「あなた、私これを作りましたのよ。」
と言って見せたのは一週間のメニュー表だった。
「なになに?メニュー表?
月曜日の朝は「ごはん、納豆、わかめと豆腐の味噌汁、お新香、メザシ?」
火曜日の朝は「ごはん、生卵、ねぎと油揚げの味噌汁、お新香、アジの開き?」
・・・・・。
よく考えたね。凄いと思うよ。
学業が常にトップだった百合子が、(料理のレパートリーは驚くほど少ないのに、)僕と結婚してくれてしかも飽きさせないようにバラエティーに富んだ食事を心がけてくれて感謝しているよ。
ありがとう。
昼食は職場に持っていく弁当造りもあるのだから、早起きして作るの大変だろう?
だけど・・・、夕ご飯はカレーにお蕎麦にかつ丼が三日おきの日替わりなのね・・・。
僕の仕事が遅くなり、外で食べてくる事が多いのに、そこいらのお店のメニューとほぼ同じなのはどうなのかな?」
「料理のレパートリーが驚くほど少なくて申し訳ございませんね。
(へ?僕の飲み込んだ言葉を見透かした?)
だって私が制覇したメニューのレシピがカレーとお蕎麦とかつ丼だけなのですもの、仕方ありませんわ。
「百合子を傷つけたようならゴメン。
でもね、夕ご飯は残業の多い僕にとって、不確定要素になると思うんだ。
せっかく君が料理を用意してくれても、僕が外食して済ませたんじゃ、無駄になって申し訳ないだろ?」
「いいじゃありませんか。あなたは外で夕ご飯を済ませても、どうせ就寝前にはお腹が空くお方。だから決して無駄にはなりませんわ。」
「そうかな?そうだね。」
(でもなにもメニュー表まで作って限られたレパートリーのローテーションを明示しなくても。と思ったが、それに触れるのはせっかく工夫してメニュー表を作ってくれた百合子の地雷を踏むと本能的に予知した。)
「でも当日朝の段階で残業が分かっている日は、予め教えてくださいね。
その方が効率的で無駄を最小限にできると思いますので。」
「はいはい、分かりました。」とは言ったが、それってほぼ毎日だろ?と思ったが、これも口には出さなかった。
百合子は最強の妻と云える。才女であり、おこないにそつがない。しかも感が鋭い。
だから僕は墓穴を掘らないよう、言動に細心の注意を払わなければならない。
そんな百合子の唯一の弱点と云えば、料理が苦手と云う事。
作ってくれる献立は、決して不味くはない。だが、レパートリーをこれ以上増やそうとは考えていないらしい。
だから三日おきのカレーライスは、新婚家庭にありがちな微笑ましい風景と云える。
でも僕たち当人にしたら、「これって、ホントに微笑ましいか?」と思える程、結構真剣な問題である。
救いは僕がエリート故、残業で毎日帰りが遅い事。
だから外食と妻の手料理を絶妙なバランスで摂るようにしているのだ。
そんな時に悪友の島村秀夫が来訪することに。
お互い忙しい中、この悪友は職場ですれ違いざまに
「今度の休みは暇か?」と聞いてきた。僕は何だかあまり良い予感がしないが
「特に予定はないが。」と返す。
僕は妻との出会いのきっかけとなる賭けが、この悪友島村秀夫に深く関係していて、しかも妻の百合子には絶対内緒の最高機密なので、僕の家庭には近づけたくないのが本音である。
しかし、まだ賭けの景品「お汁粉10杯」はお互い多忙なため、一杯もクリアしていない。
たかがお汁粉10杯?
高給取りでエリートの僕たちにとって、甘味亭のお汁粉10杯分の金額など、とるに足らない。
忘れてしまっても構わない程の額である。
だが、この賭けには男のプライドを賭けた一世一代の勝負だったのだ。(え?一世一代にしては低次元でつまらない?・・放っといて。)
だから何としても奢って貰う必要がある。しかも妻の百合子には極秘にして。
そうした複雑な事情から、島村を無下に遠ざけられない。しかし余計な言動は絶対に封じる姿勢で臨む必要もある。
「特に予定は無いのなら、次の日曜日に新婚家庭にお邪魔して良いか?」
(来たぞ!来た来た!何か企んでいるな?)でも平静を装い
「ああ、良いぞ。そう言や島村は妻と顔を合わせるのは結婚式以来だったな?」
「そうだよ、あれからまだ一度も奥様の美しいご尊顔に拝していないし、ささやかな結婚祝いを持参して甘い甘い新婚家庭の様子を偵察に行こうかと思ってな。」
「結婚祝いなら、式の前にくれたじゃないか?ご丁寧にまたくれるってか?
それは有難いが、あの賭けの戦利品のお汁粉10杯とは引き換えにできんぞ。
あれはあれで重要な勝利の儀式だからな。」
「ああ、分かっているさ。だから結婚祝いと云っても、お前んちで酒宴を開くための酒と肴を持参しようと思ってな。
奥様の前でお前の昔話をたっぷり聞かせてあげたいんだよ。な?いいだろ?」
「昔話?お前、やっぱり僕の恥ずかしい過去を妻に暴露しようと企てているんだろ?
そんな悪だくみはよしてくれよ。特にあの時の彼女作りを賭けた一件は。
妻の前では絶対内緒だからな!いいか!分かっているな!約束だぞ!」
警戒心マックスで、島村に秘密の順守を約束させた。
「分かった、分かった、約束するよ。
じゃあ、今度の日曜の午後イチにでも伺うから、奥様に宜しく!」
そう言って島村の後ろ姿を見送った。
ヤッパリ、悪い予感しかしないんだが・・・。
そして迎えた日曜日の午後。
奴は酒と肴を引っ提げて玄関の戸を開けた。
「よう!俺だ!島村だ!来たぞ!」
妻の百合子に引き続き、僕も玄関まで迎える事にした。
あいつ、ホントに酒と肴をもって来やがった!
真っ昼間から酒かよ!
でもまあ、いいか。数少ない貴重な旧友だし。
昔話に花を咲かせるのも、たまには良いもんだ。
それに僕は品行方正で真っ直ぐな若者だったから(自分で言う?)、あの秘密以外暴露されても困るような行為はしていないし。
「あぁ、奥様、結婚式以来ですな。相変わらずお美しい。」
「あら、島村様、お口がお上手な事。主人が言う通りのお方ですのね。
改めていらっしゃいませ。どうぞこちらへ。」
島村は一瞬僕を咎めるように睨みつけ、
(コラ!秀則!お前、自分の妻に俺の事をある事ない事、何を言った?カッ!カッ!)
と咬みつくような表情と仕草で、しかし無言で抗議した。
僕も無言で応戦する。
(別に何も。あるがままのお前、秀夫の姿を予備知識として教えておいたまでさ)
と感じ悪そうに、スンとすまし顔であっちを見る。
玄関先にはマチス風(?)(マチスって誰?)の額が飾られ、新婚家庭の居間は小綺麗で上品な調度品が整然と置かれていた。
そして畳の間に絨毯が敷かれ、外国風の凝ったデザインのソファーが二脚とテーブル。
窓の外は隣の家に遮られ、決して良い眺めとは言えないが、日当たりは良かった。
最初は妻の煎れたコーヒーで一息ついて、頃合いを見計らって島村のお土産の酒と肴が並べられた。
いよいよ家庭宴会となり、まずは共通の職場である鉄道省の展望の話になる。
「お前は昔から変わっていたよなぁ。俺と一緒の学校に入学する前からお前は『鉄道』ってよばれていたなぁ。ホント、お前は変わった奴だったよ。」
「そんなに褒めるな。照れるがな。」
「別に褒めてないし。変わり者だって言っただけだし。
お前は小さい頃からの熱血鉄道小僧だったそうよな。
何でそんなに鉄道が好きなん?鉄道省の将来にどんな展望を持ってんねん?」
旧制三高(現京都大学)時代の癖が抜けず、ふたりとも次第に関西弁と標準語がちゃんぽんになってくる。
「そう!それヨ!
僕の目指す鉄道の将来はナ、利用客をアッと言わせるような凄いシステムを構築する事サ!百合子もこっち来て一緒に聞いてくれ!」
そう言っていつものように百合子を隣に座らせ、得意の演説をぶった。
「僕の目標とする鉄道はね、例えば東京市内を走る環状線を作り、一分ごとに次の列車が走るような世界。ね、凄いと思わない?一分毎に次の便が来るなんて、世界中何処を探したって無いだろう?
そんな素晴らしい鉄道に、普通の人たちが普通に乗りこなすんだ。
僕は夢のような世界を作りたい。皆んな目を丸くして驚くぞ!
だけど一口に鉄道と云っても機関車本体や客車だけを指すわけじゃない。
運行を維持させるすべてのシステムが高度に機能して初めて良い鉄道って言えるんだ。
然るに我が国の鉄道を取り巻く現状は、未だ高度とは言えない。
だがこれは我が国に限った事でもない。
島村は鉄道先進国ドイツの現状を知っているだろう?
あの国の高度な鉄道システムを支えているのは、充実した徒弟制度にある。
何も学校の修学率が我が国より劣っていても、鉄道の運行が我が国より高度なのは何故か?
それは小学校や中学校まで行けなくても、ドイツに限らず、ヨーロッパ諸国にはギルド制度(職業別組合)が息づいていて、しっかり機能しているからだ。
だから親方が徒弟にしっかり技術の伝承を行えば、(鉄道に限らないが)より高度な鉄道サービスが可能なのだと彼の国は実証している。
だから日本でもそれらの一部を組み入れ、技術革新は専門学校や高等教育の学校等出身者に任せ、技術の伝承は徒弟制度を強化して任せれば良いと考えているんだ。
技術はなにも教室の中で講釈しなくても、親方が現場で何度も手取り足取りしっかり教え込めば維持・伝承できるってこと。いわばOJT(on The Job Training )職場内訓練、実地訓練を充実させれば無敵だってことさ。
だが一部のセクションだけが突出していてはアンバランスだし、それでは口先の欠けた茶碗にお湯を注いだ時のように、欠片部分からこぼれ出し決して満杯にはならないんだ。
だからそれぞれが孤立した独善的な実地教育をしていたんじゃダメ。
信号区も保線区も検査区も一体になって歩調を合わせなきゃ満杯の茶碗にはならない。
だから鉄道は結束の固い一家でなければならないんだ。
それは駅員もシステム開発部も同じ。
すべてが一体の組織こそが鉄道一家と胸を張れなきゃ、誇れる鉄道システムとは言えず、それこそが目指す方向だと僕は思う。
尋常小学校卒も、お前のようなエリート帝大卒も無い、鉄道一家の大事な一員としての帰属意識をそれぞれが持つべきだと思わないか?」
「オ!ぶったねぇ!やっぱり時々はお前の口からその高尚な講釈を聞かないと寂しくて仕方ない。俺は時々不安になるんだよ。」
「それって、今のは褒めているのか?」
「イヤ、いつものようにお前の演説はマンネリで進歩がないって、貶しているんだよ」
そう言って島村は照れ隠しに、心と反対の言葉を吐き出した。
「ところで固い仕事の話はこれくらいにして、本題に入ろう。」
「本題?本題って何だ?」僕の心に警戒の暗雲が立ち込め始めた。
「もちろん、新婚生活の子細に決まっているじゃないか!
今日はお前と百合子さんの甘い惚気話を聞きに遥々貴重な時間を使ってやって来たというのに、なに惚けてんだ?
今日は色々とトコトン白状してもらうから覚悟しとけ。
ねえ、奥さん。
俺からの土産話にこいつ秀則の武勇伝をたっぷり披露させて貰うから、旦那さんの恥ずかしい話も聞かせてくださいね。
特に旦那との出会いのエピソードなど、俺がいくらこいつに聞いても白状しなくてね。
その辺の所を特に詳しく教えて欲しいなぁ。」
(この裏切者!その件のキッカケについては絶対秘密だと固く約束したろうが!)
僕は目を向き、歯を食い縛った表情のまま、立ち上がらんばかりに無言で抗議した。
「あなた、どうしたのですか?そんな顔して。」
「あ、イヤ、別に。」
怪しい・・・と百合子は思い切り怪訝な顔をした。
その二人の反応を交互に目撃した島村は「プッ!」と吹き出しそうになった。
その後の会話は修羅場のような攻防戦の様相を呈する。
「あなた、私に何か隠し事をしていませんこと?」
「隠し事?滅相もない。僕が君に隠し事をするだなんて、ある筈はないではないか。」
「そうかしら?あなたの反応を見ていると、妙に不自然なリアクションが目につくのはどうしてかしら?」
「それはホラ、島村の奴が危険水域の話題に触れようとするから、誰だって過剰反応するだろ?」
「危険水域の話題って何ですの?」
「危険水域は危険水域だろ!新婚家庭の甘い秘め事にズカズカ入り込んでこられたら、恥ずかしいに決まってるじゃないか!ナ?そうだろ?」
「そう?何だか微妙に違う事のような気がしますわ。
ねぇ、島村様?」百合子の目が座っている・・・。
自分の撒いた種なのに、自分に火の粉が飛んできて焦りだした島村であった。
そうだ!話題を逸らそう!
「秀則君にとっての危険水域とは、百合子さんに対する恋心に決まっているじゃないですか。
こいつは百合子さんと知り合った頃を境にして俺に百合子さんのことばかり口走るから、俺は閉口したってことですよ。多分。」
何だか事態をややこしくしているような気がするが?
僕がいつお前に惚気た?
大体知り合った当時の百合子は女学生だったんだぞ!
まるで僕はロリコンの変態野郎みたいじゃないか?
複雑な表情で『納得いかない』というかのような反応を示す百合子。
「まぁまぁ、時にゆりこさん、話は変わりますが、あなたの旦那と俺に異動の話があるのを知っていますか?」
「いいえ、私の旦那様は、その手の職場の話はとんとしてくださらないんですよ。」
「そうですか、そうでしょうね。こいつはそういう奴ですものね。
実は秀則君と俺に人事異動の噂がありましてね。近々鉄道局技師に推薦されていると云うのです。
今までも技師は技師でしたが、鉄道局への移動となれば、今の中途半端な鉄道省のただの技師から格段に権限が上がりましてね、こいつの志を叶える第一歩となりそうなんですよ。」
「あら、そうなんですか?そんな事、主人は一言も教えてくださらないのよ。」
「だから俺がワザワザやって来たのは、結婚祝いもあるけど、その件についても話し合いたいと思いましてね。なぁ、秀則君。」
「そうだな、島村君は同じ技術畑でも、テクノロジー開発部門。
僕は組織編成部門。二人が協力し合って鉄道省の明日を盛りてなければならない立場だからな。」
いつの間にか双方が君付けで呼び合うのがちょっと可笑しいが、これが二人の昔からの関係なのだろう。
その後は再び鉄道省の将来を語り合う様子を見て、百合子はそっとその場を離れ、夜が更けてくるまで白熱したふたりを見守った。
その数日後、百合子の体調に変化が見られる。
つづく