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水路脇にあった「上人塚」

2024-12-13 23:18:10 | 西天竜

塩ノ井「上人塚」(背後の山は経ヶ岳 令和6年12月13日)

 

 南箕輪村塩ノ井の現場を歩いていて、水路の脇に「上人塚」なるものがあることに気がついた。西天竜エリアはくまなく歩いているが、これまで気がつかなかった。気がついた理由は、畑の中に小さな石仏がぽつんと建っていたから「何だろう」と近寄ったことで分かった。「上人塚跡」という標柱があって「元禄年中村人を疫病より救った雲水を祀る野仏あり」と記載されている。ネット上で検索してみると昭和54年に発行された『南箕輪の史跡』という本がPDFで公開されていた。そこに塩ノ井の上人塚について、次のように記されている。

 塩ノ井神社の西南百メートルほどの田地の一隈に上人塚と称する地があり、小さな野仏が祀られている。野仏表面に碑文「元禄年中 上人」と刻まれている。
 伝承もまちまちになり散逸しているが、一説によると元禄年間(1688~1703)村ら疾病がはやって村人が難儀をしていた折、通りかかった雲水が近くに深い穴を掘って中に座し、鈴をうちならしながら疾よけの折りを行なったという。九十九ケ日目の雪の降った厳寒の朝、鈴音がと絶えているのに気づいた村人が穴にはいってみると雲水祈祷の姿勢のまま果てており、仮埋葬の後も雪の降る寒い朝にはどこからともなく鈴音が聞こえてきたという。やがて雲水の祈祷の霊験の故にか疾病はすっかりおさまり、村人たちは雲水の霊をとぶらうために苦しい生活の中から浄財を出しあって小さな野仏を建てたというのである。鈴・穴中の祈祷の影から雲水とは修験者のことと思われる。

 同書には写真が掲載されていて、見づらいが丘の上に石仏がぽつんと建てられている姿が写っている。「昭和初期」と写真には書かれているから、今の姿ではない。現在は平らな畑の真ん中に石仏は建っている。この一帯は段丘を上ったあたりで昭和に入ってから開田されたエリア。ようは開田以前の写真なのだろう。石仏は舟形光背のもので、光背に「元禄年中」と向かって右に、左に「上人」と刻まれていて、お地蔵さん風である。脇を西天竜の支線用水路が流れている。南箕輪村では伝説を10冊の絵本にしており、その解説編として動画が配信されている。その中に上人塚をあつかったものがある。

 

【素顔がいいね みなみみのわ】 みなみみのわのむかしばなし 本編2~上人塚・目の神様・霊松一本木~

 

みなみみのわのむかしばなし『上人塚』


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