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飯山市桑名川名立神社例祭へ⑥

2024-09-25 23:30:35 | 民俗学

飯山市桑名川名立神社例祭へ⑤より

 

桑名川名立神社「サイトロメン」(9月1日午前零時過ぎ~午前零時45分)

 

最後に祭典掛長の挨拶があり、一切終了となる

 

 桑名川の祭りは飯山市指定の無形民俗文化財となっている。概要説明には「伝統芸能として、獅子舞・天狗舞・薙刀舞・みおまい・剣の舞・さいとり舞と数多くの舞いが受け継がれている。特に剣の舞は稀少な舞いとして貴重。「とうろうづれ」はなくなっているが、前日から当日の所作は、古式にのっとり行われている。」(八十二文化財団の「信州の文化財を探す」より)と書かれている。指定された際の主旨かどうかは不明だが、そもそもこういうスタイルで指定されている例は少ない。何を言いたいかというと、民俗芸能として指定されているのだろうが、その種別は何かというと、はっきりしない。全体を指定しているとすれば「風流」なのだろうか。あるいは国の重要無形民俗文化財の「雨宮の御神事の芸能」を例にとれば「その他」なのかもしれない。ようは芸能の種別で区分けできないということになるのだろう。部分部分では区別できるのだろうが、総合的な民俗芸能だからあえて区分けしていないということになる。なるほど「その他」であれば多様なものはすべて括られる。桑名川の祭りは主たる芸能は獅子舞になるのだろうが、そこに加わっている舞を括って指定するとなると多様性がある。したがって「その他」にすれば何でもありというわけである。ただここに記されている説明では「とうろうづれはなくなっている」となっていて、必ずしも正しくない。

 さて、祭りの最後は地元の人たちも「余興」と言う「さいとろめん」である。いわゆるサイトリサシである。サイトリサシについては、今年4月に旧四賀村錦部の殿野入春日神社で行われた例祭の「とりさし」について記している。サイトリサシについては浦山佳恵氏によって全国での実施状況も踏まえて『長野県民俗の会会報』42号において「飯山市西大滝のサイトロメン」と題した報告がされている。全国の事例は16例紹介されており、著名なものは殿野入の記事でも紹介したとおり、鳥取県のものが知られるが、実施例からいくと長野県は全国の中では多く残存している。かつてはどこにでもあった舞なのだろうが、今や貴重なものとなっている。とりわけ飯山下水内地域で8例あげられていて(1例は野澤温泉村だから下高井ではあるが)、集中地域とも言える。その多くは桑名川同様に獅子舞や天狗の舞がセットで行われていて、奥信濃独特な芸能と言える。

 桑名川のサイトロメンは大人の男性によって舞われており、舞いというよりは余興と言うように面白おかしく観衆とやりとりをする「芸」と言った方がよいかもしれない。殿野入のものは舞と言えたかもしれないが、ここのものは舞らしい舞はない。ただ、花笠で鳥を押さえようとして、最後は鳥を逃がしてしまう、というトリサシ舞の共通の流れは押さえていて、まさにサイトリサシであることはうかがえる。桑名川の場合前述したように観衆とのやり取りによって成り立つ。したがって観衆のヤジが入ることで、場が盛り上がるわけでこのキャッチボールがないと独り相撲となってしまう。最初に登場する一人によって進められるが、途中からもう二人登場し、怪しげなしぐさをする。そうこうしているうちに花笠の中に仕留めた鳥を(実際は架空の鳥)逃がしてしまうわけである。

一つひよどり
二つふくろう
三つみみずく
四つよたか
五ついじくない
六つむくどり
七つなぎさぎ
八つ山鳥
九つ小鳥
十が戸隠山へ逃げた鳥

と語って逃がしてしまう。斎藤武雄氏は『奥信濃の祭り考』(昭和57年 信濃毎日新聞社)の中で「正月行事の子どもが行う鳥追いの予祝的な鳥害の防除祈願に対して、秋の収穫に対する直接的な呪術的な要素を盛った内容のものであると見てよい」と述べている。いずれにしても剣の舞も特別であるが、サイトロメンも余興とはいえ今では希少なものとなっており、トータルに見ても奥信濃らしい総合民俗芸能と言えるのだろう。

終わり


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