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ひと筆めぐり 【新発見・再発見・摩訶不思議・唯一無二】への楽しみ…

地域に息づく歴史のひと幕にふれ、…遥かなる往時に思いを馳せる

御詠歌 園部町半田相田地蔵堂

2021-09-14 | 丹波郡33ケ寺巡り
地蔵尊堂 御詠歌
(園部町半田相田)
 園部町の民俗(風習・習慣)落穂拾いを楽しんでいる。旧船井郡西国三十三所観音霊場巡りをしているが、…巡礼道に人影はない。半田相田の地蔵尊は番外ですが詠歌が掲げられている、文字は薄れ判読不可であったが、地元92才の元気なお婆さんと偶然出会う、当時を回想し詠って頂いた。この谷に(地区)二人した詠える人はいない…今は詠歌の役目は終わったが…次の世代へと繋げてほしい…。
御詠歌
【四つの辻 三つのちまたを 一筋に 助けたまえ 弥陀の浄土へ】

鎌倉時代、三井寺の僧が「観音霊所三十三所」を回った事よりはじまっている伝記(寺門高僧記より)。当初は僧や役行者が主であったようです。室町時代頃に入り、一般庶民に普及し、数人単位で巡礼するようになる。当時、一庶民の移動は制限があった中、巡礼については比較的緩やかであったようですね。


御詠歌
【四つの辻 三つのちまたを 一筋に 助けたまえ 弥陀の浄土へ】

前が地蔵尊の祠、奥に無縫塔(卵塔)四基がみられます。地元ご老人(92才お婆さん)が維持管理されています。

無縫塔(卵塔
その昔、この地に『りんしょう寺』と呼ばれた寺があったが、今は寺の歴代住職の無縫塔(卵塔)四基と地蔵の祠のみ…。栄枯盛衰をかんじます。
(蛇足)鎌倉時代に禅宗に伴い宋より入ってきました。一見卵の形に見える所から卵塔とも呼ばれます。この塔をみれば曹洞宗・真言宗の和尚の墓とわかりますね…



寄せ集めの『供養塔』と『板碑』

2021-09-14 | 石仏
護國山神護寺 (奥西観音堂)…其③
(船井ごおり三十三ケ所霊場 第25番 札所)
寄せ集めの『供養塔』と『板碑』



日本は千年以上の永きに亘って「神仏習合」と云う「神」「仏」が融合し、穏やかな宗教秩序を維持してきました。明治新政府に入り「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」が起こり、神と仏は分離された…此の時、仏教の弾圧が起こる。仏教寺院の仏像・経巻等を破棄され、一定の希釈が始まった過去の歴史を持つ。
園部町神護寺(曹洞宗)が廃仏対象寺となっている。中世・近世をはじめ多様な石造物が現存した寺でもあったがその多くは移設、破壊となったようです。今、寺は廃寺となってしまったが、五輪塔、宝篋印塔の一部があり、これらを寄せ集めの『供養塔』、並んで『板碑』とよぶ塔婆が並ぶ。これらの供養塔は当時の廃仏希釈を語ろうとしている!…その声に耳を傾けるのも面白い。