就活鶴丸ゼミ・社会人基礎力養成講座

大学生・大学院生のための就活指導
社会人基礎力養成講座

その時歴史は動いた!戦う自由主義者・河合栄治郎

2008年04月18日 19時48分03秒 | 就活鶴丸ゼミ
NHKの番組でも民放の歴史番組でも取り上げないので、鶴が取り上げることにしました。
大學生の方は、教養として知っておくのも悪くないですよ。
就活の最終面接を控えている皆さん!有名企業の役員クラスの世代の方々が、学生時代に、一心不乱に読んだのが河合栄治郎の名著「学生に与う」です。


人は、与えられた状況下において、いかなる行動をとることができるのか。
大學生のときに出会い、以後40年の人生の中で、今日紹介する論文ほど、全身がしびれるような衝撃と感銘を受けた言葉はありません。

歴史的状況下で、どのような決断を下したかで、その人のそのものの姿が問われることを痛感させられる歴史的論文です。多数の言論人が沈黙するしかなかった当時の時代状況の下で、
河合栄治郎のような知識人が日本にいたという事実に大変勇気づけられます。

河合栄治郎は、昭和のはじめに共産主義を否定する一方、軍部のファシズムとも敢然と戦い、
人間の自由と尊厳を目指した理想主義者であり、戦闘的自由主義者です。
むき出しの暴力の前に多くの「知識人」が沈黙するしかなかった2・26事件直後の、緊迫した雰囲気の下、まさに、「命を賭して」書かれた歴史的論文が、3月9日付帝大新聞に掲載された
「2・26事件に就いて」です。      一部を引用します。


 先(ま)ず吾々(われわれ)は、〈残酷〉なる銃剣の下に仆(たお)れたる斎藤内大臣、高橋大蔵大臣、渡辺教育総監に対して、深厚なる弔意を表示すべき義務を感ずる。浜口雄幸(おさち)、井上準之助、犬養毅(いぬかいつよし)等数年来暴力の犠牲となった政治家は少なくないが、是等(これら)の人々が仆れたる時は、まだ反対思想が何であるかが明白ではなかった、従ってその死は言葉通りに不慮の死であった。然(しか)るに五・一五事件以来ファッシズム殊に〈軍部〉内に於(お)けるファッシズムは、掩(おお)うべからざる公然の事実となった。而(しか)して今回災禍に遭遇したる数名の人々は此(こ)のファッシズム的傾向に抗流することを意識目的とし、その死が或(あるい)は起こりうることを予知したのであろう、而(しか)も彼等は来らんとする死に直面しつつ、身を以(もっ)てファッシズムの潮流を阻止せんとしたのである。筆者は之等(これら)の人々を個人的に知らず、知る限りに於て彼等と全部的に思想を同じくするものではない。然しファッシズムに対抗する一点に於ては、彼等は吾々の老いたる同志である。動(やや)もすれば退嬰(たいえい)保身に傾かんとする老齢の身を以て、危険を覚悟しつつその所信を守りたる之等の人々が、不幸兇刃(きょうじん)に仆るとの報を聞けるとき、私は云(い)い難き深刻の感情の胸中に渦巻けるを感じた。


 ファッシストの何よりも非なるは、一部少数のものが〈暴〉力を行使して、国民多数の意志を蹂躙(じゅうりん)するに在る。国家に対する忠愛の熱情と国政に対する識見とに於て、生死を賭(と)して所信を敢行する勇気とに於て、彼等のみが決して独占的の所有者ではない。吾々は彼等の思想が天下の壇場に於て討議されたことを知らない。況(いわ)んや吾々は彼等に比して〈敗〉北したことの記憶を持たない。然るに何の理由を以て、彼等は独り自説を強行するのであるか。
 彼等の吾々と異なる所は、唯(ただ)彼等が暴力を所有し吾々が之を所有せざることのみに在る。
だが偶然にも暴力を所有することが、何故(なにゆえ)に自己のみの所信を敢行しうる根拠となるか。吾々に代わって社会の安全を保持する為(ため)に、一部少数のものは武器を持つことを許されその故に吾々は法規によって武器を持つことを禁止されている。
然るに吾々が晏如(あんじょ)として眠れる間に武器を持つことその事の故のみで、吾々多数の意志は無の如(ごと)くに踏み付けられるならば、

先ず公平なる暴力を出発点として、吾々の勝敗を決せしめるに如(し)くはない。


この一文が執筆されたのは、2・26事件直後の緊迫した状況下であったことを考えてみてください。
幕末の高杉晋作同様、昭和の河合栄治郎も革命精神をもって、敢然と、軍部のファシズムに宣戦布告したのです。
またこの歴史的論文の最後に、河合栄栄治郎は、むき出しの暴力の前で無力感にさいなまれている知識人にも訴えかけます。
 

 此の時に当たり往々にして知識階級の囁(ささや)くを聞く、此の〈暴〉力の前にいかに吾々の無力なることよと、だが此の無力感の中には、暗に暴力讃美(さんび)の危険なる心理が潜んでいる、そして之こそファッシズムを醸成する温床である。

暴力は一時世を支配しようとも、暴力自体の自壊さようによりて瓦解(がかい)する。

真理は一度地に塗(まみ)れようとも、神の永遠の時は真理のものである。

此の信念こそ吾々が確守すべき武器であり、之あるによって始めて吾々は暴力の前に

屹然(きつぜん)として亭立しうるのである。

左右の全体主義は、がん細胞の如く、社会の弱み、人間の弱みに付け込み、いつでも再発する危険をもっていることを肝に銘じ、
与えられた状況下に、自らが下した決断を敢然と引き受け、理想の自分に到達していけるよう凛々しく生きていかなければならないということを、この論文を読む度、痛感させられます。