真夜中のコーヒー2

人生の最終章
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叔母<ある女の一生

2020-07-04 14:59:44 | 雑記

    
      故郷に最後に残っていた叔母が亡くなりました
      4ヶ月後に100歳を迎えるはずだった
      苦しむこともなくの大往生です

      捌けた叔母で、昔から 
                       東京からわざわざ 帰って来ることはない>との
      言葉通りましてこのご時世
      家族葬で済ませたそうです


      香典のお礼にとかかってきた従弟からの電話

      葬儀の時、看板に書かれた名前を見て
      ▽▽の(叔母の実家であり私の祖母の家)の
      〇〇子さんですよね> と声をかけて来た年配の男性は
      祖母の実家の縁続きの方だったらしい。


      なにしろ、どこどこの嫁はどこどこの〇〇家から
      その母親は◇◇の何々家の出であるなんて
      皆の事全てを知っているという環境で、私のことも
      上の伯母の嫁ぎ先の義妹の嫁ぎ先の家から<笑
      学校の様子が伯父に伝えられたりと
      驚くことばかりでした。 そんな故郷です

      田舎だわね~>
      従弟と笑いあい、しばらく身内談議に入りました    
      

      女学校を出ると、遠縁にあたる家同士の結婚で嫁ぎ
      家の中のことを一言でも漏らし外から聞こえた時は
      即離縁です>と結婚式の日に言われたと言う厳しい
      お姑さんに仕え
      80歳近くになっても、私が
      <まだお嫁さんやってるの?>と驚いたくらい
      盆暮れに何日か必ず里帰りしてくる義姉を迎え
      二人の子供を育て上げた叔母も
      当時の女性たち同様戦争の悲劇をもろに受けています

      戦争で神経をやられ,廃人となった夫を永い事東京の
      病院でその後福岡の病院へ移し晩年は自宅に連れ帰り
      最期を看取った叔母の、結婚生活はわずか数年であったで
      あろう女の一生です 


      経済苦が無かったこともあろうが
      叔母のやつれた姿、愚痴や苦労話、過去の繰り言などは
      聞いたことも見たこともない

      おしゃべりではないが寡黙でもない
      事ある時にははっきりとものを言い決断させる
      捌けた叔母でした

      私も帰郷した折何度か泊りに行ったが
      子供ではないのよ>と言う私に
      いつも お車代>と書いて渡してくれた叔母の
      眠るような突然の死
      最後に会いに行けなかったのが悔やまれます


      来月は新盆です

      家族葬でしか行えなかったので初盆は盛大にしたいという
      従弟の言葉にホットしました

      良かったわね
      80年、地元で暮して来たのです
      田舎だからこその人々とのご縁
      大勢の方がお別れに来てくれることでしょう

      私は帰れないけど
      これをもって叔母への弔辞とします
        永い間ありがとうございました
         そして安らかにおやすみください
               不肖の姪より 
       
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