本日、当宮主祭神であられます、嵯峨天皇さまが当地梅田(当時は兎我野)に行幸になられて1200年、並びに、今上陛下の御即位記念としまして、御本社東面に石玉垣を建立する奉賛事業の竣工奉祝祭の方、無事お納め申し上げました。
この事業は平成30年の台風で、御本社本殿屋根、稲荷社屋根、社務所各所などに被害が発生し、その修繕費用を目的として玉垣奉賛事業が企図され、ちょうど平成から令和の御代替わりの節目でもあった事から、今上陛下の御即位記念事業として募財活動が開始されました。
しかしコロナ禍により、当初令和2年春に竣工を迎えるはずが、1年8ヶ月もの間、工事は中断し、奉賛事業も進められない状況となってしまいました。
令和3年に至り、ようやくコロナ禍が若干減退した事と、ちょうどと言っては語弊があるやもしれませんが、文頭にあります通り、弘仁13年、当地に嵯峨天皇さまが行幸(お越しになる事)になられてから、この年で1200年目に当たる事から、事業規模を拡大し、その奉祝事業としまして東門一帯の改修事業として仕切り直し致ました。
今事業におきましては宮司の強い意向で、普段から当宮御本社にご崇敬をお寄せ下さる氏子崇敬者の方々を中心にご奉賛のご案内をさせて頂き、一般の方へのご案内は御本社の御本殿前にてご案内させて頂くだけに留め、出来うる限り、そうした日頃の祈りを大切に下さる方のお名前を玉垣にして建立申し上げたいという思いから、それらの方々をご優先して進めさせて頂きました。
またこの事業の大きな目的としまして、これまで東門には社号碑(神社の名前が入った石碑)がありませんでしたので、これを新たに建立する事が目的の一つでした。
この東門という場所。実は嵯峨天皇さまが「三筆」の筆頭と讃えられるのは、平安宮大内裏の各門の扁額の揮毫を、南門を弘法大師 空海、北門を橘逸勢、そして東門を嵯峨天皇さまが筆を取られた故事から、後に三筆と呼ばれるようになったもので、嵯峨天皇さまを主祭神と戴く当宮にとっては東門は特別な意味をもちます。
そこで弘仁の御代を代表する筆法第一人者が嵯峨天皇さまでいらっしゃるのであれば、令和の御代を代表する書家の方に揮毫をお願いすべきと考え、当宮禰宜の知人を介して、令和の元号を揮毫になられた茂住修身(雅号:菁邨)先生に揮毫をお願いさせて頂き、先生も「素晴らしく、崇高なお話に少しでもお応えしなくては」と敬神の誠心からご快諾下さり、茂住先生の揮毫による社号碑を建立する運びとなりました。
そして本日、令和3年11月10日。見事麗しく、石玉垣、社号碑、また由緒記など当宮東面の改修事業が全て終え、竣工奉祝祭を斎行申し上げました。
当事業にご寄進を頂きました皆々様には、コロナ禍という未曾有の世界的疫病の吹き荒れる中、ご寄進を頂きました事、改めまして厚く御礼申し上げる次第です。また、茂住先生におかれましては、フランスでの個展の準備で大変お忙しい中、ご帰国早々にご参列頂き、本当に恐縮の思いでございました。併せて深謝の思いです。誠に有難うございました。
東門の東という方向は、道真公の「東風吹かば」の歌にあるように陰陽五行で春を表す方向です。コロナ禍という冬を乗り越えて、今を春べと咲くやこの花の如く、ご寄進を頂きました皆様の日々が平穏な春に向かうように、穏やかにあられますよう祈念致しますと共に、コロナ禍まだ燻り続けている現状、何よりもご健康をお祈り申し上げる次第です。
この事業は平成30年の台風で、御本社本殿屋根、稲荷社屋根、社務所各所などに被害が発生し、その修繕費用を目的として玉垣奉賛事業が企図され、ちょうど平成から令和の御代替わりの節目でもあった事から、今上陛下の御即位記念事業として募財活動が開始されました。
しかしコロナ禍により、当初令和2年春に竣工を迎えるはずが、1年8ヶ月もの間、工事は中断し、奉賛事業も進められない状況となってしまいました。
令和3年に至り、ようやくコロナ禍が若干減退した事と、ちょうどと言っては語弊があるやもしれませんが、文頭にあります通り、弘仁13年、当地に嵯峨天皇さまが行幸(お越しになる事)になられてから、この年で1200年目に当たる事から、事業規模を拡大し、その奉祝事業としまして東門一帯の改修事業として仕切り直し致ました。
今事業におきましては宮司の強い意向で、普段から当宮御本社にご崇敬をお寄せ下さる氏子崇敬者の方々を中心にご奉賛のご案内をさせて頂き、一般の方へのご案内は御本社の御本殿前にてご案内させて頂くだけに留め、出来うる限り、そうした日頃の祈りを大切に下さる方のお名前を玉垣にして建立申し上げたいという思いから、それらの方々をご優先して進めさせて頂きました。
またこの事業の大きな目的としまして、これまで東門には社号碑(神社の名前が入った石碑)がありませんでしたので、これを新たに建立する事が目的の一つでした。
この東門という場所。実は嵯峨天皇さまが「三筆」の筆頭と讃えられるのは、平安宮大内裏の各門の扁額の揮毫を、南門を弘法大師 空海、北門を橘逸勢、そして東門を嵯峨天皇さまが筆を取られた故事から、後に三筆と呼ばれるようになったもので、嵯峨天皇さまを主祭神と戴く当宮にとっては東門は特別な意味をもちます。
そこで弘仁の御代を代表する筆法第一人者が嵯峨天皇さまでいらっしゃるのであれば、令和の御代を代表する書家の方に揮毫をお願いすべきと考え、当宮禰宜の知人を介して、令和の元号を揮毫になられた茂住修身(雅号:菁邨)先生に揮毫をお願いさせて頂き、先生も「素晴らしく、崇高なお話に少しでもお応えしなくては」と敬神の誠心からご快諾下さり、茂住先生の揮毫による社号碑を建立する運びとなりました。
そして本日、令和3年11月10日。見事麗しく、石玉垣、社号碑、また由緒記など当宮東面の改修事業が全て終え、竣工奉祝祭を斎行申し上げました。
当事業にご寄進を頂きました皆々様には、コロナ禍という未曾有の世界的疫病の吹き荒れる中、ご寄進を頂きました事、改めまして厚く御礼申し上げる次第です。また、茂住先生におかれましては、フランスでの個展の準備で大変お忙しい中、ご帰国早々にご参列頂き、本当に恐縮の思いでございました。併せて深謝の思いです。誠に有難うございました。
東門の東という方向は、道真公の「東風吹かば」の歌にあるように陰陽五行で春を表す方向です。コロナ禍という冬を乗り越えて、今を春べと咲くやこの花の如く、ご寄進を頂きました皆様の日々が平穏な春に向かうように、穏やかにあられますよう祈念致しますと共に、コロナ禍まだ燻り続けている現状、何よりもご健康をお祈り申し上げる次第です。