就活鶴丸ゼミ・社会人基礎力養成講座

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社会人基礎力養成講座

マスコミ・公務員試験頻出キーワード☆人権完結編!

2008年04月06日 17時12分58秒 | 小論文キーワード
人権完結編でつ

詳細はそのまま使える小論文キーワード2500(学研辞典編集部)参照

前回までの24じゃなかった人権の流れは・・・・

① 貴族の特権から個人の人権へ→ジョン・ロックの社会契約説@

② 自由権から社会権へ→ワイマール憲法@

③ 法律による保障から憲法による保障へ→ナチズム@・ファシズム@でした

       そして今回が最終章!

④国内的保障から国際的保障へ→世界人権宣言・国際人権規約

第二次世界大戦後,人権思想の進展にともない,人権を国内的に保障するだけでなく,国際的にも保障しようとする傾向が広まっていった.
1948年には世界人権宣言が出され(法的拘束力なし),

1966年には国際人権規約(締約国は実施義務あり)が採択された。
国際人権規約は,A規約(経済的,社会的および文化的権利に関する規約)とB規約(市民的および政治的権利に関する規約)そして,B規約に関する選択議定書(被害者個人の救済申し立てを認める)に分かれる.日本は1979年に,A・B両規約を批准(ひじゅん)したが,国内的事情のため,B規約に関する選択議定書には,司法権の独立等を理由に未批准.また,A規約の一部(祝祭日の給与支払い,公務員のスト権,高等教育の無償化)について留保した.
その他の主な人権条約を概観する.

・人種差別撤廃条約(1965年国連総会で採択,日本は1996年に批准)ただし,差別思想の流布や差別の扇動なども法的処罰の対象とするという条項については留保した.

・女性差別撤廃条約(1979年国連総会で採択,日本は1985年に批准)日本では批准にともない国内法を改正した.

・国籍法改正(父系血統優先主義から父母両系血統主義へ)・男女雇用機会均等法@の制定
・高校家庭科学習の男女共修化・男女共同参画社会基本法の制定→ジェンダー@

・子どもの権利条約@(1989年国連総会で採択,日本は1994年に批准)18歳未満の子どもに対する差別禁止,意見表明権,思想・表現・良心の自由等を規定.子どもを権利の主体としてとらえる.→少年法@

・死刑廃止条約(1989年国連総会で採択,日本は反対)死刑廃止を明文化した初めての国連条約.批准国には死刑廃止が義務付けられる.日本,アメリカ,中国,イスラム諸国は反対している.→死刑制度@

これら4つの歴史的流れをふまえ,日本国憲法における人権を考えると,その根本的価値観は

13条の個人の尊重の原理「すべて国民は,個人として尊重される」である.
全ての憲法の条項は,この個人の尊重という価値観に基づいて検討していく.

つまり,個人の尊重を実現するために,

憲法@では人権の規定を置き,

その人権を守るために

統治機構(国会・内閣・裁判所)の規定がある.

国民主権@・民主主義@・平等主義・福祉主義といった考え方も,この個人の尊重から導きだしていく.
    
[着想]  人権問題を考える際には,

どのような救済手段が

その個人の権利保障の見地から考えると最適なのかを

具体的に判断していく.

例えば子どもの権利を考える時,

一般的に子どもは成人と異なり,未成熟で自立できない.そのため子どもの成長には,親や国家等が保護・育成する責務を負うべきという保護主義の考えが伝統的に重視されてきた.

事実,子どもを取り巻く家庭環境が劣悪な場合には保護主義に基づく教育が要請される→.「少年法@」

だが,この方針を過度に重視しすぎると,子どもの自己決定権@を妨げる危険がある.
従って,子どもにも出来る限り成人並みの個人的自由を保障すべきであるという解放主義の考え方も必要になる.

こうして子どもの人権を保護主義で救済するのか,子どもの自己決定権@の尊重かという正反対の方針が出てくる.

いずれの立場にせよ,子どもがどのような環境の下で成長していくことが望ましいのかについては,両者に違いは見られない.
つまり,両者共,
子どもは「家庭環境の下で幸福,愛情及び理解のある雰囲気の中で成長すべき」であり,「社会の基礎的な集団」としての家族が,子どもの「成長及び福祉のための自然な環境として,社会においてその責任を十分に引き受けることができる」ことを理想としている
子どもの権利条約@前文).
このような環境が破壊されて,子どもの権利が脅かされたとき,

子どもの能力や社会環境を考慮して、

それを保護主義で救済していくのか,解放主義で救済していくのかを個別具体的に論じたい.

[注意]  人権の問題を論ずる際には,誰の,どのような人権が,誰によって制約され,その制約は許されるのか,ではどうすべきか,という思考で問題を検討していく.

国際的な人権の問題(北朝鮮による日本人拉致事件等)を論ずる際には,主権国家の存在がポイントになる.つまり,その国が近代憲法の基本原理を受け入れているか否かということが重要であり,それが思考の出発点になる.

[関連]  国際化・自由・法・憲法問題・少年法・死刑制度・ジェンダー・社会保障

[出題] 「少年法の厳罰化の是非」「自己決定と自由」「死刑制度の是非」

マスコミ・公務員試験頻出キーワード☆人権その2

2008年04月06日 17時04分16秒 | 小論文キーワード
人権

意味・解説・知識・着想4つのフレームワークでしか書かない訓練をして下さい。

[知識]日本国憲法が保障する基本的人権は人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果である(97条).そこで,基本的人権とは何かを明らかにするためには,人権宣言の歴史的流れを押さえる.

① 貴族の特権から個人の人権へ→ジョン・ロックの社会契約説@

人権思想はイギリスで最初に登場した.1215年のマグナ・カルタ@である.これは国王に対して,貴族が身分の特権の保障のためにつくった憲法である.

さらに1628年の権利請願,1689年の権利章典などが歴史上重要な位置を占める.だが,これらは個人の人権というよりは,封建的な身分の特権を保護するものであり,

近代的な個人の人権へと成長するには,ジョン・ロックの自然権思想,社会契約説の登場が必要だった.

 ジョン・ロックは1689年に「自然権,契約による政府,抵抗権の保障」をワンセットにした
立憲主義@の考え方を示した.

 一切の政治権力が存在しない自然状態では全ての人間が平等である,と考えたロックは,人間が生まれながらにして持っている生命・自由・財産に対する権利を「自然権」と呼んだ

(この考えが,1776年のアメリカ独立宣言@に引き継がれ,生命・自由・幸福追求の権利として保障され,日本国憲法13条@にも引き継がれている).

だが,統治者のいない自然状態では紛争が起きてしまい自然権を守るのが難しい.そこでこの自然権をより確実なものとするために,市民が相互に社会契約を結び政府に権力の行使を委任した.ところが,契約によって成立した政府が,必ずしも国民の生命・自由・財産を守ってくれるとは限らないため,権力を恣意的(しいてき・自分勝手)に行使して国民の権利を不当に制限する場合には,国民は政府に抵抗する権利,つまり抵抗権を使って新しい政府を樹立できるとしたのである.
 こうして,18世紀末の市民革命(1776年のアメリカ独立宣言や1789年のフランス人権宣言)により,個人の人権という考えが生まれた.          

② 自由権から社会権へ→ワイマール憲法@

人権の中身をみると19世紀は自由権が中心だった.これは当時の人権宣言が絶対王政からの解放を目的としていたことによる.国家からの自由を保障し,消極国家という国家観に基づき,国家はできるだけ介入しないほうが人権保障になると考えられていた.

しかし,20世紀になると,資本主義経済の矛盾が露呈し,社会的・経済的弱者の救済を救うために,国家が積極的に介入していくほうが望ましいと考えられるようになった.そのため自由権だけでなく社会権まで保障されるようになった.
その契機(けいき・きっかけ)となったのが1919年のドイツのワイマール憲法で,世界で初めて「社会権」を保障した.

「人間たるに値する生活」(151条)「所有権は義務をともなう.その行使は同時に公共の福祉に役立つべきである」(153条)という規定である.

③ 法律による保障から憲法による保障へ→ナチズム@・ファシズム@

19世紀になると,ヨーロッパの国々では法律による権利の保障という考え方が有力になる.議会がつくった法律によって行政権から国民の人権を守るという考え方である(形式的法治主義).
民主主義が発達してくると議会に対する強い期待が生まれてきたのだ.
また表現の自由を中心とする精神的自由が保障されるようになっていたことも大きい.しかし,議会(立法権)に対して裁判所が歯止めをかけるという発想(違憲立法審査権)がなかったため,ナチズムやファシズムを生み出し,そのことに対する強い反省から戦後のヨーロッパでは,形式的法治主義ではなく,立法権からも人権を保障しなければならないと考えるようになった.つまり憲法による人権保障が謳(うた)われるようになったのである.

一方アメリカにおいては,そもそも独立の当初から議会への不信が根強かったため,法律からの人権保障,つまり憲法による人権保障の考え方が定着していた.
かつて,イギリスの植民地時代だったアメリカは,イギリス議会の植民地政策に対する反発から独立したという経緯からもわかるように,イギリス議会に対する不信というのが根本にある.
アメリカでは,議会に対していかに歯止めをかけるかという考えが当初からあった.
議会とホワイトハウス(行政府)を対等の位置づけにして(例えばアメリカの大統領には議会がつくった法律を拒否できる強い権限=拒否権がある)たとえ議会がつくった法律でも憲法に違反する場合には効力を否定する違憲立法審査制を判例上認めて確立した(明文上の規定はない).
このように,アメリカでは憲法により立法権からも人権を保障しようという考え方が早くから確立していたのである.