おじんの放課後

仕事帰りの僕の遊び。創成川の近所をウロウロ。変わり行く故郷、札幌を懐かしみつつ。ホテルのメモは、また行くときの参考に。

いかるが(斑鳩)は

2025年03月06日 | ロマン

聖徳太子が釈迦を祭った法隆寺

の付近がプロトタイプとも言われる、

「いかるが」です。これは、

「いかる・が」と区切り、また、

「いか・るが」と区切るときに、

読み解くことができます。

「いかる・が」のほうは日本語の古語で、

「いかる」=鎌首をもたげるさま

「が」=蛇

濁らない「か」については、

ご存じ案山子(かかし)の例があり。

「子」はその類くらいの意味。

余談だけど。

これを古くは「かがし」と読んだそうで。

でもその「が」は格助詞「の」だろうと。

かがし<かのし<蛇の子ですね。

なんか、臭いで鳥を追い払うみたいな。

それでかがし(嗅がし)だとかって、

もっともらしくネットに書いてあったけど。

僕はそんなの聞いたことないです。

で、「いかるが」の「が」なのですが、

じゃあそれも格助詞の「の」やろと。

いかるが<いかるの

ってのが、今言われてることで。

いかるの(町)みたいな意味で考えてる。

けどそうなってしまうと、

問題の幹は「いかる」で、

「いかるが」ではなくなってしまいます。

従来の「いかるが」考は、

幹を「いかる」に据えて議論されている。

しかし実はこの「が」こそが、

問題の核心なのです。

さきほどの案山子(かかし)にしたって、

問題の幹は、

鳥を追うという機能ではありません。

それが絶対に「一本足」であるという、

そここそが案山子のツボなわけです。

ではまずこの「いかるが」を、

鎌首もたげた蛇の姿だとしてみましょう。

その寺に祭られているのはお釈迦さんです。

修行中のお釈迦さんを守ったとかいう、

例の蛇の姿そのままですよ。

まあ実際は、ひとの体温は熱すぎて、

ナーガさん熱中症になっちゃう

とかいう話は置くとしても(笑

法隆寺のてっぺんの宝塔部分に、

鎌がブッ刺さってるの、

ご存じのかたもおいででしょう。

あの建物自体が、ナーガさんです。

中のお釈迦さんを包み守るナーガ。

その姿そのままの植物があるんです。

もうあんまり身近ではなくなりましたけど。

サトイモ科のテンナンショウの類。

俗に「まむしぐさ」と言われるやつです。

この蝮草の姿がそのまま「いかる・が」。

英語で俗に言う、

ジャック・イン・ザ・パルピット

なんかは、まさに、

ナーガに巻かれた釈迦の姿そのままですな。

そのwikiのページにある、包が赤いやつ。

学名のArisaemaもまた面白い言葉で、

Aris-aemaと分けられるそうで。

ArisはAron(Aaron)、aemaは血(の赤色)。

AaronはAdamを語源とする言葉で、

人って意味です。

旧約聖書の登場人物アロンもまた、

イエス(イエス=キリストではなくイエス)

と同じく、人の子だったわけです。

なので、テンナンショウの類には、

人の血って意味が隠れてたりします。

無論、スプラッターな感じの血ではなくて、

血脈のほう。バックボーン、出自、起源。

なので「いかるが」は、

まずその第1の意味として、

テンナンショウの類を言うのだと

知られるわけです。

それだけでは、何のことかサッパリですが、

そこに釈迦の姿がダブってくると、

なるほどと理解せられる。

次に、

「いか・るが」を見ていきましょう。

これは近年話題にもなった、

ポリネシア系の言葉が由来になってます。

そういう例としては、例えば、

九州の熊本。ポリネシア語の単語では、

クム・モトと分解できて、それは、

「常に地面が揺れている所」

という意味を持ちます。桜島の活動が

その当時は盛んだったんでしょうな。

さてこの「いか・るが」ですが、

現存のマオリ語の単語から推察すれば、

ika+runga。イカルンガ。

ikaは「魚」。

rungaは位置的な表現で「上」。

テンナンショウ類の全草を眺めてもらえば、

ああ確かに上に魚が泳いでるわ、と(笑

包の部分が魚の体。

いままさに尾を振り出そうという刹那の姿が

見て取れるのではないかと思います。

この場合も、「いかるが」の「が」は

単語の一部であって、

格助詞「の」ではないです。

僕のブログをご覧になってきたかたは、

仏教がギリシャの宗教だということをもう、

ご理解いただいてるかと思います。

仏教というとアジアのように思われ勝ちですが、

これはレッキとしたギリシャ宗教でございます。

ローマの時代に世に出たキリスト教に先駆けて、

いわばお試しで、

ペルシャの時代に世に出た、西洋の宗教です。

世界史やったひとは、

ヘレニズム文化とかご存じでしょう。

お釈迦さんの寝てる背景に、

ドラゴンとかペガサスとか

キューピッドとかいますし(笑

まあ、当時のキューピッドは、

筋肉隆々の大男でしたけどね(笑

誰だっけ、神様の罰で

オリンポス担ぐ羽目になった巨人いたでしょ?

あれの元祖みたいなのが、

当時の(てか、のちの)キューピッドでした。

面影は全裸ってとこだけです(笑

仏教には西洋の怪獣が満載だし、

キリスト教にしたって、例えば、

初期の黒いマリア像は、やはり、

マリアの脇腹からイエスがニュッて生えてる。

ですので、釈迦を祭る法隆寺が、

魚とつながっていても不思議はないです。

今でも、お釈迦さんの足の裏には、

双魚の図が彫られるんだそうで。

これもまた、テンナンショウ類の姿が、

「いかるが」の名の源になってる例です。

何かを後世に残すとして、

その箱舟に最適なものは、やはり、謎ですよ。

謎は、ひとびとの興味を、ひかずにはおかない。

日光東照宮と同じく、この「いかるが」もまた、

昔の日本人が残した謎、箱舟です。

本当の朝鮮のひとたちが、

侮辱を越えて、

あえて残してきた「白丁」という言葉と、

働きは同じです。

平昌五輪で話題になった全裸像、

いわゆる「モルゲッソヨ像」がなぜ

顔だけは出せないのか。その理由は、

この「白丁」という民族の苦渋を越えて

残された箱舟の存在を知るとき、

明らかになるのです。

この侵略者の世界で事実を伝え残すには、

ほかに手がなかった。

誰が本物の朝鮮人なのかを、

この「白丁」という差別用語が

実に鮮明に、誤解のしようもなく、

教えてくれますよ。

同じことを、

法隆寺を建てたひとたちもやった。

日光東照宮を建てたひとたちもです。

日本人がどこから来て、

どこへ行くべきなのかを、

「いかるが」という言葉もまた、

今の僕らに教えてくれているんです。

自分が誰か分らなくなってしまった、

今の僕らにね。

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