木曜日のヴィンヤサヨーガレッスン。
生徒のみなさんにシールシャーサナに挑戦してもらいました。
私自体シルシーをレッスンで指導するのは初めてでドキッドキ、ワクワク。
でも、自分と生徒さんを信頼して。
シルシーはアーサナの中でも恐怖感を伴うもの。生徒さんに怪我は絶対にして欲しくない。それに、精神的なダメージも受けて欲しくない。
出来ないということで、挫折感を持ったりして自信をなくして欲しくない。
でもこの日のみなさんを見ていて大丈夫だと思った。マインドが
出来ない事に落ち込んだり、焦ったりしない、初めての事に恐れを抱かない
そう感じたから挑戦してもらいました。
私の動きを見て、自分でしてみて、みなさんがそれぞれに気づきがあったみたい。
今出来る事出来ない事、身体の感覚や気持ちの動きから感じ取って、そこからどうすればよいのか?どんな風にしたいのかっていうことを感じ取ってくれたようです。
ヨガできたと思う。私が大切にしていること伝わったと思う。
みんなが自分で掴み取ったと思う。
本当にレッスンって、教える立場、教わる立場に関らず学びと気づきの最高の場所。
クラスではある程度のカリキュラムは立ててあるけれど、その日のその時のみなさんの身体の状態・心の状態に合わせて組み立てる。みんなで組み立てる。
最近、「与える」ということについて考えていて、「与える」って、場合によっては上から目線だったり、押し付けがまくなってしむこともあるけれど、
どちらかが一方的に与えるのではなく、「受け取る」ということも「与える」ことになるんじゃないかな。
そして、「そこにいる」ということも
その場で生まれることも、溢れ出して止まらない事も、ただただ「受け取る」こと「私が私でいること」だけで、実は与えている。
私が与えようとしなくても、そこにいる人に受け取る器が用意できているのなら
その人は与えられている。
私は人が受け取るその場に、その過程にいるだけ。
そんなことが、この日の私の気づき。与えられたもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/83/446b3731142dd2d8ff94cd4d355d7bd4.jpg)
与えているようで、実は与えられている。
生徒のみなさんにシールシャーサナに挑戦してもらいました。
私自体シルシーをレッスンで指導するのは初めてでドキッドキ、ワクワク。
でも、自分と生徒さんを信頼して。
シルシーはアーサナの中でも恐怖感を伴うもの。生徒さんに怪我は絶対にして欲しくない。それに、精神的なダメージも受けて欲しくない。
出来ないということで、挫折感を持ったりして自信をなくして欲しくない。
でもこの日のみなさんを見ていて大丈夫だと思った。マインドが
出来ない事に落ち込んだり、焦ったりしない、初めての事に恐れを抱かない
そう感じたから挑戦してもらいました。
私の動きを見て、自分でしてみて、みなさんがそれぞれに気づきがあったみたい。
今出来る事出来ない事、身体の感覚や気持ちの動きから感じ取って、そこからどうすればよいのか?どんな風にしたいのかっていうことを感じ取ってくれたようです。
ヨガできたと思う。私が大切にしていること伝わったと思う。
みんなが自分で掴み取ったと思う。
本当にレッスンって、教える立場、教わる立場に関らず学びと気づきの最高の場所。
クラスではある程度のカリキュラムは立ててあるけれど、その日のその時のみなさんの身体の状態・心の状態に合わせて組み立てる。みんなで組み立てる。
最近、「与える」ということについて考えていて、「与える」って、場合によっては上から目線だったり、押し付けがまくなってしむこともあるけれど、
どちらかが一方的に与えるのではなく、「受け取る」ということも「与える」ことになるんじゃないかな。
そして、「そこにいる」ということも
その場で生まれることも、溢れ出して止まらない事も、ただただ「受け取る」こと「私が私でいること」だけで、実は与えている。
私が与えようとしなくても、そこにいる人に受け取る器が用意できているのなら
その人は与えられている。
私は人が受け取るその場に、その過程にいるだけ。
そんなことが、この日の私の気づき。与えられたもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/83/446b3731142dd2d8ff94cd4d355d7bd4.jpg)
与えているようで、実は与えられている。