Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

母の新盆と、一周忌

2018-08-25 23:49:01 | つぶやき

 父の一周忌に、我ながら冷静な捉え方をしていたと、今になって思う。

 もう5年も過ぎた父との別れ、そして意外にも5年なのだ、ともっと過去のことのようにも思う。「一周忌」で記したように、「かつて子どものころ、親のいない暮らしなど考えられないほど、支えとなっていた父や母の存在」も、年相応になると、父や母の存在も小さくなる。それが当たり前のことで、いつまでも親頼みではいけないし、自らが同じ立場になっていくのだから、存在が希薄化しなくてはいけないのだと、亡くなってあらためて感じたものだ。

 今日は母の一周忌、あわせて新盆の法要を行った。妻の母の時とことなり、坊さんは通常の経をあげ、一通り終わると、両者のお布施をいただいて帰っていった。坊さんの方から「新盆と一周忌を一緒にしたらどうか」と言葉があったと言うから、明らかな手抜きである。もちろん坊さんはそんなことは思ってもいないだろうが、法事を行う方も、一手間省略できたから文句を言うこともないことなのかもしれない。が、妻の母も新盆と一周忌を一緒にやったが、新盆用のお経と焼香、一周忌用のお経と焼香が別に行われた。

 さて、おじさんやおばさんも高齢化してきているから、健在でも皆がみな集まれるというわけではない。母の兄弟はひとりも参加することはてきなかったが、父の兄弟はみんな集まってくれた。最高齢は年が明けると95歳になるという、以前にも何度も触れた40年前に一緒に石の選択作業の仕事をやったおばさんだ。ちょうど40年前の春休みと夏休みだったから、おばさん54歳の時だったということになる。あの時のおばさんの歳より、今の自分の方が歳をとっていると思うと、自分が歳をとったことをつくづく感じるとともに、おばさんも歳をとったんだとあらためて悟るところ。皆がみな若かったということになるだろうか。繰り返し日記に記していることだが、最近は仕事の世界でも、ほとんど自分より若い人たちが相手になっている。誰よりも若かった時代と同じだと思ったら大間違いなのだ。おばさんもだいぶ歳をとられたが、その次に歳の大きいおばさんは、まったく変わらない。やはり年が明けると88歳だと言うが、歩く姿を見ていても、昔と少しも変わらない。名古屋からやってきたおじさんたちも、同じく全く変わらない。超高齢化社会の縮図を見るような、母の一周忌だった。

 この日、やはり父を亡くし、今年新盆だったイトコがおばさんの代わりに法事に参加した。先ごろの盆に新盆見舞に行ったばかりだが、新盆見舞の話になった。生家のあたりでは親しい人たちはお見舞に訪れるが、そうでなければ、新盆見舞は行わない。ところがイトコのところでは、新盆見舞の返礼を用意する際、葬儀屋さんに「会社関係の方を除いて半分くらいの数を用意した方が良い」と言われたという。わたしの生家のあたりとは新盆見舞の数がまったく異なる。イトコによるとほぼ葬儀屋さんが言った5割程度の新盆見舞客があったという。たとえば同じ自治会の人たちは、ほぼ全て葬儀に来られたと言うが、その人たちはほぼ100パーセント新盆見舞にも訪れたという。親戚や隣組は当然としても、それ以外の地域の人たちもほとんど訪れるというのだから、新盆見舞客を迎え入れる側も大変なのである。先ごろも触れた通り、葬儀は大きく変化して、家での煩わしさほとんどなくなったが、いっぽうで新盆はまったく変わっていない、ということが言えそうだ。


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