三軒屋の大蛇退治 (昔ばなし)
(園部町小山東)
園部川の激流が川岸に当たり岩は甌穴(おうけつ)になり、恐ろしい渦を巻く「オケ渕」があります。この渦の中に渕の中に、大蛇が棲んでいると云われている。園部川の川筋には、当時を偲ぶ昔ばなしが沢山残っています。その舞台に立ちたく度々訪ねているが、労多くして実りは少ない…、今回念願が叶い紹介できるに至る。
『大蛇の姿は三間余りの大きさ、誰も恐れてこのオケ渕には近寄らなかった。「オケ渕」の裏山に街道が通じているが難所の一つでした。この渕の主の大蛇は、冬の間は渕の底に眠っていて、春になると動き始めるのです。洪水を起こし、作物を荒らし村人や旅人を襲い飲み込んでしまうのです。村人たちは困り果てどうにかして大蛇を退治できないかと色々な策を立てるのですが…すべて失敗に終わりました。大蛇はますます横暴になるばかり、そこで村人たちは、集まって相談ました。神頼みしか道はないと春日明神のお告げもらうのです。…そのお告げによれば「小山村の豪族赤坂蔵人唯重」により大蛇を退治すべしとの事。蔵人唯重は遠矢の名手でありお告げに従い決死の覚悟で退治することになりました。
早朝、オケ渕から出てきたところ弓を引き遠矢を放つ…見事大蛇の左目を射ぬき、大蛇は猛然としてオケ渕の山上へとのたうちあがって行方をくらました…。
無事に大蛇が退治できた翌年、この地方に熱病が流行したのです。困った村人は善願寺(廃寺)の住職にお伺いを立てたところ、大蛇のタタリ(呪い)だと云うお告げがでました。早速、大蛇が逃げこんだ所に祠を立て、大蛇の霊をねんごろに祀り供養をしました。これが「大塚権現」です。戦後に大蛇が隠れたと云う巨岩の上に「大岩大神」の碑が建てられました。それ以後、小山東の田んぼは、秋になると稲穂が重く垂れ、黄金色に波打つ。街道は行き交う人で賑わい繁盛しました。』(参考資料/シリーズそのべひすとりー、園部101年記念誌等)
おわり
<国道9号線園部ビューホテル横より、朱色の鳥居が目印で…。参詣道は荒れ朱色の鳥居は朽ち果て痛々しい。数分歩くと「大岩大神」「大塚権現の社」の全景が現れる>
<「大岩大神の碑」【タテ40㎝、ヨコ40㎝】の大きさ、力強い行書体で刻まれている>
<「大塚権現」「大岩大神」が鎮座する山は7000万年前の火山活動でできたもので、縞模様の凝灰岩がいたるところに露頭している。
(るり渓の地層と岩石より)>
(るり渓の地層と岩石より)>