文知摺観音は小倉百人一首の歌枕の地、松尾芭蕉や正岡子規などの文人墨客が多数訪れた地。現在は、曹洞宗寺院·普門院。
文知摺石
平安前期の歌人・源融(みなもとのとおる)は源氏物語の主人公・光源氏のモデルの一人。按察史(あぜち)として福島市山口を訪れたとき、長者の娘・虎女(とらじょ)と心を通わせたが、再会を約束しながら1ヵ月後には都に戻っていった。恋心を募らせた虎女は再会を願って「文知摺観音」で百日参りをする。しかし、満願の日を迎えても都からの便りはない。悲しみに暮れる虎女が、ふと観音堂近くにある「文知摺石」に目を向けると、源融の面影が浮かんで消えたという。この言い伝えから石は「鏡石」とも呼ばれる。やがて病に倒れた虎女のもとに歌が届く。「陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」。便りには、遠い都で源融も「心乱れている」と書かれていた。
平安前期の歌人・源融(みなもとのとおる)は源氏物語の主人公・光源氏のモデルの一人。按察史(あぜち)として福島市山口を訪れたとき、長者の娘・虎女(とらじょ)と心を通わせたが、再会を約束しながら1ヵ月後には都に戻っていった。恋心を募らせた虎女は再会を願って「文知摺観音」で百日参りをする。しかし、満願の日を迎えても都からの便りはない。悲しみに暮れる虎女が、ふと観音堂近くにある「文知摺石」に目を向けると、源融の面影が浮かんで消えたという。この言い伝えから石は「鏡石」とも呼ばれる。やがて病に倒れた虎女のもとに歌が届く。「陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」。便りには、遠い都で源融も「心乱れている」と書かれていた。
河原左大臣の歌碑
小倉百人一首の十四番歌
「しのぶもぢずり」は歌枕の地として広く知られるようになり、松尾芭蕉や正岡子規も訪れてた。
虎女と河原左大臣源融のお墓
松尾芭蕉像
松尾芭蕉像
「早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺」
正岡子規の句碑
「涼しさの 昔をかたれ 忍ぶずり」
鐘楼堂
手水鉢
文知摺観音堂
信達三十三観音第二番札所
東北最北端といわれる多宝塔
多宝塔の根樫
水月庵
歴代庵主と阿弥陀如来を祀る堂宇
床もみじ
床もみじ
窓の外の紅葉が床板に映り込む
すぐわきの道を何度も通っているのに、境内を散策したのは今回が初めて。こんなにきれいに整備されているって知らなかった。
紅葉が色づき始め、風がさわやか。水月庵の床もみじは見事で、午後の逆光でも十分にきれい。11月20日頃になると真っ赤に色づいた紅葉が息を呑むほど美しいという。
新緑の頃、梅雨の雨上がり、紅葉の季節、雪景色の頃… ここには四季おりおりの美しさを見せてくれる木々や草花がたくさん。
この次に訪れるとき、絵葉書にあるようなきれいな風景が撮れるだろうか…