安曇野市三郷二木地蔵堂横「大乗妙典納経塔」
三柱神社、白山社 風神祭
安曇野市三郷南小倉「カスミザクラ」
安曇野市三郷南小倉(室山西側)
今日、安曇野市の旧三郷村の明盛と小倉を訪ねた。その中でわたし的に印象に強く残ったものを取り上げておく。
まず二木の地蔵堂の横にあった石碑群のうち、写真の雨よけの屋根をいただいている大乗妙典納経塔である。何に効果があるのかは定かではないが、台となっている竿の上におそらく地蔵尊が安置されているものと思う。そのお顔を拝顔しようと試みたが、不可能だった。よくお地蔵さんに前垂れが掛けられていれば、それを外して撮影することはよくあるのだが、この尊像には前垂れどころか頭から布が被せられていて、全く様子がうかがえない。さらにその布が1枚や2枚ではない。10枚以上かもっとたくさんかもしれないが、尊像を隠すように巻かれている。とてもこれらを1枚ずつ剥がしていくつもりにはなれなかった。ようは元通りに戻せない可能性がある。顔だけ出していればともかく、完全に前進覆われてしまっていて、触るとボコボコのパンパンなのである。なかなかこのような尊像に出会ったことはない。
次は同じ二木にある三柱神社と北小倉にある白山社の、いずれも風神祭の祈願札である。安曇野市内でこれまで何人かに聞いてきて思ったのは、このあたりではどこの神社でも風神祭(ふうじんさい)を行っている。『三郷村誌』の神社の項の説明では、三柱神社の風神祭は8月29日、白山社の風神祭は8月9日とあるが、おそらく両社とも現在は同じころに実施されていると思われる。宮司印が同じことから、お札を刷ったのは同じ人かもしれない。そして飾り方もほぼ同じである。やはり宮司によるところが大きいという印象だ。
南小倉のカスミザクラは、花が咲いているわけではないのに、ずいぶん目立つ桜の木である。旧泉光寺の門前のあたりにあったと言われる桜で、目通り2.5メートルの桜の木という。この南小倉の一帯は、室山という独立した山の西側に展開していて、このあたりには珍しく広い水田地帯であった。そもそも三郷の中心である二木や長尾といったエリアには水田が多いが、その上段は江戸時代官林だったため、人々は立ち入れなかった空間だという。その官林が南北にあった、その西の山の麓に小倉の集落がある。官林が開拓されて現在は中信平左岸の水を配して果樹園地帯になっていて、これより上には水田が少ないのだが、室山の西側にはまとまって水田があった。ところが今はこの一帯に稲の姿は全くない。全て転作されていて、水田となっている田んぼが1枚も無いのだ。これほど徹底されて転作されているのは珍しいかもしれない。そもそも集落の周辺に水田がないとなると、このあたりの人たちは米を作っていないということになる。北小倉の集落の北側あたりに水田が少し見えるが、本当に水田が無いエリア。小倉の人々は、もともと水田が少なかったため、堀金のあたりに水田を持っていて、そこまで耕作に行っていたという。もちろん今でもそういう人はいるのかもしれないが、集落周辺に水田が乏しいという姿はここの特徴である。
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