の手先といった役柄で登場してきたりするところなど
難解ながらも斬新で印象的な設定に心を奪われ、幾度となく読み返したものでした
5/8になったら
コロナが急に無くなるわけでも
急に弱毒化するわけでも
急に感染力が下がるわけでも
ないからね
自宅待機もなくなって
街に陽性者があふれる
感染するリスクはむしろ高まる
気を付けな
気を付けな
あかあかや
あかあかあ
かやあかあ
かやあかあ
かあかやあ
かあかや月
これは明恵(みょうえ)上人という方の作った歌だそうです
なんで575で切らんのかい!とも思いますが
先日、湯ヶ野温泉の福田家旅館さんで泊まったお部屋の壁に飾られていました
これをこの字数で区切って書いた人の着想もユニークですが
(写真を撮るのは忘れた(^_^;)
はじめは何て書いてあるんだろうと不思議に思いましたが
声に出して読んでみると
ああ短歌なのかとすぐにわかりました
月の明るいことを読んだものかと思いますが
なんともほがらかで素直な感性を感じる作でした
しかし一見、子供が作ったとも思えるこの歌ですが、よく見ると細かい工夫がちりばめられています
例えば、「あかあか」は普通の表現ですがそれを誇張して「あかあかあか」とあかを3つ並べたところとか
あかあかやをすべて平仮名で書いておいて最後の月だけを漢字で記すことによって読む者の意識を月にクローズアップさせているところとか
あかあかを繰り返して、月の登場を引っ張って引っ張って、何があかあかなのかなかなか読む者に明かさなず焦らしているところとか
一度見ればすぐに覚えられるくらいシンプルな歌なのに、無心に明月に見惚れる明恵上人の感動がそのまま伝わってくるような見事な歌でもあると言えます
さらに、これは最後の一文字を変えたり、あかあかを別な語にすげ替えたりすると無数のバリエーションを産み出すことができるのです
まねして一首
なんなんや
なんなんなんや
なんなんや
なんなんなんや
なんなんや君
お粗末(^_^;)
北千住の名店、秋田料理まさきが閉店していた
調べてみると3/31日で営業を終了していたとのこと
知らなかった
コロナになってからちょっと足が遠のいていたこともあって、今月はまだ行ってなかった
足立区に住み始めて以来の行きつけのお店だった
またひとつ行きつけのお店が閉店してしまった
お給料が入ったらまさきで飲むのが楽しみだった
ちょっと疲れたときには自分へのごほうびでまさきに行った
すべて料理が美味しかった
帆立と千住ネギのかき揚げやはんぺんチーズあげ(メニューから無くなってしまったが)が大好きだった
鰹の刺身があったら必ず注文した
ぎばさもほぼ毎回注文した
初期の頃は焼おにぎりになめこの味噌汁で、後には冬はきりたんぽ鍋、夏は稲庭うどん冷麺で締めていた(稲庭うどん冷麺は晩年にメニューから無くなってしまったが)
唐辛子味噌をつけて食べる水ナスもうまかった
しょっつる鍋は1度しか頼んだことがなかった
美味しかったけど、きりたんぽ鍋がもっと美味しかったからだ
松茸の土瓶蒸しも好きだった
磯つぶ貝の煮付けも好きだった
舞茸と姫筍の天ぷらもよく食べた
何よりも秋田の酒をよく飲んだ
新政も雪の茅舎も阿櫻も一白水成も秋田の酒はみんなうまかった
職場の仲の良い人も何度か連れていった
帰国前の技能実習生も連れていった
yが妹を連れてきたときも連れていった
弟が東京に来たときも連れていった
相方と何度も通った
私が一人で行ったのはコロナのとき、緊急事態宣言が明けて一度だけ行った
ずっと北千住に在って欲しいお店だった
今日、お店の入っているビルの前を通ったら、いつもあった大きな看板がなくて、見上げると窓に飾られていたなまはげの絵もなくなっていた
内装が取り払われてがらんとしているのが見えた
盃ブリュワーでビールを飲みながら私は動揺していた
これが閉店ではなく、リニューアルならいい
そんなことも考えていたが
どこかで覚悟もしていた
でもこんな終わりは予想していなかった
最後に食事して、店長さんにお別れを言って終わりたかった
仕方ないことかもしれないけど
さびしかった
今はただ、さびしい
閉店の理由は定かではないが、板場を取り仕切っていたお父さんがもうだいぶご高齢だったからだろう
昨日、お店の入っているビルの前を通ったら、いつもあった大きな看板がなくて、見上げると窓に飾られていたなまはげの絵もなくなっていた
内装が取り払われてがらんとしているのが見えた
盃ブリュワーでビールを飲みながら私は動揺していた
これが閉店ではなく、リニューアルならいい
そんなことも考えていたが
どこかで覚悟もしていた
でもこんな終わりは予想していなかった
最後に食事して、店長さんにお別れを言って終わりたかった
仕方ないことかもしれないけど
さびしかった
今はただ、さびしい
「あなたの判断は全部間違ってるんだから!」
奥鬼怒に行くバスのなか、前の席に座った夫婦の奥さんが旦那さんに放った言葉
他人の面前で旦那さんを罵倒するのもどうかなと思ったけど
言われる旦那さんは何も言い返さず
その胸中を察するに
「ああそうだよ、おれば結婚する相手を選ぶのにも間違ってたさ」
そのご夫婦の様子を見ながら私が思ったのは
ああ、この人は奥さんを選ぶのにも確かに判断を間違ってたなあ
ということだ
そして
「俺が間違わなかったことがひとつだけある!
お前を妻に選んだことだ!」
くらい言えればいいのに、と思った