Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

くずかご

2010-09-11 20:25:13 | つぶやき
 JTのマナー広告に「自転車のかごにポイ捨てをした。くずかごにした。」というものがあって、電車内や駅構内でよく見かける。くず「かご」のかごがちまたにはなくなって、この標語を考える際に代わる「かご」といえば自転車のかごが浮かんだのだろう。ちまたのゴミを捨てる場所として自転車のかごはかなりマイナーなものだろう。捨てようとする人がそこを選択するかといえば、これは空間によって異なるのだろうが、あまり地方では浮かんでこない場所だ。確かに放置された自転車も多いが、そこにある自転車のかごに物が入っている光景はみない。ただし、これは条件によって異なるのだろう。都会のように人通りが多い空間だったら、もし捨てようとすればどこかと考えると、手元からさほど遠くない高さにある自転車のかごは人には感づかれない場所なのかもしれない。誰が見ているわけでもないのに、罪悪感が少しでもよぎると、人には感付かれない方法というものを考える。だから罪悪感など微塵もなければ、たまたまそこに自転車があれば別だが、わざわざ選択してそこに捨てることなどしないはず。

 この広告を初めて見たときには深くも考えなかったが、同じものを何度もポカンと見ているうちにこの標語に揺り動かされる人はほとんど皆無だろうが、とすればこの広告のターゲットとは誰なのだろう、などと少し考えるようになった。JTの標語式広告はよく見ないと理解できないものもある。標語はその場ですぐに理解できるタイプのものばかりではない。具体的な言葉の羅列とはずいぶん違うのである。いわゆるそこから芸術性を感じるのならともかく、そこから「自分のことを言っている」と察知する人はあまりいないだろう。とすれば前段に立ち返ると、この標語は、自転車のかごをくずかご代わりにしようとする人、そして少しばかり罪悪感を持ってその行為に至ろうとしているごく限られた人への忠告ということになる。もちろん広告はそれだけのものではないことは事実。広告をする側のその行為への対応を行っているという実績作り、あるいはそのような行為をするには遠く及ばない人にも、常識とはこうだという再確認の意味もある。ちなみにJTのマナーグラフィックギャラリーには「「○○はやめましょう」という広告ではなく、お客様が身近に感じられる、日々よくある場面を登場させ、お客様自身が、マナーのことに気づき、考える広告としました。」という説明がある。そもそもタバコのマナーではないものも掲載しているから、ここにタバコはマナー全般の中枢にあるということが言えるかもしれない。

 ちまたからくずかごなるものが消えてもうしばらくたつ。まったく無くなったというわけではないが、公共の場からはすっかり消えてしまった感がある。一時はそれを探して歩き回ったものだが、今では人々の感覚から「くずかご」という存在は消えようとしている。いまだそれを完全に消し去り切らないのは、コンビニのくずかごと高速道路のくずかごの存在だろう。相変わらず家庭ごみのようなものが入れられることも少なくないのだろうが、それでも一時の姿は見られなくなった。もちろんわたしが朝方のそんなくずかごのある空間を目の当たりにしていないということもあるだろうが、人に感づかれない行為の時代を超えた意識は「闇」であることに違いはない。

 予断だが10月から一般的なタバコは400円時代を迎える。いずれもっと高くなるのだろうが、すでにマナーの中枢からタバコは消えたと言っても差し支えないかもしれない。

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