昨年末のことだと思う。いつも通り、会費を郵便振替で納入した。ところが年が明けてから納入先が違うということで、返金された。受け取るにも再度送信するのにも面倒が発生し、さらに最初の送信料は無駄となった。もう何十年も会員となっている会だったので、「何故」と思ったわけだが、送金先が変わっていたわけだ。全国に3誌しかないという地方研究会の月刊誌のうちの一つ、『伊那』のことである。ようは伊那史学会の会費を納入したわけだが、伊那史学会は長年事務局であった原田氏が担えなくなって印刷元の南信州新聞社に事務局が変わっていた。本日届いた来年1月号の封書の表書きは「伊那史学会」と表示されていたが、数か月前は一時「南信州新聞社」と印刷されていたように記憶する。その際に「伊那史学会はなくなったのか」と思ったのだが、すぐに「伊那史学会」に印刷表示が変わった。さすがにこれでは南信州新聞社が発行しているように見えたから、苦情があったのかどうか…。編集は現在も伊那史学会の役員がされているようだが、発送は伊那史学会ではなく新聞社の方で行っているのかどうか。いずれにしても「発行人」が南信州新聞社社長だから、もはや伊那史学会発行ではないのである『伊那』は…。かつては何千部と発行されていた『伊那』も危ういのだろうと想像する。
先日も『信濃』の編集をされている方から大変な状況だということを耳にした。そもそも毎月の12冊発行して、会員に送付するという手間はもちろんだが、会費だけでそれを賄っていくのは大変な事だ。とりわけこういった会は会員数が減っている。高齢の方が亡くなっていくばかりで、新しい会員は少ないだろう。『伊那』では会員を紹介した方には1000円分のギフト券をプレゼントすると広告を掲載している。それでも新たな会員が入るかどうか…。結局伊那史学会は新聞社に委ねてしまったから、会員が自ら印刷発行している月刊誌は二つだけになったということになる。
かつてに比べるとこうした研究誌も内容が希薄になっているものが少なくない。あるいは発行数が減っている。『あしなか』も財政的には大変だということが、数年前から編集後記でよく目にする。年間の発行数も減ったし、ページ数も減った。内容が希薄になったと思うのは『日本の石仏』だ。入会したころの雑誌に比べたら情報量は少ないし、内容も今一つだ。その割に紙質が厚く、こんなところにお金をかけなくても良いのに、と思うがわたし的には終活で真っ先に整理させてもらうことになりそうな雑誌である。『まつり』や『まつり通信』も年間発行数がすっかり減ったし、同じような傾向はどこの会にも見られる。当面注目されるのは、月刊誌3誌のどこが最初に月刊誌から撤退するか、だろうか。残念ではあるが、印刷物が売れないこと、そして若者が本を読まないこと、などなど、もはや研究雑誌は風前の灯火ということ、である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます