気ままに健康で楽しく生きる。そして、天寿120歳を目指す。
今年も無事に終えられそうで何より。
お鏡餅もつき、餡コロ餅も丸め終わり、
正月飾りも整えて、自分なりの新年を
正しく迎える準備はできた。
たくさんあるお餅は、冷凍して置いて
春までボチボチ食べる。
春には春でヨモギを摘んでは、たくさ
んの餅をついておいて秋まで食べる。
先日、お鏡を1升5合、小餅を同量の
合計3升つきましたが、餅つき機と餅
切機があると非常に簡単で便利です。
しかし、いまだ掃除が残っていて、掃
除機などは軽い埃を吸うだけなので、
廊下や階段等々の拭き掃除をしないと
スッキリしない。
神棚を置いている和室だけは、畳の拭
き掃除までやりますが、意外に汚れて
いるもので、硬く絞った雑巾で繊維の
目に沿って拭くと綺麗になるが、冬の
水仕事は嫌なもんだ。
さて、世間はどうあれ穏やかな1年だ
ったし、歓迎すべき変化もあった。
来年は、どうなるかは分からないが、
生活習慣や思想の積み重ねが、人生の
分岐点の行方を決めると断言できるが、
コロナも一つの分岐点だった。
お釈迦様の言う、生老病死の苦を体現
する者は、増えたのではないか。
だからこそ、断舎利が増え、改まる何
かも増えてくる。
一難去って次の難が目前に在るのか無
いのか。自分が正しければ、分相応の
明るい未来に向かうだけ。
高級洋菓子も良いが、自分で丸めた丸
餅を焼いて食うと、ことさら美味い。
今年1年、見る者の少ない拙ブログを
訪れて頂いた皆様、どうも有難うござ
いました。
良いお年をお迎えください。
ではでは。
人間には、エネルギーを与えるタイ
プの者と、エネルギーを他者から奪う
タイプの者がいるようだ。
双方のバランスが取れているのが普通
だと思われるが、それが極端だと露骨
に見える。
既にその発露は、赤ん坊から始まって
いて、よく笑う子と泣き叫ぶ子がいる
が、親の影響に相違ない。
子供に元気を与える教育者がいる反面
で、アレコレと制限を与えてやる気を
削ぐのもいる。
人が集まれば元気になる者と調子が狂
う者とがある。
まあ、そういう他者からエネルギーを
奪い吸うタイプがいるのは確かなよう
で、今は亡きシャンタンさんに元気を
貰ったという話はある。
会ったことは無いが、氏の動画を見な
がら体をユラユラさせるとポカポカし
てくるというものが、あったように思
い出される。
そういう目線でスピリチュアル界隈を
見てみると、意外と面白いのではない
だろうか。
ちなみに、他者から生命エネルギーを
吸って元気になるタイプを吸血鬼とも
言うらしい。政治家なんて皆、吸血鬼
みたいなもんだ。
さて、世の中において、ある地位にあ
る人達が、最後には「胎教」から始め
ないと手遅れという考えに至っている
場合がある。
それは、極端ともいえるが、ハッキリ
言って頭の凝り固まった大人は、そう
いう人達にとっては、もうウンザリと
いう結論なのだろうと思われる。
身近では、子供のアトピーも自閉症も
様々な問題行動も、両親が原因なのに、
それを知らない人がまだまだ多い。
結婚する時点でそのリスクを考え学ば
ないと、親子縁者間で長期間の苦痛を
味わうことになる。
暴言を吐く妊婦や幼稚園児に口汚く怒
鳴る親が、令和の現在においてもいる
のだから、驚くしかない。
上の著書は、20年以上前に出版され
た「赤ちゃんの進化学」ですが、そこ
にはアレルギーの原因が記されていて、
子育ての重要性が書かれているが、世
間で周知されている訳ではない。
当時から自己免疫疾患の難病治療で有
名だった著者である西原医師。今では
現役を退いておられるようで、妊娠出
産子育中の人であれば、参考とすべき
医師の一人なので、氏の著書には当た
って見るべきかと。
まあ、すでに出来上がった大人は、は
っきり言ってどうでもいいと、故安岡
正篤氏も言っているが、同感だ。
吾輩も、実は、笑えない大人であるし、
世間では一人前とは見られない独身で
未婚で子無しで、さらに低所得者なの
で、現実に変な目で見られることもあ
るが、そういう親達を見ると残念な気
持ちにさせられる。
アレルギー、アトピー、発達障害に自
閉症、引き籠りは、親が原因だが世間
も悪い。
親になるのであれば、親になるための
学びは必要だろうに。
また、自閉症や引き籠りは、男児に多
く、母親の過干渉と父親の無関心とい
う家庭に多いという傾向があると聞い
たことがあるが、特に、妊娠中の母親
の怒りが、胎児に悪影響をもたらすそ
うだ。
残念なのは、有識者や一部のエリート
間で情報が共有されるからといっても、
国民全員に周知されないということだ
ろうか。
そんな者らが、日本の上層部に跋扈し
ているのでは、グレートリセットもよ
り衝撃的になるのかも知れない。
世界は既に混乱しているが、他国のこ
とはどうでもよろしい、日本は日本で
国民の二枚舌は問題だ。
その舌を噛んだら、さぞ痛かろうよ。
まあ、吾輩の24年度は、良い未来と
決まっているのでどうでもいい。
ただ、少しは与えられる者でいたいと
思う次第。
ではでは。
先日早朝でのこと。
ベランダに出て、正中心簡易強健術を
始めて早々、頭上を見上げた際に、空
の小さな雲片が、キラキラしているの
で見ていると、虹色に変化し始めた。
急いでスマホを取りに戻り、勢い撮影
するが、間一髪間合った。
撮影後すぐに虹も雲も消えてしまった。
ほんの1分程度の出来事で驚いた訳で、
「こりゃ、良いことが起きる前兆だな」
と考える。
まあ、偶然だと言ってしまえば楽しく
ないし、年に2回程度は虹を見ること
があるが、それらとは少し違う現象だ。
UFOが、擬態するという話もあるが、
さて、どうか?。
強健術は、真上を見る動作があるので
気が付いた訳ですが、タイミングがド
ンピシャ。見るべくして見た🌈。
一昨日、年末ジャンボ宝くじを買った
ばかりだ・・・何も言うまい。笑
まあ、吾輩なりのスピリチュアルとい
うことで。
ところで、政治とカネがグズグズな日
本政治。特捜が安倍派を追い詰めてる
というんだが、いつものようにアメリ
カ様の命令だろう。
日本人の自立気運というのは、叩いて
おきたいし、茹でガエルにしておきた
いから参政党もあの有様になる。
また、親中派も調整組も根を絶って、
アメリカに従う犬にしたい。
アベッチが公然と暗殺される姿を見せ
つけられては、歯向かうことなどでき
るはずは無いのだ。
そんな中、頭にきたのだろう、田中真
紀子氏が、吠え出した。
親父角栄の列島改造論が注目されてい
るというんだが、背後には経済界がい
るのだろう。
ちなみに、日本は、内需国である。
非上場の大多数の企業は、日本国土の
需要拡大と改造復興を望んでいるはず。
外人が、食い散らかすインバウンドな
ど本意ではない。
補助金にたかる左翼マスゴミやインテ
リは、医療と教育を食い物にしながら、
永年に渡って土木建設を叩いてきたが、
風向きが変わると見える。
精神世界では、国津神や先祖霊が護国
に動き出していると言われているが、
来年は、全国から草々が立ち上がり始
める。円高に向かうのか?
田中真紀子氏は、日本政治の隅から隅
まで知っている数少ない毒吐き女だか
ら、面白くもなる。
来年からは、今までよりも社会から毒
が出ると見ているが、そういう時機に
来ている。嫌気がさして職を辞す人が
さらに増えそうだ。
人手不足に拍車がかかるが、機械化が
進む原動力になる。
ところで、今現在、リラックスした生
活を送っているが、不安が無い訳じゃ
ない。来年24年から25年は、未来
への方針固めの年と考えているし、同
時進行で、体を整え鍛え始めている。
自分の可能性を探るにも時間は必要だ。
人生50年とは、遠い昔の話で、これ
からは、50歳代になれば、これから
の50年をどう生きるのかという選択
を迫られる時代になる。
人は、自身の肉体と実相を見つめつつ、
脳で思考し、魂に訴えかける、三位一
体の審神者であらねばならぬ。
ちょと偉そうかな? 笑
ではでは。
あまり遠方ばかりにとらわれている
と近場の良さを忘れがちになるという
のは人のサガ。
遠出は、時間もお金も掛かるので、こ
このところは明石の海に出かけている。
自宅から20分で到着し、駐車場も1
時間で100円、トイレもあるので快
適に過ごすことができる。
しかし、明石海峡の沿岸エリアでシー
カヤックなんてほとんど見ない。
パドルボードSUPをしている人が何人
かいるが、アレは微妙だよ。笑
そもそも、マイナーなスポーツで、そ
れぞれが個で動き、まして冬ともなれ
ば、海水が冷たくなり、ひっくり返る
と怖いという未熟者も多いので、尚更、
海に出なくなる。だから、余計に出会
うことも無いという感じか。
まあ、観光地に行けば多少はいるのだ
ろうが、先月行った浦富海岸にはいな
かったな。
逆に、サーファーやウインドの連中は、
うねりが入ったり、風が出て海が荒れ
ると、冬だろうがワラワラと集まって
来る。若者からおじさんまで元気なも
んだよ。
さて、最近では、松江海岸から出艇し
て江井島海岸までの片道約5キロをシ
ーカヤックで往復して楽しんでいる。
2時間程度の行程だ。
海岸沖に張られた海苔網の横を沿いな
がら、淡路島、家島群島、小豆島を眺
めつつ漕ぎ進むが、風の少ない晴れ間
で漕ぐのは爽快だ。
逆潮で向かい風で波が出ると少し厄介
になるが、人力には限界がある。
若い頃は、そのまま岡山までキャンプ
しながら漕いだものですが、1日10
時間60キロを漕いだことがある。
もう、そんな体力も気力も無い。
2~3時間も楽しめれば十分心は満た
される。
ひとしきり漕いで浜に上がる前に、ブ
レスやロールを何度か繰り返してスキ
ルチェックは欠かさない。
その後は、ノンアルコールビールで海
に乾杯終了となる。
ところで、都会とは土地が少ないので、
海で遊ぶにしても駐車できる場所が非
常に少ない。だから週末ともなれば駐
車場は一杯で、大阪や京都辺りからも
人はやって来る。
明石海峡は、晴れると意外に景色がよ
ろしくて、釣りをする者や砂浜を散策
する家族やバーベキューをするグルー
プやマリンスポーツに興じる者が様々
にいて楽しんでいる。
公有地が、土木や管理優先でない公に
整備解放されることを希望したい。
日本は、技術と努力で良くした環境下
で、どう楽しむかが欠けているな。
明石海峡においては海水はとても綺麗
になった。魚の多かった子供の頃の海
岸は、ヘドロ状態だったと記憶してい
るが、40年以上前のこと。
ちなみに、明石と言えば、ちょっと知
られた海苔の漁場だ。
寿司やお握りで使う基の板海苔を生産
しているが、海岸沖合にはびっちりと
海苔網が張られていて、毎日のように
潜船が海苔を刈っている。
色が黒く口解けが良くて香り良い海苔
は高級店へ出荷され、色が薄く硬くて
不味い海苔はコンビニが買って行く。
冬は、寒い方が海苔には良く、暖冬で
はダメになるという。
まあ、高級品なんて全部、東京や大阪
に行ってしまうのだろう。
昨今は、漁獲量が減り、鯛やタコやメ
バルさえも気軽に買えなくなる時代。
先日は、養殖鯛のアラを300円で買
ったところだが、小さな痩せた鯛が一
尾2000円はないだろうよ。
年末は、奮発して魚秀の焼鯛を買って
頂くとしょうか。
ではでは。
今年も早12月。ぼちぼちと正月の
準備ということで、お飾りを探してい
たら、蘇民将来お飾り風の手ぬぐいを
見つけたので迷わず買ってしまう。
こちら、伊勢二見の羊羹屋さん五十鈴
勢語庵で売られてるものですが、塩羊
羹も中々よろしいお味です。
暮れ辺りから、これを室内で暖簾代わ
りに掛けるとしよう。お伊勢気分も味
わえるし、スサノオ神とは縁を感じる。
本物の大きな飾りは高価なので、いつ
も通り玄関飾りは地元のものでいい。
次いで、添加物まみれではあるが、正
月用に冷凍お節を注文した。
たまになら、毒も承知で食えば、体に
は悪くとも、気は心で打ち消し合って
霧散すると思って食うべし。
酒も同じで、楽しさを優先させる。
無農薬無化学肥料で栽培された酒米で
醸された寺田屋本家さんの純米酒も正
月用に注文したし、麹も頼んだので、
甘酒と発酵あんころ餅も作りたい。
ちなみに、蘇民将来伝説とは、日本の
物語のようでそうではない。
日本人のルーツは、エジプト、ギリシ
ャ、イランなどの中東地域にあるとい
うこと。
それ以前の縄文にまで遡りたい人はい
るが、それはそれで区切りたい。
列島には、牛はいなかったし、信仰は
長い年月をかけて中東で発展したもの。
当然ながら、ユダヤ教徒や原始キリス
ト教徒、もっと古いゾロアスター教も
関わって来る。
そして、日本の祭りは、塩を盛り、や
たらと火を焚き上げる。
いずれ、人類のるつぼとしての日本の
歴史に別角度で光が当たることになる。
ところで、宗教嫌いな日本人は多いと
言うが、単に自由でいたいというだけ
の裏返し。
それを証拠に、困りごとが起きれば、
神だろうが仏だろうが、占いだろうが、
龍神だろうが、蛇や狐だろうが、宇宙
人だろうが、何でも来いになり果てる。
かつての祭祀場だったと思われるパワ
ースポットが大好きで、他村であろう
が構わずに神域に乗り込んで、お願い
事三昧だ。
ひとしきり拝んでは、神殿の背後に回
ってまで催促をし、あちこちに銭を置
いて回る者までいるという迷信のてん
こ盛り。
賽銭収入が増え、祭りで酒が飲めると
悪い気がしない地元民もいるだろうが、
神域も何もあったもんじゃない。
欲が欲を呼んで、深山の奥の院にまで
分け入って、ご利益は、ここじゃない
とダメだなんて言う始末。
そして、お守りを買いあさり、石を身
に付け、お祓いや魔除けを好む人は多
く、そういう人達ほど祈りが長く、う
っかりすると待たされるが、参道から
続く参拝の気の流れが途切れてしまう
から、正直言って、めんどくさい。
僕は、地元のスサノオ神と恵比須様、
伊勢以外ほとんど出向くことは無い。
観光の道すがら、あいさつに顔を出す
程度。人の嫌な行為を見ないために、
あえて行くことは避けている。
氏神は、年に一度、元日の初詣だけ。
正月明けに、えべっさんへ。福の神は
見ているだけで嬉しくなる。
お伊勢さんへは、しばらく行っていな
いが、自宅の神前でアマテラスオホミ
カミと思えば、そこに寄られると思っ
ているから遠出する意味はあまりない。
「仏、ほっとけ、神、かまうな」
とは、誰が言ったのか? ダジャレの
ようでいて、的を得ていて、人の成り
立ちを理解していたら、そうなるとい
うだけのこと。
知らないから、成仏せずに禍となり、
生きて神力や霊力に縋りつく真似をす
るようになる。
さて、今年も後1か月でお終い。
外国に目を向けると、まあ大変なこと。
欧米はインフレ、東欧と中東は戦争で、
中国は言うに及ばず。南米も朝鮮半島
もきな臭い。
池田大作の隠し子と噂される前原氏が、
金回りが良くなったのか新党というじ
ゃないか。
来年は、アメリカも日本も政局だ。
日本は、売国奴が多過ぎで、三輪の大
神様がご立腹だそうだ。
来年は、お化けが出るぞ。
いや、役目を負った新顔が、神々の後
押しで出始めるということだろうな。
知らんけど。笑
ではでは。
精神世界では、心を問う話が多く、
日本人は、そういう「言葉」が琴線に
触れるのか、とくに感謝の文字は何十
年も前から至る所で見ることができる。
ただ、遥か昔から四書五経などの古典
や仏典などを多くの企業や団体が、人
材教育に採用し、今は亡き多くの指導
者が、魂を磨く心を洗うなんてことを
方々で散々やってきたし、そういう書
籍は、山のようにある。
だから、上にいる人ほど、本当は、何
が正しいのかを知っているし、個人レ
ベルでは良い人は沢山いるに違いない。
しかし、実際は、そんなものは利益損
得、好き嫌いの前では、全くの無力な
のだった。
あの野郎は使えないだの、誰々は気に
入らないのだの、挨拶が無いのだの、
俺の方が年が上だの、企業は企業で追
い落とし合い、メデイアは誹謗中傷で
飯を食いと、文句を数えたらキリが無
いが、実は、世の中そんな程度で動い
ていて、結果、引き籠りが100万人
以上もいて、定年まで働き通した技術
や知識を持った高齢者の多くが、人生
経験を生かさずにボケてしまう。
それでも、まあ、暇なので、洗心御魂
磨きなんてことを考えていると、「心
は洗うものでは無くて、広げるもの」
だと思い至る。
今は、昔のように人々は棲み分けてお
らず、徳不徳を抱えた様々な階層の人
が、昔よりも遥かに多くなった人口密
集地で、自由勝手に生活していて、不
平不満や好き嫌い、妬み嫉みが起こら
ない訳が無い。
そうじゃなくて、皆が、身の程を知っ
て心を広げれば、お金持ちの気苦労さ
も、貧乏人の気楽さも、漁師や農家の
大変さも、才能があっても必ずしも報
われないという因果律も、努力あって
の成果報酬も、自分自身の至らなさも、
病人の不自由さも、少し考えを広げる
だけで、分かるだろうというもの。
増税メガネのキッシーにも言いたいこ
との一つや二つもあるだろう。
そして、「神」というものがいかに包
括的で寛容であると言うことや、「悪
魔」というものがいかに個別的で狡賢
いということも、人間界同様に分かる
というもの。
心が広がれば、足元にいる小さな虫や
動物や自然界へも慮ることはできる。
宇宙意識にも届くかも知れない。
美醜全てが自分であるし、嫌いなもの
は嫌いなんだから否定しても治まらな
い。自分自身を静観して自分自身を穏
やかに見続けるしかない。
ところで、社会に出たてのバブルの盛
りの昭和の時代、街中はいつでもどこ
でも誰かが必ずタバコを吸っていた。
喫茶店、駅のホーム、全ての会社組織、
学校など至る所でだ。野外ともなれば
ポイ捨ては当たり前だったし、シケモ
クを拾う馬鹿もいて、雨が降ればヤニ
臭くて仕方がない時代があった。
今思えば、景気は良かったが、排ガス
も酷く不潔で下品な世の中だった。
当然、便所は和式便所で、公衆便所に
は、いつも、もれなくウンチが付いて
いた。
僕はタバコを吸わなかったし、臭いの
が嫌なので仕事以外の人付き合いを全
くしなかった。当時は、吸わない人に
対しての気遣いなど一切無かった時代。
出汁の利いた美味いうどん屋で、客の
少ない時間を狙ったのに、馬鹿が来た
ときは台無しだった。料理が出る前に
タバコを吸い、食べながら吸い、食後
に吸う有様で、テーブルには汚い吸い
殻、そこに心などあるはずも無かった。
それが、禁煙運動が始まって、そうい
う連中が禁煙を始めたら、他人の誰々
の煙が臭くてケシカランと言い始める。
馬鹿馬鹿しいが、人間なんてそんなも
ので、毒ワクチンを何度も打って目が
覚めた医者がいるように、人は、自分
の都合でどうにでも瞬時に変わり、発
言に責任を負うこともしない。
ナマジ宗教をかじって、心を綺麗にな
んてことに執着すると、そうしない他
人を平気で攻撃するようになる。
自然志向、健康志向な人も分別なく行
き過ぎれば生き難くなる。
嫌な他人や物は、嫌だと認識したら無
視すればいいし、なぜ嫌なのかと考え
て見て答えが出なければ、忘れてしま
えばいい。
その内、嫌だという思いすら覚えなく
なるかもしれない。
多勢に無勢、タバコや喫煙者などを無
視していれば、知らぬ間に向こうから
消えてくれた。
さて、欧米白人が主導してきた地球の
混迷、今の戦争の先に次の時代が見え
てくる。
軍産複合体が、中東に戦力集中してい
るお陰で、日本を咎めている場合じゃ
ないのだろう、神戸上空にケムトレイ
ルが出なくなった。
近海に原潜がいないのだろうな。井口
先生の言う通りだわ。笑
ではでは。
精神世界や富裕者の間で語られると
ころの祈りとか瞑想について、興味が
湧いて考えたことがある。
そういう系統の人達は、普段から屋内
で座る生活なのに、あらためて座るこ
とで知的好奇心を満たしている。
しかし、労働者だった吾輩には合わな
いと分かった。
彼らに言わせれば、波動が低いからと
いうことなのだろうが、やってる人の
大半が欲と道連れかファッションだと
いうのに何言ってんだか。笑
ただ、54歳にもなって仕事を辞めて、
呑気生活に突入すると、スピ系が過去
に無く賑やかなのが相まって欲が出た
のか、性懲りも無く祈りとか瞑想とか
を考え出すことになる。
ようは、暇人か富裕者の娯楽なのだろ
うかと思われる。
ところで、よく早朝のまどろみで良い
ことを思いつくも、二度寝すると忘れ
てしまうことが重なったので、枕元に
ノートと鉛筆を転がして置いたところ、
先日も色々と頭に浮かぶ。
まだ暗い早朝に、床に横のまま瞑目状
態で、祈りとは何をどう祈るのか?
などと考えていると、「目に映る全て
のことはメッセージ」というフレーズ
が、思い浮かんだ。
ユーミンの歌かなとメモして置いて二
度寝した。
寒くなった晩秋のこの二度寝が、一番
気持ちが良いのだよ。
そして、起き、目を洗い、朝日を浴び、
強健術とストレッチをし、昼兼朝食を
頂きながらユーミンの歌を聞いた。
作詞作曲では天才のユーミンは、ある
意味において巫女的なのかもしれない。
やさしさに包まれるとメッセージを受
け取る感度が上がるということか。
たまにラジオから聞こえるが、息の長
い古い歌には、それなりに訳があると
いうことだろう。
なるほどね。人生出遅れたわ。
しかし、ほんと54年間生きて来て思
うが、我ながら卑しくも穢れたものだ
と感じることがある。
現金収入の為とは言え期せずして、十
数年ばかし現代人が思いもしない底辺
の重労働に身を置いたが、お陰で随分
とアクが抜けた。
そして、食を変えて20キロ減量し、
体から多くの毒を出した。
残るは心の毒出しだが、み魂磨きと言
うらしい。
「目に映る全てのことはメッセージ」
とは、良くも悪くも正にその通りであ
って、心に抱く感情も、目に止まる出
来事も、気になる他人も、全ての因子
は自分の中にあるという一つのメッセ
ージ。
祈りとは、瞑想とは? 七難しいこと
は抜きにして、気楽に考えてみたい。
確かなことは、一々座らなくても良い
ことだろう。
思考を向けて感度を上げ、自分なりに
受け取ればいい。
この方向性に間違いは無いと思うんだ。
まあ、練習だね。
ではでは。
購読してきた様々な種類の本が貯ま
ってきたので、今後には不要だと思え
るものを、買取業者に持ち込んだとこ
ろ、127冊で7340円という査定
額で処分することになった。
最低が1冊5円で300円が付くもの
もあったが、どこかの誰かに古本とし
て買われて行くのだろう。
やはり、本は、手に取って読みたいの
でついつい買ってしまう。
さて、7月頃から始めたストレッチ。
まずは一番シンプルな真向法をボチボ
チという感じだったものが、関連本や
動画を見ているうちに、結局は頭から
足まで解さないと身体のバランスが取
れないということになって、特にこの
1か月くらい前からは、1日に3時間
以上をストレッチに割くようにる。
負担の多い初期段階のストレッチは、
深呼吸の連続と筋肉への負担もあって、
予想以上に体力を使うのか、60キロ
に止まっていた体重が予定の58キロ
を切り始め、半年ちょいのダイエット
で20キロ減を達成してしまった。
嫌な筋トレは三日坊主で終わったとい
うのに。
これで、体内の毒出しは終わっただろ
うし、これ以上は痩せたくないので、
摂生を緩めてバランスの良い食生活を
あらためて考えてみたいと思っている。
中年で痩せすぎるとシワが多くなって
老けて見えるし、あまり人相的にも宜
しく無い。
少し頬に膨らみがあって、肌ツヤが良
くないと健康的とは言えない。
アミノ酸やミネラルが豊富で血流を改
善する1日1合程度の純米酒なら解禁
しても良いかもしれない。
クリスマスと正月が来ることだし。
ところで、関節運動と筋肉の収縮とい
う意味では、単に伸ばすだけのストレ
ッチは間違いであるようだ。
体は柔らかくなるが、筋力が伴わない
体になってしまうということらしい。
それが分からないから、闇雲に無理を
して怪我をするのだと。
だからこそ、老いるほどに体を理解し
て楽に暮らす学びは重要だろうと思わ
れる。
ということで、来年のキーワードは、
「骨盤」「開脚」
整体師他、バレエや野球や相撲に至る
まで、体についての沢山の動画がある。
全く知らなかった世界。
それらの中から自分が感じる部分を取
り上げて実行し、痛いのを耐えると同
時に体をもっと知って行けば、その先
には別の未来が広がって行くのだろう
と思う次第。
実行あるのみ。
ではでは。
庭の夏ミカンが伸び放題だったので、
徒長枝と込み合った枝を取り除き、伸
びすぎている枝を切り戻しました。
この夏ミカンは実生木で、5年程前に
5年生以上のものを移植したもの。
中々実を付けなかったものが、今年は
10個程度まで実るようになってきた。
柑橘系の剪定は、春に出た短枝の先に
翌年花芽を付けるので、忌枝を取り除
いて採光を図り、短枝を多く残せば、
ほぼ実が成るというもので、実が早く
付きやすい接ぎ木苗を買って植えれば、
数年後からほぼ確実に食べられるよう
になる。
美味しく育つかどうかは、地質日当た
り水はけ世話の有無などで大きく変わ
り、日光の当たり過ぎはダメだし、カ
メムシが多いと虫害で不味くなってし
まう。
まあ、酸っぱい夏ミカンの利点はと言
えば、苦味のある甘さ控えめのマーマ
レードを自家製できること。
売られているものは、香りも少なく甘
いだけのマガイモノ。
夏ミカンは、年に30個程も生れば良
くて、生食と加工とで十分であり、木
を大きくし過ぎないことで、剪定管理
を容易にさせる。
ところで、木を植えたものの、考えた
くないのか適当に切りまくる人がいる。
枝が邪魔だからとか、素人だからとか、
理由にもならないことを平気で言う人
は少なくない。
果樹ならば、翌年実が成ることを考え
て手を入れるべきなのに、猿のように
実をち切るだけ、剪定といっても適当
に切り戻すだけでは、そのうち滅茶苦
茶になる。
庭が広ければ、放置している方がマシ
だと言える。
おおよそ、庭木の扱い方、刃物の入れ
方を見れば、その人物の人間性を測る
ことが出来てしまうが、物言わぬ相手
なら、何をしても傷まない人はいる。
人間性とは、自分では気が付かないと
ころで出ているから怖いもの。
そういう意味では、自宅に庭木のある
ことは幸いにして自己精神の調整に、
もってこいでもある。
剪定とは、枝を整えること。
枝を適切な位置で適切な角度で切る。
次の展開を予想して切る。
木全体の美観をも考えてあげて切る。
つまりは、そうすることで、人の心
がともに整い生活が豊かになるので
ある。
しかしながら、邪魔な狭い場所にわざ
わざ木を植えて、伸びた枝が邪魔だか
ら毎度毎度切り詰める人が多い訳です
が、人として何がしたいのか理解がで
きない場合が多い。
多くの人が、実は何も考えず、愚かな
ことを繰り返す。シロウトだから構わ
ないではなく、それを見て育つ子が同
じことを繰り返すか、嫌ってそこに近
付かなくなる。そして、自然を理解で
きない者にする。
綺麗に整ったものに囲まれて暮らすか
そうでないか。
自分は偉いと思っていても、地面にし
ゃがまなければ草は引けないし、枝は
切らねば整わない。
自分で出来なければ、業者じゃなくて
そんなものは、処分すればいい。
全てのことは、学びの場だ。
どうぞ好き勝手にやってくださいな。
ではでは。
毎年梅干しを作ってきたものの、残
った梅酢の大半は捨てていた。
いつも何かもったいないなと思いつつ、
生活に追われていると、そこで思考も
行動も止まってしまう。
しかし、今は時間がたっぷりとある。
安物の工業塩ではない非加熱の天日海
塩を20%濃度で使ってきたこと、梅
干しを作る量を倍に増やしたこともあ
り、結果として10リットルも出来て
しまう梅酢。
そこで、梅酢から塩を回収できないか
と考えた。
天日で塩作りしている動画を参考にし
て、平たいトレイに薄く梅酢を張り、
窓際で天日を当てて乾かしてみた。
大気が乾燥してるので、2日も放置す
ると、目に見えて塩の結晶化が進んで
いくが、梅酢を足して塩の層を徐々に
厚くし、かき集めて塩山を作って少し
づつ回収するを繰り返す。
手間は食うが、高価な塩が回収できる
わ。笑
梅果汁と赤紫蘇エキスとクエン酸が混
じった「酸っぱい塩」というおまけ付
きだ。
まあ、おっさんの暇潰しとはいえ、人
生の経験値が1点追加されたんじゃな
いかと思う次第。
さて、先日も海に出た。
風は強くは無いが、うねりが入ってい
て岩場に近付けないという海況で漕ぎ
ましたが、それはそれで、波の洗礼を
気持ちよく浴びることができたという
感じだ。
パドリングはそこそこにして戻り、裸
足になって砂浜を歩き、景色を楽しみ、
読書をしつつ思いを巡らす。
都会には、あらゆる妄想と社会毒が満
ち溢れている。
メデイアが流す事故や犯罪や誰かの為
の宣伝情報、その他もろもろ。
その大半のものが、知る必要のないも
のばかりなのに、それらが社会の実相
を呼んでいる。
だからこそ尚更に、自分を最大限にし
て他人を入れない生活をしようと思っ
ているが、明るく遊ぶ幼児のように生
きられると幸いだ。
人が集まって和して暮らすような声が
あるのは知っている。
しかし、人が集まると導く側と従う側
ができ、依存したがる人までもが入り
混じる。好意も過ぎれば、いとも簡単
に悪意に変わるが、それ以上言わなく
ても、分かる者には分かること。
何かを作り上げるという目的があるの
ならば組織も必要になるが、個人レベ
ルでは期間限定、人の心は留まれない。
望ましいのは、各々各自が独立した上
で、必要に応じて補い合えばいい。
来年令和6年からは、さらに陰鬱とし
た社会情勢になるというが、嫌悪する
情報や必要のない情報を興味本位で開
いて、脳に入れないことだ。
たとえ善意であろうが義憤であろうと
も、それに執着し過ぎると自業自得の
渦に巻かれてしまう。
悪い情報は社会毒だ。脳に入り妄想と
なって魂を汚す。怒りを呼んで心を弱
らせる。
アンテナを立てて自分バリアを張るが
よい。笑
ではでは。