いつもお世話様です。生徒指導について続けてみます。
生徒指導の意義や目標は相手の子どもの自立と自律の生活を促すことでした。これは何度も繰り返していますが、忘れることはできない基本的な考え方です。
現実の学校では、この基本的なことが十分に意識されないままに「生徒指導」と言う言葉だけが先走りしてしまって、生徒指導は、生徒を校則や規則に従われせるための活動ととらえられてしまって、こわもての権威主義的な人が行う活動のようになってしまっているのが現実かと思われます。この点から、学校現場でのいろいろな指導者による問題も多く起こってしまっているようです。
規則等を守る指導も、大切な指導ではありますが、それが生徒指導の中心的な活動になってしまっては、生徒指導の理念も十分に生かせない、偏った指導になると思います。日本の国は、伝統的に権威主義的な要素が強く残っていますので、そうなること多くあると思われます。
生徒指導は「ガイダンス」の考え方が浸透して、様々な基本的理論の側面や知識・技術がもっと重視されると、個々の生徒を本来的に伸ばせる学校教育になると思われますが、現実は残念な部分が多いようにも思われます。
生徒指導の内容、すなわちもっと理論的に的確に生徒の伸張を図る方法等がはっきりしていませんので、何をやれば本来的なガイダンスとしての生徒指導になるのか、学校全体での共通理解もあまりありませんので、曖昧模糊とした規律指導に終始するという形になっていると思われます。
さて、最も簡単に、生徒指導の意味について記してみたいと思います。これは学校ばかりではありませんが、いろいろな組織で、社会生活の中で、例えば二人の人間が相互にかかわって、例えばそれが年長者と年少者の関係であれば、このかかわり、人間関係の中、ふれあいの中で年少者がさらに意欲的になり、前向きに生活するようになり、その年少者の能力を伸ばすような活動ができたとしたら、それは一番良い生徒指導の活動であると思います。
学校の中には、いろいろな生徒がいますから、例えば問題行動の多い生徒、意欲の低い生徒、発達系の障害も持っていると思われる生徒などに対して、それぞれの生徒との人間関係を積み重ねることで、生徒の伸張を図ることができたら、それは生徒指導の基本的な目標を達成したといってもよいと考えられます。
但し、子どもは発達過程の中にいますので、次の課題もすぐに表れてきますので、継続的に生徒指導を行うというのが基本になると思います。
先生・支援者と接することで、対象の生徒が元気になり、それまで以上に前向きに正しい方向に活動しようとするようになり、それこそ、自分の考えと足で活動していくようになれば生徒指導の実践として素晴らしい活動と言えるとおもいます。
但し、この活動は学校の中で目立たず、あまり取り立てて取り上げられることもなく、その活動を行っている人が賞賛されるわけでもなく、普通に進んでいくのが現実です。でもこの活動が一番大切な活動だと思われます。
非行の生徒が立ち直っていく、不登校の生徒が再登校するようになる、意欲の低い子がその子なりに学習に取り組むようになる。これらの裏側には、よく見ると必ず、本来の生徒指導を着実に行っている人がいるのを見つけることができると思います。権威主義の人が感情的に怒ったり、大声を出したりしていることが生徒指導の進展につながっているというわけでもないと思われます。
子どもがよい方に向かっていく活動に着目して、何をどのように行っていることが結果につながっているかを明らかにすれば、自然に生徒指導の内容が明らかになると思われます。
それを明確化・理論化して、それぞれの現場で着実に実践していくことが子どもを伸ばす原動力になると思われます。一番大切なのは、支援者・教職員の人間関係能力だと思われます。それぞれの生徒との間に信頼関係を作り、適切に子どもと言葉を交流し、その中から、子ども自身が大切なことに気づき、自己の目標を設定することができ、その目標の実現に向かって意欲的に歩む過程を作り出せることが生徒指導の能力であると考えられます。
このような過程を形成するための活動が生徒指導ではないかと考えているところです。
今回はここまでにさせていただきます。次回以降も生徒指導のもろもろに触れながら何をどのように行うかについて記してみたいと思います。また、人間関係能力のことにも触れてみたいと思います。またみていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。では、また。
生徒指導の意義や目標は相手の子どもの自立と自律の生活を促すことでした。これは何度も繰り返していますが、忘れることはできない基本的な考え方です。
現実の学校では、この基本的なことが十分に意識されないままに「生徒指導」と言う言葉だけが先走りしてしまって、生徒指導は、生徒を校則や規則に従われせるための活動ととらえられてしまって、こわもての権威主義的な人が行う活動のようになってしまっているのが現実かと思われます。この点から、学校現場でのいろいろな指導者による問題も多く起こってしまっているようです。
規則等を守る指導も、大切な指導ではありますが、それが生徒指導の中心的な活動になってしまっては、生徒指導の理念も十分に生かせない、偏った指導になると思います。日本の国は、伝統的に権威主義的な要素が強く残っていますので、そうなること多くあると思われます。
生徒指導は「ガイダンス」の考え方が浸透して、様々な基本的理論の側面や知識・技術がもっと重視されると、個々の生徒を本来的に伸ばせる学校教育になると思われますが、現実は残念な部分が多いようにも思われます。
生徒指導の内容、すなわちもっと理論的に的確に生徒の伸張を図る方法等がはっきりしていませんので、何をやれば本来的なガイダンスとしての生徒指導になるのか、学校全体での共通理解もあまりありませんので、曖昧模糊とした規律指導に終始するという形になっていると思われます。
さて、最も簡単に、生徒指導の意味について記してみたいと思います。これは学校ばかりではありませんが、いろいろな組織で、社会生活の中で、例えば二人の人間が相互にかかわって、例えばそれが年長者と年少者の関係であれば、このかかわり、人間関係の中、ふれあいの中で年少者がさらに意欲的になり、前向きに生活するようになり、その年少者の能力を伸ばすような活動ができたとしたら、それは一番良い生徒指導の活動であると思います。
学校の中には、いろいろな生徒がいますから、例えば問題行動の多い生徒、意欲の低い生徒、発達系の障害も持っていると思われる生徒などに対して、それぞれの生徒との人間関係を積み重ねることで、生徒の伸張を図ることができたら、それは生徒指導の基本的な目標を達成したといってもよいと考えられます。
但し、子どもは発達過程の中にいますので、次の課題もすぐに表れてきますので、継続的に生徒指導を行うというのが基本になると思います。
先生・支援者と接することで、対象の生徒が元気になり、それまで以上に前向きに正しい方向に活動しようとするようになり、それこそ、自分の考えと足で活動していくようになれば生徒指導の実践として素晴らしい活動と言えるとおもいます。
但し、この活動は学校の中で目立たず、あまり取り立てて取り上げられることもなく、その活動を行っている人が賞賛されるわけでもなく、普通に進んでいくのが現実です。でもこの活動が一番大切な活動だと思われます。
非行の生徒が立ち直っていく、不登校の生徒が再登校するようになる、意欲の低い子がその子なりに学習に取り組むようになる。これらの裏側には、よく見ると必ず、本来の生徒指導を着実に行っている人がいるのを見つけることができると思います。権威主義の人が感情的に怒ったり、大声を出したりしていることが生徒指導の進展につながっているというわけでもないと思われます。
子どもがよい方に向かっていく活動に着目して、何をどのように行っていることが結果につながっているかを明らかにすれば、自然に生徒指導の内容が明らかになると思われます。
それを明確化・理論化して、それぞれの現場で着実に実践していくことが子どもを伸ばす原動力になると思われます。一番大切なのは、支援者・教職員の人間関係能力だと思われます。それぞれの生徒との間に信頼関係を作り、適切に子どもと言葉を交流し、その中から、子ども自身が大切なことに気づき、自己の目標を設定することができ、その目標の実現に向かって意欲的に歩む過程を作り出せることが生徒指導の能力であると考えられます。
このような過程を形成するための活動が生徒指導ではないかと考えているところです。
今回はここまでにさせていただきます。次回以降も生徒指導のもろもろに触れながら何をどのように行うかについて記してみたいと思います。また、人間関係能力のことにも触れてみたいと思います。またみていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。では、また。
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