真夜中のコーヒー2

人生の最終章
 ボケ防止のためにも
  ブログ遊びを楽しもう

ネーミング

2010-04-11 14:24:45 | 日記





    今や政界は新党ブームとかで世の中騒がしい


     我が家の年寄り?三人は

      何しろ夫々に一過言あってかしましい

         だけに~ 退屈はしないが。。。



       今回の  平均年齢 70歳

         五人組の旗挙げには ~~??!!。。。


    ただ、新党名は長くて言いづらいので


        我が家では   < 老老党 > と命名しました


                     あしからず~。。。
                        

                       



       
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時計

2010-04-05 13:46:46 | 日記
 


    母が施設に入所する時買ったおもちゃの時計


      施設での母の様子を

      我が家に戻ってからは私との暮らしを

      そして母が亡くなる時も


   私以上に母を見守ってきた時計です


     いつか気が付くとハリケーン疾風が
      後段飾りに一緒に飾ってました



    全てが終わった今でも、律儀に時を刻んでます
       今度は私と共に~。。。 
       
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千切りえ

2010-04-03 12:36:08 | 日記




        ハリケーン疾風が

    箸袋で作った千切りえ
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2010-04-03 00:24:03 | 日記
 


    母が逝って二度目の月命日もすぎました
     短いようで永い永い時間が過ぎたような。。。



   葬儀を手伝ってくれた我が家に滞在中の友人夫妻も
   滞在五ヶ月が過ぎました
     おかげで寂しさを感じることもなく過ごしています


    その間、不思議なくらい一度も母の夢を見ません


   母を思い出す時、その顔は、遺影の顔でも共に過ごした
      時の顔でもありません

   亡くなった時のあの笑みを浮かべた優しい顔です
    思わずシャッターを押しかけたほど
        ホントに優しい優しい母の顔でした

  
    あの顔は生涯をかけて守り抜いた愛娘へ向けた最後の 
     優しい愛情だったのでしょう
      それだけに余計辛いんですよ、お母さん~。。。



     あれからの永く短い月日、
       行き届かなかった気配りへの悔いと共に
    あの時の顔、決して脳裏から消えることはないでしょう
     

     
    

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まむし指

2010-03-21 17:42:44 | 日記



    ハリケーン疾風の親指です

     俗に言う マムシ指





   耳にはしていたが、疾風の指を見るまでは
              見たことがなかった



    画像で見るより実物の方がもっと驚き~。。。


  確かに、園のころから器用で、
      折り紙もプラモデルも入学前から
       一人で作っていた


    絵も上手だし、  誰ににたのかしらねぇ~
      なんて言ってたのに


      マムシ指のせいだとはねぇ。。。



   先日、入院した時、好物のマグロ寿司を持って見舞いに~

    箸袋を小さく折って、ちぎって
     猫がつながってダンスをしているような
        ちぎり絵を作ってくれた

      感心して~! あきれて~!


    



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テスト

2010-03-20 23:45:15 | 日記
テストで~す



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テスト

2010-03-16 06:00:58 | 日記
更にテスト
  ギブアップします
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テスト

2010-03-16 05:46:45 | 日記
画像何枚もハリコできるかテストです
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悔い

2010-03-07 01:19:39 | 日記



   8年5月1日

     介護へのはけ口を求めて
      手作りのホームページを始めた日です


  その日から2年にも満たずして介護は終わった



    あまりにも勝手気ままな想いだけが一人歩きしていて
     読み返す勇気はないが 悔いだけが残る


   当時、あんなに元気だった母がどうして
         こんなに早く逝ってしまったのか
     という思いから抜け切れません



       いえ、わかっているのです

     本当の悔いは
       母を一週間でも10日でも入院させて
          看病できなかったことだということを~。。。



      ご近所の奥様から
     100歳を目の前にして20日間入院して亡くなられた
      母上のことを、家で看れば良かったと、ご主人が今でも
      後悔しているとの事、 家で良かったのよ> 慰められました



       理屈では分かっているんですが~

         やはり、悔いは拭えないんです。。。

  
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2010-03-04 13:53:55 | 日記


  


     梅の花咲きて散りなば桜花

        継ぎて咲くべくなりにてあらずや

                <万葉集>




  ジパング倶楽部から旅のカタログが送られてきた
  特集は奈良遷都1300年とかで奈良、明日香路である

   その中にあったのが上記の万葉集の一首




     私は奈良が大好きです


        必ず訪れるのは   唐招提寺

            そして   伎芸天に会いに行きます



     そうそう 浄瑠璃寺の裏手の小さなお社もよかったなぁ~
      地元の社って感じで、のんびり声かけられて
        今度又行ってみよう~。。。




    寺に桜に般若湯

    
      カタログをめくってて見つけました

       宇治の 萬福寺の  <普茶料理>
        ここにも行ってみたいな


     自由になった身 夢は限りなく膨らみます




  毎年見ていた桜の四国八十八ヶ所 巡礼のたびのカタログ

    車椅子ででも母を連れて行きたいと思っていたのに

      かなわぬ夢になりました   

   




  
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愚痴

2010-02-27 15:29:53 | 日記



少々愚痴ります


   友人夫妻が我が家に滞在するようになって
      4ヶ月が過ぎようとしている


     半月か一ヶ月位と言うことで
        2階をご自由にと明渡した

       多少の覚悟はしていたが
     ここまで永くなるとは思ってなかった




   彼女が炊事、掃除をやってくれるので楽なようだが~

    ご主人がいる

      私も今までの習慣で、男性は持ち上げはしないが
     一応立ててあげる

    母は寝たきりでも要になっていた

      その母が亡くなった今、ご主人中心の生活に
            なりつつある


     良い人だがドンキホーテとあだ名をつけたとおり
      そのペースに合わせるのに疲れた


      適当に部屋にこもっているが
       今は自分のペースで生活がしたいと彼女には言った
         ちょっと酷だったかなぁ~




    どんなに気心のしれた友人であろうと、永い間
     生活を共にするのはたいへんです

      後少しだと思うので横を向いて
           過ごして行くしかなさそうです
    
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最後の会話

2010-02-10 13:03:11 | 日記



  母が逝ってから二週間がたつ
永いような短いような未だに母の気配を感じながら暮らしている


  正月過ぎ、いつごろだったか
 ストーブを動かそうとして筋肉痛?か肉離れ?を起こした

 起き上がる時寝返りを打つとき力を入れるとき
  内臓を切り裂かれそうな痛みが走り悲鳴を上げていた


   

   何日だったか

  夜、母を抱え起こして

     私  <いたっ  痛い>

   私の顔をじっと見上げて

     母  <どうしたの? どこか痛いの?>

     私  <Kちゃん痛いの  みやこさん重いんだから >

        

  それ以来母は会話をしなくなった
  そして二度と自分も痛いと言わなくなり
    食も細くなりました


  亡くなる前日、ヘルパーさんの時 <痛い> と言った
   と喜んでいたのに、翌日眠るように息を引きとった 





  人は最後まで声は聞こえているのだとか

  <みやこさん よくわかっていたんですよ。
    娘に介護されて幸せ 大往生ですよ> 


 ケアマネさんやヘルパーさん 皆さんそう言ってくれます


   でも楽な介護を続けて、ミキサー食になるこれからだと
    覚悟をしたとこだったのに~



  そのように言われるのが辛いのです



    私を楽にしてあげようなんて

     思うことも考えることも無かったのよ

     私は幸せだったんですよ 
 

       
        ゴメンネ  お母さん~!!   
  
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母が逝った日

2010-02-01 15:29:11 | 日記
 


     一月最後の日の日曜日

   冬には珍しいくらいの暖かで穏やかな青空の下
    母は二度と顔を見ることの出来ないところへ旅立っていった



  一月二十八日 夜
     気がついた時には、母の顔は冷たかった。
       身体は温かいのに

      救急車が到着した時はすでに手遅れでした





       翌日金曜朝の検視、ご住職の予定もあり
       土曜 お通夜  日曜 葬儀 と決まった



   通夜の準備が始まるまで、母はいつもの様に布団に寝かせてました


    普段よりももっと穏やかな、口元は笑みを浮かべているような
     優しい顔つき  どう見ても息をしていないなんて思えない




        顔をおおっている白布をはがしました


     丸一日以上、いつものように母の寝顔を見ながら
      話しかけながら頬をなでながら過ごしました



        <お母さん ごめんね ごめんね>  と言いながら。。。




      今になっても不思議なくらい涙はにじみますが
              泣くことが出来ません

       

                    夜 初雪になりました
         



           
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年賀状

2010-01-09 14:38:21 | 日記



    今年は年賀状を止めた


  三が日を過ぎても賀状はまだボツボツ届いている


   昨夜、友人から電話があった

    毎年届いていた賀状が届かないのを気にして。。。

   新年早々ではと気にして今日まで待っていたとの事


     母のことを心配してくれていたのだ



   賀状を止めることは、こんな気を使わせることにも
    なるのだと気づいた


     やはり何事も突然止めるのはよくないんですね
   
      先方の気遣いに感謝して
        賀状はこれからも続けることにしましょう。。。
 
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お年玉

2010-01-08 14:46:59 | 日記



   ハリケーン兄弟に福岡の叔父から
          お年玉が送られてきました



       こちらには身内の少ない我が家
         ハリケーン兄弟は大喜びです

     
    考えてみれば核家族とはよく言ったもの
      兄弟にとっては我が家しかない



   私が育ったのは地元と言うこともあり賑やかでした

    二人の祖母に伯父叔父伯母叔母従兄弟達
   その上父方母方の大叔母大叔父その子達

    父方の叔母に連れられて祖母の実家を訪れ、母方の
  大叔父には家の歴史を教えてもらいました

   地方では当たり前のことだけど
    なんとも賑やかな環境だったんですね


   
     叔母からは一度子供達を連れて帰っておいでと誘われている
    
    ハリケーン共はこういう付き合いを知らないのだから  
   叔父達が元気なうちに会わせておきたいと思う
   
    出来ればこの春休みにと考えているのだが
      母の事もあるし果たしてどうなることやら~。。。
      
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