この9月で55歳になったものの、
分からないのは自分の事。
時間はあるので、ぼちぼち考えている
が、残る余生をどう生きるかだ。
周りを見渡せば人ばかりの世の中で、
皆それぞれの人生を生きている。
早朝の6時には既にバス停に並ぶ人達
の姿があるが、最寄りの明石駅から方
々に散って行く。
吾輩も、10代から永らく電車通勤を
したから知っているが、あの人混みは
もうたくさんだし、そして、働きアリ
も御免被る。
働きたくない訳ではないが、何がした
いかと問えば、金にならないことか、
利権があってその枠に入り込めないこ
とだろうか。もう下積をする気は無い
し、受け皿も無いだろう。
何をするにも法律と利権が絡んでいて
金もいる。民主だとか自由だというの
は、言葉遊びであって、社会の仕組み
は食い扶持でできていて、腕力の強い
者が幅を利かす。
そして、誰かのルールを損ねると、遠
回しの嫌がらせが始まり、360度か
ら束になって襲われる。
トヨタなんて幸い時代が加勢してくれ
たが、発電や蓄電池の性能さえ大幅に
上がれば、インフラ投資が加速して、
いずれ全てが電気自動車になるのは分
かっている。
しかし、哀れなのは外国勢で、中国様
もあの様よ。
また、農に関心はあるが、農業に意欲
的に取り組みたいとは思わない。
なにせ、農業はそれに携わる時間が多
すぎる。だから、農の理想は、米以外
は、採取生活だと思っていて、同じよ
うな発想の人がいることを最近知った
が、老境では、なるだけ自然に近い場
所と形で、採取生活をしたいと思って
いる。
まあ、前にも書いたが、今しばらくは
静観と決めている。
ところで、電気の勉強を始めたばかり
とはいえ、青年時代の再燃で、記号と
数字との闘い。目の前の文字列や理屈
が頭に入って行かないが、そういえば、
高校の頃から数学が苦手だった。
理解以前に、公式を覚えることに苦心
していたことを思い出す。
社会人生活になり、既に社会に存在し
ていた数学無用論が手伝って、実生活
には無関係として勉強をしなくなる。
ただ、何故か衝動買いしたものの読ま
ずに置いていた数冊を書棚から引き出
し、素直になって読んでいるが、その
一冊には、「数学は神の教え、神の論
理」と書いてある。
もう一冊には、「数学を無視して通れ
ない社会になる」とも。
確かにそうなっているし、これから先
の未来でも、より無視できない世の中
になる。
ちなみに、世の中には秀才がいて、一
度見たり読んだりしたことを覚えてし
まうという人達が少なからずいる。
記憶が脳に止まっていて、試験の日に
は、引き出しを開けるように記憶が蘇
るのだというから便利なこと。
さらなる天才は、記憶しているいくつ
もの引き出しから、必要なモノだけを
取り出して総合的に問題を解決してし
まうと言うから大したもんで、理解し
かつ記憶する。
官僚とか大企業の超エリートというの
は、そういう人達なんだろう。
譜面を見ずに1時間近く演奏をするピ
アニストなどの演奏家は、理解し記憶
し、情緒を音に乗せ、手足まで自由自
在に動かせるのだから、ほとんど神に
近いといえる。
さて、馬鹿は馬鹿なりに、電気を学習
しつつ、数学を算数から始めて、全て
を一から考え直そうと思う。小学生か
らやり直しだね。
この本には、今まで習ったことも無い
算数への理解が書いてある。
50年以上前に書かれた内容の改訂再
販されたものですが、それだけ算数を
求める声があるのだろう。
なるほど、面白い。
ではでは。