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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「四徳鉱泉罹災記」中編-『伊那路』を読み返して㉘

2020-02-03 23:29:41 | 地域から学ぶ

「四徳鉱泉罹災記」前編-『伊那路』を読み返して㉗より

 引き続き、昭和36年9月号の『伊那路』に当時四徳にあった四徳鉱泉の娘さんだった小松礼子さんが寄稿した「四徳鉱泉罹災記」から、その状況を実感してみよう。

 家の中は危ないというので怪我をした父をつれて裏山へ避難することにした。頭と顔に大きな負傷をした父を風呂場で手当をしたが、出血は激しく、顔色は青黒くなり見るも無惨である。とりあへず毛布を三枚もって裏山へ登ることにした。不思議なことに電燈はついてないし真暗闇であるのに、私にはこれまでのことがよく見えていた。しかし途中まで行くと真暗になり何も見えなくなった。道らしい道もない急な山を父をつれて登るのは大変であった。押したり引いたりすべったりしてようやく松の大木の下に毛布をしいてその上に父を寝かすことができた。出血は依然止まりそうもない、顔色は益々悪くなり、それに時々けいれんさえ起る。私達はもう駄目かと観念した程であった、

 こうして私達は手のほどこしようもない父の傍で夜の明けるのを待った。雷鳴と山崩れの音は狭い谷間に反響して益々もの凄い。雨はさらに激しく一向に止みそうもない。「今夜の雨は痛いね」などと話合う程であった。山鳴りがすると、あちこち山山の中を電灯や提灯の火が飛ぶように左右に動く。多分、家を流されたり壌されたりした人々が山へ避難する火であろう。何時の間にか履いていた靴も靴下もない。皆はだしである。着ているものも下着まですっかり濡れ通ってしまった。そのうちに疲れと寒さとのために睡魔がおそって来る「しっかりしなくてはー」と思うのであるが、何時の間にかすうっと気が遠くなり何処かへもって行かれるような錯覚に陥る。こらえるのが容易でなかった。

 待ちに待った朝がやって来た。おそろしい長い長い夜であった。山へ登ってから三四時間しかたっていないのに、何と恐ろしい長い長い夜であったことか。大声を出して人を呼んでみたが、誰も来てくれない。皆、どうしてしまったろうか。山からは人影を全く見ることができなかった。雨は依然降りつゞいている。父の様子は一向によくなる気配がない。食べるものとて何もない。心細い限りであった。
 多分十時頃ではなかったかと思う、このままでは父も助からないだろうし、自分達も死ぬよりほか仕方ない。兎に角、家へ下って行ってみよう、というわけで危険をおかしておりていった。家はまだ立っていた。中へ入って、畳の上に上ると畳が、壁にさわると壁が音を立ててくずれて来る。父の布団と下着と、ジュースをとり出して背負い上げた。雨をよけるために父の上に洋傘をさしかけた。すっかりはれ上って紫色に変り、あごのところが割れて絶えず血のふき出る父はぐったりしている。山の上では頭を冷してやりたくても水はない。仕方なしに雨でタオルをぬらしそれで冷やすより他なかった。気がつくと私の上衣のポケットに栗の雫が六ケ入っていた。何時どこでこれを入れたのか覚えがない。これを出して母にあげたら、母もいく分元気が出て来たようでうれしかった。ゆうべから何にも食べていないのでお腹が猛烈に空いて来た。私もそっと栗の雫を一ケたべた。

 昼頃であったろうか、山の方へ登ってもう一度大声で助けを呼んでみた。今度は私の声を聞いて番場の人達や消防団の人達がかけつけてくれた。こうして、私達はようやく助け出されたのである。夜のうちに小さな川という川は全部激しい濁流と変り、ガラガラと石音を立てて草も木も家も押し流していた。ようよう出口屋へたどりついて昼食を出されたが、胸が一杯になって殆ど食べられなかった。ここで父の頭を冷してやることもでき、だんだん生気をとりもどすようになり、ホッと胸をなでおろしたことだった。
 出口屋も危険だったので夕方になって大張のポンプ小屋へ避難した。この小屋は小さい上に、ここへ二、三軒もの人々が避難して来たので大変である。坐ることもできず、立ったまゝでうつらうつらしながら夜を明かした。夜になると雨がまた激しく降り出したので、若い人達は交代で外へ出て一晩中警戒に当った。

 

 知らず知らずに行動し、後から思い出しても「なぜ」と思うような出来事を経験する。必死に生きようとする中では、人は強いものだと教えられる。そしてそれが現代人に当てはまるかどうかはわからない。情報量という面では、この時代の被災時の状況は心細かったに違いない。豪雨という状況下にあって、谷間ながら、結果的に高い所へ登らざるをえない光景が見て取れる。三六災では、山肌に大きな爪痕がたくさん見られたという。その山肌に身を寄せた人々の恐怖は、推し量れるものではない。

続く


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