地域というよりは、集落ごと考え方は大きく異なるとつくづく感じるのは、やはり「つきあい」からである。同僚のそれぞれの地域のことを聞いていると、自分の関わっている地域とはずいぶん雰囲気が違うことに気づく。先ごろも流行りの「家族葬」のことが話題になった。ある同僚は、自分の集落でも家族葬で葬儀をした家があったという。ところが居づらくなって、よそへ行ってしまったとか。その集落はつきあいがとても親密で、行事のたびに飲み会があるようだ。義理を集落内全てで親密に行うほどつきあいが深いと、それを敬遠する側にとってみれば、「やりにくい」と思うこともあるだろうし、誰もが同じ方向で理解できるというものでもない。それでも「仲が良いんだ」と思うことはあり、異端をはじくような雰囲気は、もし異端者が生まれた時に問題となる。みなが同調している間は、なん問題もないし、また一人くらいそうした人が出ても、当人が居づらくなってよそへ行ってしまう、ということになる。同僚に言わせると、家族葬などさうした地域では「もってのほか」となるのかもしれない。
家族葬と銘打っても、現実的にはまだまだ受け入れられない雰囲気が強い地域もあるようだ。
ある地域では、新盆の家の一覧が盆近くになると配布されるという。具体的な方法は聞かなかったが、回覧のようなもので広報され、新盆見舞いが必要と思う人たちに告知するというのだ。その一覧に家族葬を行った家も掲載されるという。もちろん、掲載の可否については当事者に確認しているというので、家族葬を行った当事者も了解の上だという。すると、新盆見舞いだけ持参して見舞いには行けないといって、香典も包んで行くのだという。この話をされた方は、「そのくらいなら家族葬などやるものじゃない」と言われる。あるいは「家族葬をしたのなら新盆だと公言するようなことは控えるべきだ」とも。家族葬の過渡期の現象なのかもしれないが、地域によって意識差があることは事実。
こんな話も聞いた。南箕輪村大泉では、葬儀の際には会葬せず、葬儀後に葬家を訪れ香典を渡すのだという。葬儀が終わってもそうした人々を迎えなくてはならず、葬家は大変だという。これは大泉だけの習俗だといい、その理由は日中は仕事をしているためそれを優先してのことだという。「大泉の人たちはよく働く」、そう言われている。
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