故郷に最後に残っていた叔母が亡くなりました
4ヶ月後に100歳を迎えるはずだった
苦しむこともなくの大往生です
捌けた叔母で、昔から
東京からわざわざ 帰って来ることはない>との
言葉通りましてこのご時世
家族葬で済ませたそうです
香典のお礼にとかかってきた従弟からの電話
葬儀の時、看板に書かれた名前を見て
▽▽の(叔母の実家であり私の祖母の家)の
〇〇子さんですよね> と声をかけて来た年配の男性は
祖母の実家の縁続きの方だったらしい。
なにしろ、どこどこの嫁はどこどこの〇〇家から
その母親は◇◇の何々家の出であるなんて
皆の事全てを知っているという環境で、私のことも
上の伯母の嫁ぎ先の義妹の嫁ぎ先の家から<笑
学校の様子が伯父に伝えられたりと
驚くことばかりでした。 そんな故郷です
田舎だわね~>
従弟と笑いあい、しばらく身内談議に入りました
女学校を出ると、遠縁にあたる家同士の結婚で嫁ぎ
家の中のことを一言でも漏らし外から聞こえた時は
即離縁です>と結婚式の日に言われたと言う厳しい
お姑さんに仕え
80歳近くになっても、私が
<まだお嫁さんやってるの?>と驚いたくらい
盆暮れに何日か必ず里帰りしてくる義姉を迎え
二人の子供を育て上げた叔母も
当時の女性たち同様戦争の悲劇をもろに受けています
戦争で神経をやられ,廃人となった夫を永い事東京の
病院でその後福岡の病院へ移し晩年は自宅に連れ帰り
最期を看取った叔母の、結婚生活はわずか数年であったで
あろう女の一生です
経済苦が無かったこともあろうが
叔母のやつれた姿、愚痴や苦労話、過去の繰り言などは
聞いたことも見たこともない
おしゃべりではないが寡黙でもない
事ある時にははっきりとものを言い決断させる
捌けた叔母でした
私も帰郷した折何度か泊りに行ったが
子供ではないのよ>と言う私に
いつも お車代>と書いて渡してくれた叔母の
眠るような突然の死
最後に会いに行けなかったのが悔やまれます
来月は新盆です
家族葬でしか行えなかったので初盆は盛大にしたいという
従弟の言葉にホットしました
良かったわね
80年、地元で暮して来たのです
田舎だからこその人々とのご縁
大勢の方がお別れに来てくれることでしょう
私は帰れないけど
これをもって叔母への弔辞とします
永い間ありがとうございました
そして安らかにおやすみください
不肖の姪より
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