安曇野市明科の塩川原は、犀川左岸にある集落である。国道19号から穂高へ向かう際には、よく通る集落であるが、北隣の萩原はオフネを引く祭りがあって訪れたこともあり認識していたものの、塩川原については萩原の一部ではないかという程度に考えていた。国道19号を利用して長野との行き来をよくするわたしにとって、木戸橋の西側からすぐに左折して段丘を上る道もときおり利用していた。その道沿いが塩川原であったことを、今日あらためて知ったところ。その道沿いに「塩川原農業研修センター」という看板の建物がある。この地区の集会施設であるが、道を挟んだ左手の下ったところに高根神社がある。集会施設の敷地内の道端に小さなお堂がある。覗くと本尊らしきものはないものの、古くなった数珠と塔婆が何枚も納められている。「何のお堂なのだろう」と思うわけであるが、聞くと本尊は盗まれてしまったようで、それもだいぶ前に盗まれたようで、どのような本尊があったのか定かではなかった。
さて、この納められている塔婆であるが、数えると16枚ある。加えて角柱型の塔婆らしきものが1本。最も手前にある塔婆を見てみると前面に「奉 天下泰平 五穀豊穣 養蚕大当 無病息災 交通安全 修寒念佛供養塔婆 塩川原子供達 令和六年一月祥日」とある。現在も寒念仏が実施されていることがわかる。情報もなかったため、地元で聞いてみたわけであるが、子ども達によって1月に実施されている行事で昔から行われていたよう。集落内を南から北へ向かって鉦を叩いて念仏を唱えて回るようだが、家々を回るわけではなく、集落内の道を木戸ごとに回るのだと言う。現在は薄い板状の塔婆が納められているが、1本だけ残されているかつての塔柱を見てみると次のように墨で書かれている。
奉修寒念仏供養塔婆
天下泰平 五穀豊穣 養蚕大当
無病息災 交通安全
昭和五十七年一月祥日 塩川原子供達
と4面に書かれている。基本的に現在のものと書かれていることは同じ。この塔婆を持って集落内を回っていたものと思われるが、子ども達が減って現在のような薄い塔婆に変更されたのだろう。
この寒念仏については認識がなかったわけであるが、『明科町誌』にも記載がない。例えば年中行事の一月の項に何もなければ、「講」を扱った箇所にも一覧表が記載されているが、「念仏」の項の塩川原は空白である。また個別に扱った「各講の解説」にも塩川原は登場しないし、そもそも寒念仏らしきものも見られない。念仏塔が多いこの地域だけに、念仏については少し調べてみる必要性があると感じた。堂内にある古びた数珠について、昭和19年生まれの男性に聞いたが、これを利用した記憶がないという。したがって現在は使われていないが、過去についても寒念仏で利用されたかどうかははっきりしない。いずれにしても、実情を把握するために、実際の行事を訪れてみるしかない。
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