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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

年賀状じまい 前編

2024-12-04 23:46:05 | ひとから学ぶ

 「喪中につき年頭のご挨拶はご遠慮させていただきます」、いわゆる年賀状を喪中のため出しませんよ、と告知するためのハガキ。今年は例年以上に多かった。そしてその中にも付け加えて「誠に勝手ながら来年より年賀状じまいをさせていただきます」と記述されているものがあった。世間では新年の年過剰は3割減といっている。当り前だろう、年賀状離れが以前から進んでいるし、この10月からの郵便代の値上げである。形骸化していると思う人たちには、これ幸いと年賀状を出さない口実にしている。

 以前から「年賀状じまい」を告知する年賀状は届いていた。しかし、高齢の方からそうした年賀状を頂いたものだが、最近は高齢の方ではない方からもそうした年賀状がちらほらし始めた。そして今回の喪中のハガキでの年賀状じまいの告知。そもそもこのハガキをいただいた方と、ふだん会うことはない。遠いところに住んでいるわけではないが、会うことはない。接点がないのだから当たり前かもしれないが、昔からの縁だからわたしが退職の区切りとして発行した本も贈呈した。とはいえ前述したように年賀状だけ、ようは1年に一度の接点だった。それを拒絶するような年賀状じまいには、こちらとしては気分はあまり良好ではない。もちろんその方は高齢ではなく、わたしよりも「若い」。年賀状に対して、それほどこだわっているわけではないが、ただの一度の接点すら断とうとされると、少し違和感が湧く。自分の年齢、そして相手の年齢も考慮するうえで、さらに接点を見いだしていったとき、おそらくもう会うこともないのかもしれない。とはいえ、どこかで偶然会う可能性が全くないわけでもない。にもかかわらず、一時でも親しく仕事をさせてもらったこと、また悩みを聞いたこと、などなどから追憶すれば、年下からこのような断りを告知するのはどうか、とも思う。繰り返すが年賀状にこだわっているわけではないが…。

続く


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