茶屋町に鎮座致します、綱敷天神社御旅社の末社、玉姫稲荷神社例祭(玉姫祭)の方、本年も滞りなくご奉仕申し上げました。
例年であれば事前にご案内などを掲載しておりますが、本年は新型コロナウイルスの疫禍による緊急事態宣言の発出中という事もあり、事前のご案内は控えさせて頂き、神職のみによる神事とさせて頂きました。
なお、「梅田の牛の藪入り」の名残りともいわれる、当宮の神牛像への花飾りの方は例年通りに飾らせて頂きました。(本年は医療従事者の方々への感謝の気持ちで青色を中心にしました)
この「梅田の牛の藪入り」とは、江戸時代に日頃働いてくれている牛たちに、柔らかい新芽の茂る季節である旧暦5月5日に、梅田周辺、特に現在の大阪市北区大深町、芝田2丁目付近で、花飾りなどの晴れ着ともいえる装いを付けて放牧してやり、ゆっくり休養を取らせた行事の事です。藪入りとは休暇という意味です。
その行事そのものは、梅田の市街化が進んだ明治以降次第に廃れ、大正時代頃には見られなくなってしまいましたが、当宮玉姫祭の際に、境内にある神牛像に花飾りを施す習わしだけが残り、今はこの花飾りのみが、梅田の牛の藪入りを唯一伝えているものとなっています。
その神牛像の花飾りの中に、チマキが載せられております。これは江戸時代の際も同じで、実際にチマキを載せて放牧されていました。何の為に載せていたのかといいますと、チマキそのものが疫病除けの御守といわれている事が根底にありますが、このチマキを食べると天然痘などの疫病に罹っても軽く済むという言い伝えがあり、放牧の際にその背中のチマキを子供たちが取り合うのも一つの風物詩であったそうで、その名残で現在も当宮の神牛像にはチマキが載せられいます。
いま新型コロナウイルスの疫禍で苦しむ人々が多くおられますが、そうした方々が感染することの無きよう、また感染しても軽くて済むようにと、疫病除の側面もあった牛の藪入りにちなみ、本年は特に心込めてご奉仕申し上げました。
感染者数は少しく減少しましたが、まだまだ油断なりません。江戸時代、ウイルスも何も分からない中、一つ一つの研究の積み重ねと、疫病除けの行事などを通して心を支え、そして今日にまで生命を繋いで下さったご先祖様方に感謝を致し、そうしたご先祖様方に恥ずかしくないよう、「勝って兜の緒を締めよ」の気持ちで、あと一踏ん張りいたしましょう!
例年であれば事前にご案内などを掲載しておりますが、本年は新型コロナウイルスの疫禍による緊急事態宣言の発出中という事もあり、事前のご案内は控えさせて頂き、神職のみによる神事とさせて頂きました。
なお、「梅田の牛の藪入り」の名残りともいわれる、当宮の神牛像への花飾りの方は例年通りに飾らせて頂きました。(本年は医療従事者の方々への感謝の気持ちで青色を中心にしました)
この「梅田の牛の藪入り」とは、江戸時代に日頃働いてくれている牛たちに、柔らかい新芽の茂る季節である旧暦5月5日に、梅田周辺、特に現在の大阪市北区大深町、芝田2丁目付近で、花飾りなどの晴れ着ともいえる装いを付けて放牧してやり、ゆっくり休養を取らせた行事の事です。藪入りとは休暇という意味です。
その行事そのものは、梅田の市街化が進んだ明治以降次第に廃れ、大正時代頃には見られなくなってしまいましたが、当宮玉姫祭の際に、境内にある神牛像に花飾りを施す習わしだけが残り、今はこの花飾りのみが、梅田の牛の藪入りを唯一伝えているものとなっています。
その神牛像の花飾りの中に、チマキが載せられております。これは江戸時代の際も同じで、実際にチマキを載せて放牧されていました。何の為に載せていたのかといいますと、チマキそのものが疫病除けの御守といわれている事が根底にありますが、このチマキを食べると天然痘などの疫病に罹っても軽く済むという言い伝えがあり、放牧の際にその背中のチマキを子供たちが取り合うのも一つの風物詩であったそうで、その名残で現在も当宮の神牛像にはチマキが載せられいます。
いま新型コロナウイルスの疫禍で苦しむ人々が多くおられますが、そうした方々が感染することの無きよう、また感染しても軽くて済むようにと、疫病除の側面もあった牛の藪入りにちなみ、本年は特に心込めてご奉仕申し上げました。
感染者数は少しく減少しましたが、まだまだ油断なりません。江戸時代、ウイルスも何も分からない中、一つ一つの研究の積み重ねと、疫病除けの行事などを通して心を支え、そして今日にまで生命を繋いで下さったご先祖様方に感謝を致し、そうしたご先祖様方に恥ずかしくないよう、「勝って兜の緒を締めよ」の気持ちで、あと一踏ん張りいたしましょう!