5月15日。神山町の当宮御本社の末社、喜多埜稲荷神社と白龍社の例祭の方、滞りなくお納め申し上げました。
昭和40年代頃までは近隣に自営業の方も多くおられた為、商売繁盛を祈念して賑やかに執り行われたそうですが、現在は氏子の方のご参列のお申し出も無い為、神職のみの神事奉仕となっており、梅田の街中とは思えないのどかな神事となっております。
どういった謂れでこの5月15日が例祭日になったのか等の記録は戦災の為残っていませんが、ちょうど田植えの時期でもある事から、梅田が農村だった時代、この頃に豊作祈願などが行われていた名残ではないかと考えられています。
また当宮の御祭神、嵯峨天皇さまともゆかりの深い、賀茂下上社の「葵祭」も同じ15日であり、室町時代に一時的に葵祭の運営費用を、当宮の氏子地域の古称である北野村が負担したという記録もある事から、そのあたりとの関連性も考えられています。
梅田が農村だった名残を今に伝えていると思われるお祭りであり、また梅田の商売や土地家屋を見守り続けている神さまですので、今後とも大切に奉仕を勤めていかなければならないお祭りです。
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昭和40年代頃までは近隣に自営業の方も多くおられた為、商売繁盛を祈念して賑やかに執り行われたそうですが、現在は氏子の方のご参列のお申し出も無い為、神職のみの神事奉仕となっており、梅田の街中とは思えないのどかな神事となっております。
どういった謂れでこの5月15日が例祭日になったのか等の記録は戦災の為残っていませんが、ちょうど田植えの時期でもある事から、梅田が農村だった時代、この頃に豊作祈願などが行われていた名残ではないかと考えられています。
また当宮の御祭神、嵯峨天皇さまともゆかりの深い、賀茂下上社の「葵祭」も同じ15日であり、室町時代に一時的に葵祭の運営費用を、当宮の氏子地域の古称である北野村が負担したという記録もある事から、そのあたりとの関連性も考えられています。
梅田が農村だった名残を今に伝えていると思われるお祭りであり、また梅田の商売や土地家屋を見守り続けている神さまですので、今後とも大切に奉仕を勤めていかなければならないお祭りです。
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