<暇つぶしには
ネットサーフィンに勝るものなし>
と言うわけでこのところ
サーフィンを満喫しています
今はまっているのは古典文学です
まずは 好きな 「建礼門院右京太夫」
今はただしひて忘るるいにしへを
思ひ出でよと澄める月影(家集323
(1188/1232頃?) は歌数 361首,しばしば長文の詞書を伴う日記風の家集で,徳子の後宮での生活,恋の苦しさ,恋人との生別および死別の悲しみ,後年の再出仕のことなどを綴ったもの。晩年自身の手で編み,藤原定家の『新勅撰集』撰進の際,提出したらしい。和歌よりもむしろ文章が高く評価されている
父は藤原(世尊寺)伊行。母は大神基政の娘で箏の名手である夕霧。名は伊子という説がある(ネットより)
「平家物語」が好きで併せて古典本でもっても
いるので上記の記述ぐらいはもちろん知って
いるが藤原北家ということで道長との関係は?
と系図を覗いていたら、祖の行成と清少納言との
交流に行き当たり、この清少納言の有名な歌
夜をこめて 鶏のそら音は はかるとも
よに逢坂の関はゆるさじ
清少納言が行成に贈った和歌だとか
アラ まぁ~!
この調子でサーフィンしているときりがない
誰(たれ)が香に 思ひ移ると忘るなよ
夜な夜ななれし枕ばかりは(家集147)
資盛の返しは、
心にも 袖にもとまる移り香を
枕にのみや契りおくべき
この資盛との恋は右京太夫には
「建礼門院右京太夫集」を遺し
一門と共に西海に沈んだ資盛はあちこちに
生存説を遺す
マ、義経の成吉思汗説と同じようなものだと思うが
信長子孫説はナシとして
一時鎌倉幕府で活躍したOOOは資盛が
幼児を遺していたということで、同じ平氏
一門の北条氏の誰かに匿われていたという
ことでアリかなと思っていると
空が白んできました
またやってしまいました
こんなどうでもいい雑学?を
世離れしたことで一晩過ごすとは!
呆れながら今も
OOさんの古典翻訳ブログを見つけ
前から古典で読みたいと思っていた
「とはずがたり」
を見つけ読んでいます
マ、いいわ、
まだ徹夜する力が残っていたことを
喜びましょう<笑
一つだけ
「源氏物語」の結末<夢浮橋>に
後年、続編(完結)が造られた
「山路の露」
作者は建礼門院右京太夫という
説があることを知りました
ハイ、これもネットサーフィンのおかげです<笑
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