ひと筆めぐり 【新発見・再発見・摩訶不思議・唯一無二】への楽しみ…

地域に息づく歴史のひと幕にふれ、…遥かなる往時に思いを馳せる

善願寺・釈王寺の今昔ばなし

2021-09-02 | 伝承
善願寺今は釈王寺の今昔ばなし
(園部町小山谷ノ下)

園部町小山谷ノ下に善願寺がありました。典薬頭丹波頼廉の祈願所として建立したと云われている。天正4年(1576)、織田信長の命により明智光秀は丹波攻めに入り、八木城攻略・落城すると…次々と近辺の山城主たちは明智方に走っています。唯一明智光秀軍と徹底交戦を展開したのが善願寺山城であった。この山城の裾野に『善願寺(天台宗派寺院)』があります。その寺の僧兵と共に一進一退の戦いを展開、常に園部城主荒木長綱との密約に従って明智光秀軍を苦しめたが、ついに本堂・伽藍等を焼失する。焼け落ちた跡地大石の上に薬師如来の尊像を安置、風雨にさらされても慈悲悠久の姿に変わりはなかったと云いう。土地の人たちにより堂宇が建てられ、薬師如来をお堂の中へ移され安置され今に至るが…今は町内の某大学敷地内となり堂宇は…ないと聞く。
善願寺は当時、七堂伽藍を有する勢威隆々たる寺院で三軒屋の大蛇退治のお告げを出した…今昔の昔ばなしにも登場する寺であった。
(参考資料/園部の歴史を訪ねて⑨)
 
<お堂内に、善願寺(廃寺)・釈王寺の開基・開山者と思われる尊像が安置、あるいは天台宗派の高僧か、弘法太子(空海)かも…関係資料の持ち合わせてない為…今後の宿題としたい>

<善願寺(廃寺)・釈王寺となり今は町内大学用地跡となり。その姿は…今はない。その一角にお堂が建つ、善願寺・釈王寺の栄枯盛衰をしる貴重なお堂である>

<お堂の格子から覗き見ると…何とか「第二番〇〇山釈王寺」と読みとれるが、他の文字は…読めない>

<お堂の正面右上に、「子安地蔵尊」の歌が書かれているが文字は薄れかすれて解読不可に近い!>

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