以前イラクの人質事件の時に、「自己責任論」が、大きな話題となり、
人質となった人達への相当数のバッシングが起きました
私も当時、「遊び半分で行ったのではないか」とか
「はた迷惑な人達だ」という感想を少なからず持ちました
何故か?
そういう論調の新聞だか世論だかがあって、
それに同調した部分はあったようにも思います
しばらくして、それに関しての幾つかの訂正というか
違う観点からというか、そういうようなものも読みました
その内に、こんな「自己責任論」が蔓延するのは日本だけだ
そういうような文章も見るようになりました
又、当時の解放された三人の人達が、その後どのような気持ちだったか
どんな酷い仕打ちを受けたかなども読みました
私が家族の誰も協力なく一人での母の介護などで体を壊して入院した時に
そのような家族の事を言ったら、そこの30才前後のリハビリの理学療法士の男性が
「(あなたが)好きでやったんですね」と言った言葉に唖然としました
そういう「考え方」をし、そういう言い方をする世の中になったのか、と
「自己責任」という内容の言葉を私が使われたのです
色々な事を見聞きし、やがて「自己責任」という言葉が嫌いになりました
そうして、今回の人質事件がありました
安倍首相の立場は明らかな(人質の)「自己責任」でした
自己責任という言葉の後ろに何があるか
決していいものはありません
まず、「悪人」がいます
「騙された人」がいます
「捉えられた人」がいます
「犠牲になった人」がいます
「騙された方が悪い」
「捉えられる(ような場所に行った)人が悪い」
「犠牲になった人(うかつだった、とか?)が悪い」
つまり、「悪人」はいない
犠牲者だけがいて、その(不注意な)犠牲者が悪い
これは、悪人を擁護し、他者への救助すら拒む冷酷な考え方です
そして、今回調べてわかった事は、イラクの人質事件の時に「裏に」何があったか
つまり「自己責任論」を発したのは、政府の側だったという話です
為政者に都合のいい論理、まやかしの論理が「自己責任論」だという話なのです
私が感じた自己責任論のおかしさ、不自然さの裏にあるものは
傍の人間の非情さに他ならなかった
だから今回の人質事件の時に、自己責任論は大手を振って罷り通る事はなかった
一部出てきた自己責任論は、大きな声にはならなかった
その欺瞞に気づいた人が少なからずいたからなのだと思います
そして10月に後藤さんが捉えられ、奥さんのところにメールが来て
当然政府は奥さんからその情報を得ていた
しかし、安倍首相は例によって「自己責任論」を盾に
その交渉に力を入れず、ある意味放置した
世論は「自己責任論」で、「危険な地域に行った人質が悪い」と、
この前の時のように、世論によって人質が責められると踏んだのかもしれません
ところが、事情は変わっていた
もう、その政府主導の自己責任論に惑わされなくなった人達は
「人質を救って」と言う
ところが時既に遅く、水面下の交渉を放棄した上に
中東に行って啖呵を切ってきた首相の為に、
アメリカに阿った人質対策の無策の為に、
後藤さんたちは殺されてしまった
もう私達は自己責任論には騙されません
でも、もう遅かったのです
今も首相は強弁をふるい、新たな犠牲者が出かねない自己弁護に終始しています
自分が何をし、何を言っているかの自覚のない、
上に立つ人とも思われない言動が続きます
人質となった人達への相当数のバッシングが起きました
私も当時、「遊び半分で行ったのではないか」とか
「はた迷惑な人達だ」という感想を少なからず持ちました
何故か?
そういう論調の新聞だか世論だかがあって、
それに同調した部分はあったようにも思います
しばらくして、それに関しての幾つかの訂正というか
違う観点からというか、そういうようなものも読みました
その内に、こんな「自己責任論」が蔓延するのは日本だけだ
そういうような文章も見るようになりました
又、当時の解放された三人の人達が、その後どのような気持ちだったか
どんな酷い仕打ちを受けたかなども読みました
私が家族の誰も協力なく一人での母の介護などで体を壊して入院した時に
そのような家族の事を言ったら、そこの30才前後のリハビリの理学療法士の男性が
「(あなたが)好きでやったんですね」と言った言葉に唖然としました
そういう「考え方」をし、そういう言い方をする世の中になったのか、と
「自己責任」という内容の言葉を私が使われたのです
色々な事を見聞きし、やがて「自己責任」という言葉が嫌いになりました
そうして、今回の人質事件がありました
安倍首相の立場は明らかな(人質の)「自己責任」でした
自己責任という言葉の後ろに何があるか
決していいものはありません
まず、「悪人」がいます
「騙された人」がいます
「捉えられた人」がいます
「犠牲になった人」がいます
「騙された方が悪い」
「捉えられる(ような場所に行った)人が悪い」
「犠牲になった人(うかつだった、とか?)が悪い」
つまり、「悪人」はいない
犠牲者だけがいて、その(不注意な)犠牲者が悪い
これは、悪人を擁護し、他者への救助すら拒む冷酷な考え方です
そして、今回調べてわかった事は、イラクの人質事件の時に「裏に」何があったか
つまり「自己責任論」を発したのは、政府の側だったという話です
為政者に都合のいい論理、まやかしの論理が「自己責任論」だという話なのです
私が感じた自己責任論のおかしさ、不自然さの裏にあるものは
傍の人間の非情さに他ならなかった
だから今回の人質事件の時に、自己責任論は大手を振って罷り通る事はなかった
一部出てきた自己責任論は、大きな声にはならなかった
その欺瞞に気づいた人が少なからずいたからなのだと思います
そして10月に後藤さんが捉えられ、奥さんのところにメールが来て
当然政府は奥さんからその情報を得ていた
しかし、安倍首相は例によって「自己責任論」を盾に
その交渉に力を入れず、ある意味放置した
世論は「自己責任論」で、「危険な地域に行った人質が悪い」と、
この前の時のように、世論によって人質が責められると踏んだのかもしれません
ところが、事情は変わっていた
もう、その政府主導の自己責任論に惑わされなくなった人達は
「人質を救って」と言う
ところが時既に遅く、水面下の交渉を放棄した上に
中東に行って啖呵を切ってきた首相の為に、
アメリカに阿った人質対策の無策の為に、
後藤さんたちは殺されてしまった
もう私達は自己責任論には騙されません
でも、もう遅かったのです
今も首相は強弁をふるい、新たな犠牲者が出かねない自己弁護に終始しています
自分が何をし、何を言っているかの自覚のない、
上に立つ人とも思われない言動が続きます