いつのまにか、アリの町のマリア迄、そして自己犠牲とキリストとの関係まで
私は聖書を買った事はあるけれど、確か短大の頃
書店で店員のアルバイトをしていて、その時に聖書を買った
そうしたら、そこの店員の人が「ホテルにあるのを取ってきちゃえばいい」
と言って笑っていた
冗談だとは思ったけれど、あれはどういう意味だったんだろうと、
その時も今も分からない
その人はハンサムで優しい感じの人だった
(つまり、犯罪行為を唆したわけではない、と)
もしかしたら、聖書を買うという行為に一抹の不安を感じた?
それで、茶化した可能性もあるんじゃないかと思った
(ちなみにその聖書も、買っただけで殆ど読んでない、というのがいかにも、の私です)
私はキリスト教に限らず、宗教的なものが嫌いではない
でも、何の宗教でも(入って)ない。(家は真言宗ですが)
私は昔NHKでやった「永平寺」の修行の番組を見て
えらい惹かれました (NHKより↓)
-----------------------------------------
NHK特集 永平寺
放送期間 1977年
主な出演者 鈴木祖光、倉田秀保、加藤黙堂、中村信光、杉本光世、加藤誠一
番組詳細
福井県にある吉祥山永平寺は、道元禅師(1200-1253)により開かれた曹洞宗の大本山で、参禅道場である。道元は修行を「只管打坐」(しかんたざ=ただひたすらに座ること)と説き、日々の生活一つ一つが修行だと教えた。番組では山内にカメラを持ち込み、厳しい寒さの中で修行を続ける雲水の姿を中心に、永平寺の冬を紹介。1977年(昭和52年)第29回イタリア賞(ドキュメンタリー部門)を受賞。
-----------------------------------------
そうしたら、この間BSでアーカイブスとかいうの、
昔の名番組を放送していて、うまい具合にその懐かしくも貴重な
永平寺の修行僧のを再放送していて、喜々として録画しました
特に好きなのが食事シーン
タクアンとお粥と味噌汁の質素過ぎる食事
あれで、大抵の栄養を必要としている若い修行僧は
脚気になるそうです
でも、しばらくすると身体が慣れるそうですが、
シーンと静まり返った寺に、雪深い寒さに凍えるような生活で
でも、何だかいいなぁーって。
そう言えば、この間オードリーヘップバーンの「尼僧物語」も見た
何となくそういうのが好きなんですね、昔から
「鈴木大拙」の「禅とは何か」という本も20代で買った覚えがあるし
本当の宗教オタクならぬ、一種の興味心ですか
きっとそこに「何かあるに違いない」という期待みたいなものがあるんでしょう
私は「対人恐怖症」のような人で、そこから抜け出したいという願望とか
でも、きっとそれだけではないでしょう
聖人君子に憧れているのかも知れないし
私の母は宗教大嫌いの人ですから、これは正反対の感覚ですが
その昔、私が小学生の頃、近くに教会がありまして
尼さんの教会だから修道院ですかね?
そこの日曜学校に、近所の友達に誘われて行ったわけです
何度か行きました、数は多くはなかったですが
何故なら、母に教会に行っている事がわかり、行くな、と止められ
おとなしい?私はそのまま逆らわずに行くのを止めましたから
「父と子と聖霊の御名によってアーメン」という十字の切り方をおそわりましたし
クリスマスには踊りがあって、「赤~い鹿の子のお振袖~」
と、尼さんに踊りを教わったような記憶があります
昔からあまり可愛げのなかった私ですが、一応教えてもらいました
で、そのクリスマス会に出る前に止められたのが残念だったという記憶があります
私は何の宗教と限ったわけではなく、その中に
「何か得るものがあるに違いない」という気持ちがあり
宗教に惹かれるのではないかと思うのですが
ところが、何だか気になる事ばかりあって、
無心に宗教を信じるのは、かなり難しい人みたいです
仏教について、
釈迦は、ノイローゼだったのではないか、と最近思ってしまいます
新聞の宗教欄にいつも坊さん達が書いてます
坊さんばかりではなく、宗教の識者という人達も、です
何が書いてあるか、「煩悩からの解脱」「どうしたら悩みがなくなるか」
「どうしたら死を恐れなくなるか」
私はこれって、ありとあらゆる悩み事をなくそうとしているようにしか見えない
ですが、人間とは動物なんですから、いつも恐れたり、怯えたり
心配しながら生きていく生き物だと思うのです
それが、嫌だからと言って「理想の境地は煩悩からの解脱」であり
「悟りの境地」だなどと、年がら年中書かれた日には
おかしかないかい?と思ってしまうのです
生きている動物を見て下さい
私は猫を飼っていますが、ものに怯えますし、心配もしますし
それこそ、何かあると大変ですし、ストレスにも弱いです
最近「雷で迷子になる犬が多いから気をつけて下さい」という事が言われていますが
やっぱり犬だって同じです
鳥だって同じです
野生動物は、毎日毎日食べるものを得る為に必死で生活していますし、
いつ敵に襲われるかもしれないから、のんびりゆったりなんて無理です
確かに人間以外の動物は、死ぬという事をわからないから
その心配だけはないでしょうが、でも、やっぱり生きるためには大変です
何故、そういう心配や恐れをなくそうと必死になっているのでしょうか、仏教は
無理です
しかも、そんなのは生き物として不自然です
それを何とか心の持ちようで変えていく為にあくせくする宗教が、
仏教なんですかね?
主人は「仏教は哲学なんだよ」と言うのですが、
そもそも私には「哲学」なるものが何なのかわかってないので
仏教は哲学なんだ、と言われても狐につままれた感じしかありません
ただ、知っている事は、釈迦が「不老病死」を願って家を出た?
というような事しか知りません
つまり、釈迦自身が何とかこの苦痛から逃れる道を探しに行ったという事でしょうか
無理なんじゃありませんか、動物なんだから
逃れられないと思いますし、何かを怖がりながら生きるのが動物なんじゃないですかね?
私は怖がりの極地なので、そりゃ、それから逃れる道があれば
それは大変嬉しい事ですが、無理でしょう
今はそう思います
年を取っても、ちっとも悟りなんか開けないし
年を取っても感情はあまり変化ありませんよ、若い時のままです
枯れないし、悟らないし、泰然自若もしません
何も変わらない上に、年を取った分だけ心配が増えるように思います
私の主人や友人は宗教に詳しいですが、私は詳しくないですが
解せない事ばかりです
まして、宗教戦争って何じゃい?です
宗教について何も知らない私が宗教の「批判」というか「疑問を呈して」いるのは
不遜か傲慢か、あるいは、素朴な感情かはわかりませんが
私の直感は結構いけるんです
五感の他の第六感?
この第六感というものは、そういい加減なものではないらしいのです
総合的に判断して、一瞬にして出る結論、みたいなもの?
ですか?ウィキペディアにありました↓
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第六感(だいろっかん、sixth sense)とは、基本的に、五感以外のもので五感を超えるものを指しており[1]、理屈では説明しがたい、鋭くものごとの本質をつかむ心の働きのことである
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ですね
たった一本芽を出したヘブンリーブルーが倒れた
育つかどうか微妙で、わかりません
私は聖書を買った事はあるけれど、確か短大の頃
書店で店員のアルバイトをしていて、その時に聖書を買った
そうしたら、そこの店員の人が「ホテルにあるのを取ってきちゃえばいい」
と言って笑っていた
冗談だとは思ったけれど、あれはどういう意味だったんだろうと、
その時も今も分からない
その人はハンサムで優しい感じの人だった
(つまり、犯罪行為を唆したわけではない、と)
もしかしたら、聖書を買うという行為に一抹の不安を感じた?
それで、茶化した可能性もあるんじゃないかと思った
(ちなみにその聖書も、買っただけで殆ど読んでない、というのがいかにも、の私です)
私はキリスト教に限らず、宗教的なものが嫌いではない
でも、何の宗教でも(入って)ない。(家は真言宗ですが)
私は昔NHKでやった「永平寺」の修行の番組を見て
えらい惹かれました (NHKより↓)
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NHK特集 永平寺
放送期間 1977年
主な出演者 鈴木祖光、倉田秀保、加藤黙堂、中村信光、杉本光世、加藤誠一
番組詳細
福井県にある吉祥山永平寺は、道元禅師(1200-1253)により開かれた曹洞宗の大本山で、参禅道場である。道元は修行を「只管打坐」(しかんたざ=ただひたすらに座ること)と説き、日々の生活一つ一つが修行だと教えた。番組では山内にカメラを持ち込み、厳しい寒さの中で修行を続ける雲水の姿を中心に、永平寺の冬を紹介。1977年(昭和52年)第29回イタリア賞(ドキュメンタリー部門)を受賞。
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そうしたら、この間BSでアーカイブスとかいうの、
昔の名番組を放送していて、うまい具合にその懐かしくも貴重な
永平寺の修行僧のを再放送していて、喜々として録画しました
特に好きなのが食事シーン
タクアンとお粥と味噌汁の質素過ぎる食事
あれで、大抵の栄養を必要としている若い修行僧は
脚気になるそうです
でも、しばらくすると身体が慣れるそうですが、
シーンと静まり返った寺に、雪深い寒さに凍えるような生活で
でも、何だかいいなぁーって。
そう言えば、この間オードリーヘップバーンの「尼僧物語」も見た
何となくそういうのが好きなんですね、昔から
「鈴木大拙」の「禅とは何か」という本も20代で買った覚えがあるし
本当の宗教オタクならぬ、一種の興味心ですか
きっとそこに「何かあるに違いない」という期待みたいなものがあるんでしょう
私は「対人恐怖症」のような人で、そこから抜け出したいという願望とか
でも、きっとそれだけではないでしょう
聖人君子に憧れているのかも知れないし
私の母は宗教大嫌いの人ですから、これは正反対の感覚ですが
その昔、私が小学生の頃、近くに教会がありまして
尼さんの教会だから修道院ですかね?
そこの日曜学校に、近所の友達に誘われて行ったわけです
何度か行きました、数は多くはなかったですが
何故なら、母に教会に行っている事がわかり、行くな、と止められ
おとなしい?私はそのまま逆らわずに行くのを止めましたから
「父と子と聖霊の御名によってアーメン」という十字の切り方をおそわりましたし
クリスマスには踊りがあって、「赤~い鹿の子のお振袖~」
と、尼さんに踊りを教わったような記憶があります
昔からあまり可愛げのなかった私ですが、一応教えてもらいました
で、そのクリスマス会に出る前に止められたのが残念だったという記憶があります
私は何の宗教と限ったわけではなく、その中に
「何か得るものがあるに違いない」という気持ちがあり
宗教に惹かれるのではないかと思うのですが
ところが、何だか気になる事ばかりあって、
無心に宗教を信じるのは、かなり難しい人みたいです
仏教について、
釈迦は、ノイローゼだったのではないか、と最近思ってしまいます
新聞の宗教欄にいつも坊さん達が書いてます
坊さんばかりではなく、宗教の識者という人達も、です
何が書いてあるか、「煩悩からの解脱」「どうしたら悩みがなくなるか」
「どうしたら死を恐れなくなるか」
私はこれって、ありとあらゆる悩み事をなくそうとしているようにしか見えない
ですが、人間とは動物なんですから、いつも恐れたり、怯えたり
心配しながら生きていく生き物だと思うのです
それが、嫌だからと言って「理想の境地は煩悩からの解脱」であり
「悟りの境地」だなどと、年がら年中書かれた日には
おかしかないかい?と思ってしまうのです
生きている動物を見て下さい
私は猫を飼っていますが、ものに怯えますし、心配もしますし
それこそ、何かあると大変ですし、ストレスにも弱いです
最近「雷で迷子になる犬が多いから気をつけて下さい」という事が言われていますが
やっぱり犬だって同じです
鳥だって同じです
野生動物は、毎日毎日食べるものを得る為に必死で生活していますし、
いつ敵に襲われるかもしれないから、のんびりゆったりなんて無理です
確かに人間以外の動物は、死ぬという事をわからないから
その心配だけはないでしょうが、でも、やっぱり生きるためには大変です
何故、そういう心配や恐れをなくそうと必死になっているのでしょうか、仏教は
無理です
しかも、そんなのは生き物として不自然です
それを何とか心の持ちようで変えていく為にあくせくする宗教が、
仏教なんですかね?
主人は「仏教は哲学なんだよ」と言うのですが、
そもそも私には「哲学」なるものが何なのかわかってないので
仏教は哲学なんだ、と言われても狐につままれた感じしかありません
ただ、知っている事は、釈迦が「不老病死」を願って家を出た?
というような事しか知りません
つまり、釈迦自身が何とかこの苦痛から逃れる道を探しに行ったという事でしょうか
無理なんじゃありませんか、動物なんだから
逃れられないと思いますし、何かを怖がりながら生きるのが動物なんじゃないですかね?
私は怖がりの極地なので、そりゃ、それから逃れる道があれば
それは大変嬉しい事ですが、無理でしょう
今はそう思います
年を取っても、ちっとも悟りなんか開けないし
年を取っても感情はあまり変化ありませんよ、若い時のままです
枯れないし、悟らないし、泰然自若もしません
何も変わらない上に、年を取った分だけ心配が増えるように思います
私の主人や友人は宗教に詳しいですが、私は詳しくないですが
解せない事ばかりです
まして、宗教戦争って何じゃい?です
宗教について何も知らない私が宗教の「批判」というか「疑問を呈して」いるのは
不遜か傲慢か、あるいは、素朴な感情かはわかりませんが
私の直感は結構いけるんです
五感の他の第六感?
この第六感というものは、そういい加減なものではないらしいのです
総合的に判断して、一瞬にして出る結論、みたいなもの?
ですか?ウィキペディアにありました↓
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第六感(だいろっかん、sixth sense)とは、基本的に、五感以外のもので五感を超えるものを指しており[1]、理屈では説明しがたい、鋭くものごとの本質をつかむ心の働きのことである
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ですね
たった一本芽を出したヘブンリーブルーが倒れた
育つかどうか微妙で、わかりません