uparupapapa 日記

今の日本の政治が嫌いです。
だからblogで訴えます。


奇妙な果実~鉄道ヲタクの事件記録~ 第11話 島村の愚痴

2024-06-23 04:51:23 | 日記

 秀則一家が家族旅行から一週間ぶりに帰る。

 おアキさんにお土産を持参して。

「ただいま、おアキさん。留守中変わりはありませんでしたか?」

「旦那様、奥様、お帰りなさいませ。

 特に何もございませんでした。お帰りになられるこの瞬間までは。」

 帰ってくるなり騒々しい秀彦と早次を見て、ため息交じりにそう言った。

「ねぇねぇ、おアキさん!海ってね、とっても大きいんだよ!海の向こうはね、また海で、そのまた向こうもまだまだ海なんだ!そのずーと向こうには雲がモクモクってこ~んなに広がっているんだ!ね、凄いでしょ?

 ほんでもって、大っきな波がザッバーンって何度も何度もやって来るんだよ!ボクは『ワ~!』って慌てて逃げても、凄っごい速さで追いかけてくるんだ。

 おアキさんにもみせたかったなぁ~!

 あ!そうだ!これこれ!」

 そう言ってリュックの中から四つ折りにした画用紙を取りだして、秀彦が描いた海の絵を見せる。

「アラアラ、お上手だこと!この絵の下の砂浜に居るのは家族の皆さまですか?」

 麦わら帽子を被った人の姿が大小並んでおり、まるで単純化された記号に見える。

 それにしても入道雲が大袈裟なくらい大きい。

「そう、これがお母さんで、こっちのいちばん大きいのがお父さん。このちっちゃいのが早次だよ。夏休みが終わったら、この絵を学校に持っていくんだ!夏休みの宿題だよ。」

「そうですか、良かったですね。宿題の絵をチャンと描けて。」

「他にもこんなに描いたんだよ!」

 そう言って他の画用紙を3枚ほど見せる。

 人間らしき記号が真ん中に居る虫取りの絵に花火の絵、それに芝生の上で一家がお弁当やおにぎりを食べている絵もある。

「こんなに描かれるのなら、来年の宿題は絵日記がよろしいようですね。」

「絵日記?」

「そうですよ。その日あった出来事を絵と作文で描くんです。」

「へぇ~、それ面白そう!」

もう来年の夏休みも家族旅行に出かける想像をする秀彦であった。

(だけど、お母さんに叱られた時のことも書かなきゃダメ?

そんなの嫌だな。恥ずかしいし。)と思い浮かべ、真剣に悩む秀彦であった。

 

 早次はその間、ずーっとふたりの会話を聞いていたが元気なのは最初だけ。

 直ぐに百合子に抱っこをせがみ、たちまち夢の中に入ってしまった。

 

 こうして藤堂家の家族旅行は無事終了。

 またいつもの都会の喧騒と、繰り返される日常に埋没してゆくのであった。

 

 そして約3か月後。

 百合子が第3子の妊娠を告げる。

 その辺の具体的なやり取りは、もうこれで3度目になるので敢えて省略する。

 え?聞きたかった?

 ・・・ヤッパリ止めとく。

 だって今は戦時中の非常時なので。

 イチャイチャした惚気のろけ話は軍人さんに叱られそうだし。

 

 

 そして百合子から妊娠を告げられたのとほぼ同時期の10月25日付、秀則に新たな人事異動の命令が下る。

 それは鉄道調査部技師として、更に企画院技師を兼任するというもの。

 

 企画院?

 

 それは戦争遂行をスムーズにするため、国家経済の企画・調整を担当する内閣直属の事務機関。

 

 日中戦争が勃発したすぐあとの10月25日、内閣資源局と統合してできたのが企画院。

 第34代近衛文麿内閣の時に発足された機関で、国家総動員機関及び、総合国策企画官庁としての機能を併せ持ち、重要政策・物資動員の企画立案を統合した強大な機関である。

 

 戦時下の統制経済諸策を一本化し、各省庁に実施させる機関であり、国家総動員法(1938年(昭和13)5月5日)制定以降はその無謬性を強めている。

 

 つまり秀則は鉄道省に籍を置いたまま、内閣中枢の最高機関での活躍を求められる存在となったのだ。

 

 企画院での彼の身分はやはり技師。

 企画院内では一般的に帝大出身者のポストである。

 やることは今までと大きな違いは無いが、鉄道省内でのものの見方と論理と、企画院の非常時での国家全体を俯瞰した見地の論理は違う。

 企画院では内閣が直面する様々な事情が直接見え、軍の動向、それらを見据えた先手先手の政策を奏上しなければならない。

 

 

 時は内蒙古に自治政府が成立、11月には9カ国条約会議開催。(日本は不参加)

 日中戦争とはいえ、日本、中国の二国間戦争の枠を超え、欧米列強が中国に加担する図式が会議にて決定された時期であった。

 孤立する日本。

 まさに国家非常事態の危機感満載の雰囲気が充満していた。

 

 

 

 僕は戦争の是非とは関係なく、自分がどんどん政府の中枢に引き込まれていく危うさと不安が増してきた。

 僕は鉄道が大好き。

 だから趣味も志しも鉄道に傾倒したのは当然である。だから真っ直ぐに鉄道省に入った。

 なのに、いつの間にか自分が望んだ訳ではない戦争遂行政府の中枢に居る事に違和感を覚える。

 もちろん僕は普通の一般的な日本国民として、日本のためになるならこの身を捧げるつもりである。戦争遂行も厭わない。

 だが、何故か釈然としない。

 自分の夢や理想が、いつの間にか戦争に利用されるという事実に。

 その純粋な気持ちを、心ならずも理想とは違う現実に引っ張られるのは、何かが違う気がする。

 鉄道経営は、もっと人のための楽しい存在であるべきだろう。

 兵員や軍需物資を最優先に遅滞なく輸送するのが至上命題だなんて、僕が夢見てきたのと違う。

 こんなこと他人に言ったら甘いと非難され、非国民と罵られるだろう。(当時は『非国民』と非難するのが流行りだった)

 だから決して誰にもこの気持ちは打ち明けられない。

 

 だけどヤッパリ、自分の信念は曲げられない。

 

 鉄道は人的総合力の結晶である。

 運営にあたるすべての部署・人員が心と力を合わせ、足並みをそろえて邁進するのが理想で円滑な鉄道運営である。

 だから皆が納得し、希望を以って仕事をする職場環境が大切であり、命なのだ。

 明日の食事にも事欠くような劣悪な賃金・経済環境や、差別や不当なパワハラが横行するような職場環境では経営は絶対にたちゆかない。

 だからと言って過度な保護や、権利の乱用を奨励するべきとも言っていない。

 今できる事を、誰もが納得できる常識的の範囲で最大限努力すべきなのだと言っている。

 

 職場をタコ部屋にしてはいけない。

 働く者の人権を蹂躙してはいけない。

 誰もが出来得る限りの最高な技術習得の機会を閉ざされてはいけない。

 

 この世の中は、あまりにも人の命と権利が軽い。

 下層民の生活環境が劣悪過ぎる。

 

 自分にはそれらを改善する力はない。

 でも、せめて鉄道環境だけでも理想を実現したいのだ。

 

 海外視察で見てきた諸外国も、日本の現状も僕の目からみたらまだまだ途上にある。

 だが本当なら、人種差別も貧富の差の階層差別も鉄道には要らない。

 

 日本国内にも貧困層は多く存在する。

 更に朝鮮・満州の労働環境を見ても、決して褒められたものではない。

 

 確かに日本人の中には自分はエライのだと勘違いして、現地の人間を見下す輩は意外と多い。

 ただ自分は日本人というだけで、支配者階層と思い違いをしている者たち。そんな自分に一体どれだけの力があるというのか?威張れるだけの実力と根拠があるのか?そう問いたい。

 そんな輩には、日本がアジアで先遣を切って走る民主国家の主権者となるべき、自覚ある市民としての意識改革の努力が足りないとの誹りを肝に銘ずるべきであると思う。

 だから半島労働者の扱いも、満州での人材発掘も人権をおざなりにしてはいけないのだ。

 もちろん朝鮮人や満州の中国人の間には反日思想が渦巻いているのも事実である。

 そして彼らの労働意欲がそのせいで損なわれていることも。

 

 実際、戦争が終わった後世(今現在)で、中国人や朝鮮人がありもしない日本による残虐行為や人権に関わる差別をでっち上げ、歪曲し日本を執拗に攻撃している。

 どれだけ理詰めでかれらの言いがかりを論破しても、一向に意識と主張を変えることは無い。

 それが彼らの本質であるのも確か。

 後世だから言えることだが、彼らには関わるべきでなかった。

 つくづくそう思う。

 

 だが、今はそんな後悔している場合じゃない。

 気を取り直して敢えて言うが、それらダメな部分が彼らの民族全ての意識であるとは言えない。

 純粋に意欲と良識と理想を持った者も存在するから。

 職場と仕事に無気力や悪意を持つ者は排除しなければならないが、崇高な理念や志し、努力を惜しまない者たちは正当な評価を受けるべきだと思う。

 それが僕の基本スタンスである。

 その考えが絶えず企画院の同僚たちや軍部との衝突を産む。

 今は戦時の非常時であり、そんな悠長な意見を受け入れている場合でない!と。

 

 

 

 秋の深まるある日、島村と飲む機会を設けた。

 島村は大層腐っている。

「島村、どうした?何か気にくわないことでもあったか?」

「ああ、気にくわないね!お~い、おねぇさん、ジャンジャン酒を持ってきてくれ!」

 手招きしながら女給さんに注文する。

「何だか荒れてるな。今は戦時中だってこと、忘れるなよ。深酒は禁物だし。」

「これが飲まずにいられるか!ってんだ!」

「何をそう怒ってるんだ?仕方ないから僕が聞いてやる。何でも言ってみぃ?」

「随分上から目線でいうな。

(気を取り直して)おぅ!今日は俺の愚痴を聞いてくれ。こんな事話せるのはお前だけだしな。」

「愚痴を打ち明けられるのは僕だけ?友は僕だけか?お前って本当に友達が少ないな。」

「ほっとけ!人付き合いが下手で不器用なお前に言われたくない!」

 お互いの交友関係の狭さを熟知した昔からの友同士、無駄に傷口に塩を塗るおバカなふたりであった。

「実はな、俺が2年前開発したD51が機関士の間で不人気でな。」

「ほぅ、不人気?まるでお前のようだな。

 人気のないお前が作るのだから作品も不人気なのは必然だろ?」

「やかましい!俺は不人気なんかじゃないわ!巷で鉄道省の『大河内傳次郎』と呼ばれているこの俺様を捕まえて、人気が無い?何が不人気なもんか!」

「大河内傳次郎?そんな根も葉もない出鱈目な評価を誰がした?有り得ないだろ?」

「エェ~い!そんな事はどうでもいい!話の本題はD51だ!」

「そうだったな・・・。D51だったな。で?D51がどうした?」

「あれはな、単式2気筒過熱式のテンダー式蒸気機関車でな、俺としては傑作だと思っているんだが、勾配線を担当する各機関区の連中から、D51形じゃなくて前世代のD50形の配置を要求してきたんだ。半ば公然と受け取りを拒否してきたんだよ。」

「そりゃまた豪気な話だな。何でまた受け取り拒否を?」

「それなんだ。D51の何が気にくわない?って聞いたら、ボイラーの重心が極端に後方に偏っているんだってよ。しかもその傾向を助長する補機配置のせいで、動軸重のバランスが著しく悪いし。って言うんだ。」

「専門的な事はよく分からんが、そのバランスの悪さが致命的ってことか?」

「致命的って・・・、開発者の前なんだからもう少し気を使ってくれないか。

 要するにそれが原因で列車牽き出しの時に空転が頻発するんだってよ。

 その上更に軸重バランスの悪化の辻褄合わせで、運転台の寸法を切り詰めて狭くしただろって指摘してきたんだ。

 しかもテンダーの石炭すくい口の位置が焚口に近過ぎて、窯たき乗務員に劣悪な環境での乗務を強いてるって言うんだ。

 そんなの仕方ないだろ!」

「ヤッパリよく分からんが、要するに使いにくく、狭くてダメってことか?」

「おいおい、身も蓋もない容赦ない言い方だな。」

「でも彼らの言い分はそういうことだろ?」

「まぁ、そう言っちゃ、そうだけど・・・。」

「事前に試運転とかしなかったのか?」

「勿論したさ!俺だって入省時の新人時代は窯たき修行から始めているし。」

「じゃぁ、何でクレームが来たんだ?

 動力性能だけを追求し過ぎたんじゃないのか?」

「ある程度の欠点があるのは事前に分っていたけど、そんなの許容範囲だし。それに軍の要求には逆らえないだろ?開発には期限があったし。」

「軍の我儘と横暴には困ったもんだな。その辺はよ~く分るよ。

 でもな、だからって使えないものを造るって本末転倒だろ?

「使えないって・・・」

「現場から受け取り拒否されるって、そういうことじゃないか?

 厳しいこと言うけど、ダメなものはダメ、出来ないものはできないってキッパリ主張しなきゃ。

 軍の要求なんて、理詰めで対抗しなきゃ押し切られるだけじゃないか。」

「気合と根性で凝り固まった筋肉脳の軍のお偉いさんたちに理詰め?無理!」

「まぁ、確かに。」(そこで納得するんかい!)

「でもここで問題点が浮き彫りにされたのだから、これをラッキーと思わなきゃ。」

「ラッキー?」

「またはチャンスさ。」

「チャンス?」

「だって改善点を指摘されて使えないと云うのなら、いい機会じゃないか?

 それを錦の御旗に堂々と改良できるだろ。

 軍も流石にそれじゃ文句も言えないし。」

「それもそうだな。藤堂、お前100年に一度は良い事いうな。」

「100年に一度かい!」

「お前がそんなに老獪な策士だとは思わなかったよ。」

「企画院の魑魅魍魎ちみもうりょうの中でもまれていたら、自然とそうなるよ。」

「そういゃ、奥さんも策士だったな。お前も苦労してんだな。」

「ここで愛する妻の百合子を引っ張り出すな!」

「よくも俺の前で『愛する妻』なんて恥ずかしい事、堂々と口に出せるな!」

「実は百合子は今、三人目を妊娠中なんだ。」

「お盛んな事で。

 ヤッパリお互い苦労するな。」

「そうだな・・・。」

 

 

 お開きにして家に帰ると、妻がまだ起きている。

 百合子をマジマジと見つめていると、

「何ですの?」と恥ずかしそうに聞いてくる。

「百合子、愛してるよ。」と囁く僕。

 

「バカ!」

 

 

 

 

 

 

     つづく

 


サムネと内容は全く違うよ。でもね、言いたい事はここに紹介するに値すると思います。

2024-06-18 16:12:00 | 日記



ホンダやトヨタの不正問題の本当の原因は「あの人物」だということをご存知ですか?【ゆっくり解説】





 サムネイルと具体的内容には齟齬があるというか、完全に別内容であり、意図的な釣り釣りタイトルである。

 本当の内容に即したタイトルは、動画サムネ下部にある大文字部分「ホンダやトヨタの不正問題の本当の原因は「あの人物」だということをご存知ですか?【ゆっくり解説】』である。


 だが制作者が敢えて釣り釣りタイトルにしたのは、何某かの事情があるのだろう。
 つまりYouTube 運営が当局に忖度し、弾圧によるアカウント規制を回避したとか?

 この動画で取り上げている自動車業界と監督省庁の問題が、如何に国民に対し不利益を与えているかを訴えている問題回であるから。

 動画内で主張している内容は、実はそっくり財務省や他の行政機関・省庁にも当てはまる。
 だが肝心の解決策は提示されていない。

 だからこれを見て私は『ママチャリ総理大臣』で主張してきた立法・行政・マスコミの膿《うみ》を排除し、真の民意を反映させる方策は、ネット直接民主制の実現で解決できるのに、と強く思った。


 議員・大臣・官僚等の特権階級は、崇高な理念や志しなど一切持ち合わせず、一般の国民の利益や幸福の実現など欠片も考えてはいない。
 自分に関わる利権や利益誘導だけである。
 その特権階級の太鼓持ちに過ぎないマスコミはまさに『マスゴミ』としか評価できない。

 現行制度で適材適所に有能な人員配置ができないのなら、いっその事、常識と良識と責任感のある一般的な労働者を期間限定で配置してはどうだろう?

 少なくとも東大卒業の秀才だが自己中で、プライドの塊の悪人よりずっと良い仕事ができるだろう。

 日本の戦後政治史で、東大や他の有名大学出身者が、国家レベル単位の内政・外交問題で特筆できる目立った業績をあげた者はひとりもいない。
 むしろ国民が汗水流して積み上げ、世界第2位まで経済規模を押し上げた成果を、常に崩し続け足を引っ張ってきた。
 バブル崩壊後の有様を見たら、誰でもそう感じるだろう。



 だからこそ今、広く国民に意識改革と行動を呼びかけ促したい。










 業務連絡(?)

 奇妙な果実〜鉄道ヲタクの事件記録〜第11話は今度の日曜日早朝にUPする予定ですが、なかなか良いアイデアが浮かばず苦戦しています。
 もし日曜日の朝まだ最新回がUPされていず遅れているようなら、サボっているのではなく苦悶しているのだとご理解ください。

 あらかじめ遅れた時の言い訳しておきます。

 ゴメンチャイ!!




奇妙な果実〜鉄道ヲタクの事件記録〜 第10話 初めての家族旅行

2024-06-16 05:39:30 | 日記

 秀則が視察で海外に出発したのは、2.26事件で軍部が実権を握る暗い世相の始まりの頃だった。

 世界恐慌の混乱からいち早く脱した日本(といっても好景気を迎えられた訳ではない。庶民の生活は貧しいままで、国家経営がどん底から這い上がったというだけ。)しかしその一番の功労者である高橋是清がクーデターの犠牲になるなど、アメリカの人種差別の批判などしている場合ではない程の、政治の世界に理不尽な暴力がまかり通っていた。

 結果、軍の要求は即ち国家の施策となり、鉄道省の役割も戦争準備の総動員体制構築が急務となる。

 

 秀則は海外視察から帰ってすぐの1937年6月、鉄道省本省の運輸局運転課への配属となった。

 そして翌月の7月7日盧溝橋事件勃発。小競り合いの末、翌8月に入ると戦闘が本格化しだす。

 ついに日本は帝国陸軍の派兵を決定、人員、物資の輸送の軍事優先体制が敷かれた。

 如何に効率よく人員・物資の輸送を円滑に進めるか?

 秀則が所属した運輸局運転課は、その技量が問われる重責に直面した。

 

 

 秀則は相変わらず多忙を極めたが、気晴らしに視察の仲間だった島村秀雄、松平仁、三木正之と時々集う事にしている。

 本省近くの小料理屋に久しぶりに集まってみると、それぞれが職場の不満を抱えていた。

 酒が入るとたちまち当たり前のように愚痴の発表会となる。

 

 先頭バッターは島村。

「俺が開発したTX型(後のいすゞ車トラックの原型)は軍用車として高い評価を得てはいるが、(自分で言うか?)俺は本来蒸気機関開発技術者だ!どうして何でも屋のようにあっちもこっちもやれ!って言われるのか納得できない!」

 島村は酒で頬を赤くしながら目が座っている。

(あれ?こいつって、こんなに酒癖悪かったか?)と思い乍ら僕は

「国産自動車の開発プロジェクトには、お前が積極的に手をあげたんじゃなかったのか?」

「そんな訳無いだろ!

 俺はあの当時、蒸気動車の開発に携わっていたんだぞ!

 それなのに上司の命令一下で仕事を中断して、商務省主導の自動車開発に出向させられてよ、鉄道省代表として国内自動車メーカーに共同参画したんだ。

 そんなのってあるか?

 おれは同じ内燃機関でも蒸気機関のエキスパートだぞ!それまでのガソリン内燃機関なんて専門外だし、知るか!って思っていたのに。

 まぁ、俺の専門は確かに部品の中でもシリンダーだったから、ガソリンエンジンのシリンダーだって技術や知識は全くの無関係ではないけどもな。

 でもよ、俺は鉄道の技術畑として自信とプライドをもって今までやってきたんだ。

 鉄道省に採用された最初の仕事は、蒸気機関車の石炭小僧だったんだぞ。

 帝大卒の技師の俺が、機関車の運転席の隣でエッチラ・ホッチラ石炭を窯に放り込む仕事からやっているんだ!運転手に「ホラ!もっと早く石炭をくべんか!」って叱られながらよ。

 分かるか?この俺が黒煙で顔を真っ黒にしながら汗を流している姿を!」

「お前の顔が真っ黒になったのなら、精悍に見えてさぞかし女に持てただろう?」

「やかましい!」

 皆に笑われて憮然とする島村。

「いいじゃないか、あんなキレイな奥さんに愛されていたら、それで充分だろ?」

「話を逸らすでない!何が女にモテるだ!俺の言いたかった本質はだなぁ・・・」

「分かった!分かった!そこまでして蒸気機関車開発に情熱を燃やしていたという事だな?アンタはエライ!」

「分りゃ良いんだ。分りゃ。」

「ところで松平君は島村と同じ技術畑だけど、順調そうじゃないか」

「何が順調なもんか!ボクだって省営自動車(国鉄バス)を国産車にすべく島村さんと同じ道を辿ってきたんだから。

 蒸気機関車技師を一体何だと思っているのか、上の考えを疑うよ。」

「まぁ、仕方ないさ。内燃機関の知識と技術を持っているのはこの国じゃ君たちが一番だからな。」

「それに軍がおっぱじめたこの戦争で、僕たちの存在は引っ張りだこになってくるしな。」

「なってくるじゃなくて、もうなってるし。」

「そうだな、僕らは同じ技師でも技術者じゃないのにあっちこっち飛びまわされているもんな。影山さんなんて軍の無理難題にどうやって応えているのか不思議に思うよ。」

と三木。

「そうだな。僕らは内地担当なのに、樺太・台湾や半島、満州の規格にも合わせた輸送体制を組まなきゃならないなんて、無茶を言い過ぎだよ。」と僕。

「僕はまだ樺太には行ったことないけど、樺太も満州も極寒の地の運営なんて、南国台湾と同じにはできんだろ?

その辺が分かってないんだよ!上も軍も!」

「大体、考えてもみろよ、軍需物資の輸送を極限の状態まで効率化しろと簡単に要求するけど、それには各部署の緻密な連携と習熟した技術や知識が満遍なく総ての人員に高度に行き渡っていないと、必ずどこかでほころびの穴ができるんだ。

 口の欠けたコップに水を注いでも、欠けた部分からこぼれ出して満杯にはならんだろ?

 そんな簡単な理屈が理解できない者が上に居るのが嘆かわしいよ。」

 

「何だか皆、渡航中の船の中の愚痴と同じ事を繰り返して言っていないか?

 不満は海外渡航する一年前と変わっていないんだな。」

「でもな、戦争が始まる前と実際におっぱじまった後じゃ、仕事の内容は変わらなくてもシビアさは格段に厳しくなったぞ。」

「そうだな。『・・・で、いつまでに出来るか?』から『○×日までに必ずやれ』だもんな。奴さんたち、『これは軍の命令だ!』で総て完結できると思ってるんだ。」

「俺たちって海外に何しに行ったんだろうな?」

 

 こうして愚痴の洪水に呑まれながら夜は更ける。

 

 

 

 僕が家に帰ると、百合子がいつものように温かく迎えてくれる。

「あなた、お帰りなさいませ。」

「ああ、今帰った。子供たちはもう寝たか?」

「ええ、こんなに遅い時間じゃ、秀彦も早次もとっくに寝ましたわ。」

「ここんとこ、子供たちの顔は週末の休みにしか見ていない気がする。」

「お仕事多忙のようですもの、仕方ありませんわ。」

「あぁ、疲れた。もう寝る。」

 百合子は僕の様子を探るようにジッと見てくる。

 僕が兄と話してから、少しは吹っ切れたのかと確かめるように。

 

 戦争が始まってからは、次第に国内の雰囲気が戦争一色になってきた。

 国民精神総動員が叫ばれ、検閲が強化される。

 巷では大陸の花嫁・暴支膺懲ぼうしようちょう(横暴な中国(支那)を懲らしめよという意味)の標語が飛び交う様になった。

 「共匪追討」(共産主義の悪党を討て)や「抗日絶滅」が当然のようにキャッチフレーズとなる。

 このように国民の戦闘精神を鼓舞するスローガンがそこかしこに目立つようになり、同調圧力が強くなったのもこの頃からだった。

 

 

 

 一方アメリカではルーズベルトが精力的に動く。

 日中戦争がはじまると中国人排斥法を廃止(日本人排斥法はそのまま)、蒋介石を支持し膨大な軍事借款を行う。

 同時に工業都市デトロイトを軍需産業の一大拠点として発展させ、その後の第二次世界大戦へと続く戦争準備に邁進した。

 それらは総て対日戦争準備の為であった。

 

 当時ヨーロッパではナチスドイツが隆盛を誇り、アメリカにとって第一の脅威と見なされていた。

 しかしルーズベルトの考えは違う。

 確かにナチスドイツは脅威ではあるが、彼の頭の中での仮想敵国は常に日本であった。

 ナチスがヨーロッパで覇を唱えてもアメリカにはさして利益的影響はない。

 だが日本は違う。

 更に彼はガチガチの人種差別主義者であり、黒人差別を放置してきたのも彼である。

 そうした彼の思考の中では、消去法で敵が見えてくる。

 黒人はアメリカ建国以来の奴隷資源であり、その供給が人道的批判に基づく国際環境の変化で持続できなくなると、清国から代替労働力を苦力クーリーとして受け入れた。

 更にそれに続く日本人入植者の移民。

 これらは総て白人優位社会に於いては奴隷同様にしか見なしていない。

 その中でも黒人は無力な存在であり、次第に増えた中国人と日本人には排斥法で圧迫を加えた。

 だがその後の経緯を見ると、個々の中国人は労働意欲に欠け、向上心が見られず民度も低い。

 それに対し、日本人は驚異的なスピードで成功を収めてくる。

 寝る間を惜しんで働き続ける日本人の民族性は、やがてこのアメリカの支配権を取って代わる存在として脅威なのだ。

 現に一般のアメリカ人が日本人を嫌う理由に『働き過ぎる』からと答えている。

 自分たちには真似のできない労働意欲と、明確な努力目標を掲げてどんどん自分たちの領域を浸食してくる日本人。

 

 たかが有色人種のくせに!

 働き過ぎは彼らにとって美徳ではない。

 それが日本人には理解できなかった。

 

 それに加え日本は、列強各国が野心を持っていた中国に一番食い込む手ごわい相手である。

 そう、アメリカも中国に対し、利権の野心を持っていたのだ。

 忌々しいライバルとしての日本。

 

 アメリカは日清戦争直後から仮想敵国の照準を日本に定めていた。

 というか、実はアメリカはペリー来航の時から対日戦争を企図している。

 (実に驚くべき思考であるが、出会った当初から相手を敵とみなし、屈伏させる企てを持っていたのだ。)

 幾度となく改訂を重ね、戦争の計画を策定してきた。

 

 その計画とは『オレンジ計画』。

 それは【カラーコード戦争計画】のひとつ。当時の交戦可能性の高い五大国を色分けし、戦争プランを策定したものである。

 

 その中でもオレンジ計画は、アメリカが単独で日本と戦う場合、どのような作戦行動をとるべきか?あらかじめ立てたプランであった。

 

 これは大まかに三案が存在した。

 

 第一案 フィリピン、グアム等、西太平洋植民地領土を要塞化、陸・海軍を展開する。

 第二案 緒戦に於いて日本軍の攻勢に西太平洋領土を持ちこたえさせ、カリフォルニアでの艦隊を編成、グアムとフィリピンのアメリカ軍を救援、西太平洋に出動、日本海軍決戦のため日本列島近海へ進撃、日本艦隊と決戦を行う。

 第三案 ハワイを起点として、日本軍の拠点ミクロネシアの島嶼を艦隊戦力にて順次占領しながら反攻し、グアムとフィリピンを奪回するという兵站重視の長期戦案。

 

 これらの具体的プランが日本本土侵攻作戦の具体的前哨戦プランとして1921年

 から既に立案され存在していた。

 

 (これは1930年代当時から見た近未来の話であるが、史実では第一案、第二案は要塞化に莫大な費用がかかるため実質的に没となり、残る第三案が採用される形となったが、ほぼ計画通り実行された。)

 

 

 秀則がアメリカに抱いた印象は、決して的外れなものではなかったと云える。

 

 

 

 

 この時代の世相を考えると仕方ないが、どうしても殺伐とした内容になってしまう。

 ここで気分転換に再度藤堂家の生活の様子に視点を移そう。

 

 

 秀彦が小学校に入学する頃、早次はまだ1歳だが、あんなにいつも母親にしがみつい

ていたのが嘘のように活発なヤンチャ坊主になっていた。

 

 今まで多忙を極めた僕だが、一念発起!ここで一発、休みでもとってやろうじゃない

か!

 戦争が何だ!イチイチ軍の都合に振り回されていて堪るか!

 

 強引に1週間の休暇をとり、葉山など湘南方面の宿に連泊しようと思い立った。

 丁度秀彦は初めての夏休み。早次もひとりトコトコ歩けるようになったから、もう大丈夫。

 ようやく旅行に連れ出せる程成長したので、これを機に家族旅行と洒落込もう。

 百合子とも新婚以来久しぶりの旅行だし、秀彦も早次もまだ海を見た事が無い。

 汽車と乗り合いバスを乗り継いで、予約した海辺の旅館に辿り着く。

 もう夕方だが、子供たちは初めて見る海に感嘆の声をあげる。

 夕日に照らされた海を窓辺から眺め、

「今日はもう遅いから、明日の朝にでも海岸に行ってみましょうね。」と百合子が言う。

「え~!これから見に行っちゃダメなの?ボク、楽しみにしていたのに。

 だって海だよ!こ~んなに広いんだよ!

 早くいかないと、目の前の海がどっか行っちゃうよ!」と秀彦。

「海は何処にもいきませんよ。」と呆れた百合子がピシャリという。

 ぴょんぴょん跳ねながら抗議する秀彦。

「それに長旅で疲れたでしょ?もうすぐ夕食だし、お腹も空いたハズよ。」

 と見透かしたように畳みかける。

「そう言やボク、お腹が空いた!」

「ほらね。海は明日の朝一番に行くとして、今夜は美味しい御飯を食べてゆっくり休みましょうね。」

「ウン!分かった!!」

 

 まだまだ反抗期の遠い、素直な秀彦であった。

 早次は持参した飴を百合子から与えられ舐める。それだけでご機嫌。

 

 こんな良い景色なら、お手伝いさんのおアキさんも連れてくれば良かったと思った。

 といっても、旅行前に一緒に行こうと誘ったが、

「あたしゃ結構です!」と断られる。

「この歳で遠出だなんて、途中で行倒れになってしまうじゃありませんか。

 あぁ、考えただけで身がすくみます。だからそんなのまっぴら御免です!」

「ハハハ!行倒れ?おアキさんは大袈裟だなぁ!そんな訳ないじゃないですか。

 それにもし、おアキさんが行倒れたとしても、見捨てて放っておいたりしませんよ。

 ねえ、百合子。」

「そうですよ。日頃からこんなにお世話になっているおアキさんに感謝の気持ちを現わせるのは、こんな時しかないのですから。ね?一緒に行きましょうよ!」

 と気持ちを込めて言う。

 かたくななおアキさんはそれでも固辞する。

「あたしゃ家でしっかりお留守をお守りしますので、どうぞご安心なさってご旅行に行ってください。無事の帰りをお待ち申しておりますので。

 あぁ、でもひとつ。出来ましたらお土産にお団子でもいただけたら申し分ございません。

 図々しいとは思いますが、それを楽しみにお留守番させていただきますので。」

「おアキさんはヤッパリお団子やお餅系がお好きなんですね。

 分かりました。それでは留守を宜しく頼みますね。」

 と言ってひとり残してきたのだ。

 

 夕食を終え、騒々しくはしゃぎまわる子供達。

 

 移動疲れから草々に就寝したが、翌朝の目覚めるのが早い事!

 

 早次が僕の布団の上から腹のあたりを右から左へ、でんぐり返しを繰り返えす。

 秀彦は布団の中で夢心地の僕を激しく揺り起こす。

 こんな時の子供達は情け容赦がない。

 秀彦は僕が起き上がるまで「ねぇ、海行こう!」とせがみ続ける。

 

 僕はリフレッシュするつもりで家族旅行を計画したのに、返って人生に疲れてしまったようだ。

 

 

 

 

 

    つづく


奇妙な果実~鉄道ヲタクの事件記録~第9話 外遊のお土産話

2024-06-09 05:13:52 | 日記

警告!

 

今話の内容には残酷な描写が含まれます。

苦手な人はご注意ください。

 

 

  秀則が帰国して一週間が経った。

 

 

 

 秀彦と早次の成長の速さは、一年の空白を埋める以上に大きい。

 

 一緒に過ごしていたら気づかない一日の貴重な重さが、離れていたがために今更ながら心のひだに突き刺さる。

 

 

 

 秀彦が裏庭に咲くアジサイの葉に泳ぐデンデン虫を、この世の奇跡を目撃したかのように真剣な表情で観察する様子。

 

 早次が母百合子にしがみつき、その肩越しに僕を見つめる様子。

 

 そこは早次にとってこの世で一番安心できる場所であると主張している。

 

 

 

 塀越しに遠くから豆腐屋のラッパが聞こえてくる。

 

 ああ、ここは日本なんだ。

 

 海外での暮らしも決して危険なことは無かった。

 

 ある一度の経験以外は・・・。

 

 

 

 ただ、その体験時以外も平時は気が抜けない。

 

 いつも心の鎧を脱ぐことは無かった。

 

 外国とはそういうところなのだ。

 

 命の危険と心の不安。その不確かで未保障のフィールドが、日本以外の世界であると身に沁みて理解できた。

 

 我が家の当たり前の平和と安らぎが、今まで過ごしてきた僕の海外での生活の経験と感覚を狂わせる。

 

 僕は今、孤立している。

 

 誰にも話せないが、この愛する我が家で僕は孤独だった。

 

 そんな様子に百合子はとっくに気づいていたが、かける言葉が無い。

 

 きっと何かあったのだろう。でも夫が私に心理の奥底を見せてはくれないのが寂しい。

 

 すぐそばに居ながら、ただただ何もできぬまま心配するしかないのかしら?

 

 思い余って百合子は4歳年上の僕の兄秀種にボソっとこぼした。

 

「帰国してから秀則さんの様子がおかしいの。

 

 何がどうおかしいという訳ではないけれど、何だかいつも沈んでいますの。」

 

 ただそれだけ言うと姉の有紀子に向き、話題を変えた。

 

 何をどうしろという訳ではない。

 

 ただ一言こぼしただけだった。

 

 

 

 俺にどうしろと云うのだ?

 

 仕方ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「秀則、外遊はどうだった?」と、勤めてる銀行が休みのある日、秀種が僕に声をかける。

 

「ああ、兄さん、無事日程をこなせたよ。役所にちゃんと復命もしたし。」

 

「そうじゃなくて、楽しく過ごせたのか?」

 

「兄さんは何か勘違いしていない?外遊と言うけど、視察だからね。視察!シ・ゴ・ト!

 

 実質、外遊なんて要素、どこにもなかったんだから。

 

 ただ淡々と決められた日程をこなすだけだったよ。」

 

「嘘つけ!鬼の居ぬ間に楽しい船旅と外国の有名歓楽街で、ドンチャン騒ぎしてたんだろ?お前の目を見りゃ分る!」

 

「兄さんは似非えせ超能力者か!

 

 そりゃ、多少は同行した仲間たちと少しはお酒ものんださ。でもね、僕らが集団で羽目を外した姿を現地人が見たらどう思うか?ってね。そう思うと程々の嗜たしなみ程度しか楽しめなかったよ。

 

 それにね、世界中何処に行っても白人らの差別を感じて日本国内のような訳にはいかないし。」

 

「そんなに差別されたのか?」

 

「そうだね。あからさまな態度と、一見そうと分からない扱いと、色々あったよ。」

 

「そいつは酷いな!世界中どこに行っても、なのか?」

 

「概ね白人社会は何処に行ってもね。でも場所によっては濃淡があったよ。」

 

「場所によって?具体的に何処と何処だい?」

 

「一口では言えないよ。香港とシンガポールは中国人が多いだろ?だから白人の目をそれ程気にしなくても良かったけど、その代わり今中国とは敵対関係にあるだろ?だからいつも油断できず気が許せないし。

 

 カルカッタはインド人が多いし、あとは香港・シンガポール同様イギリス人。マダガスカルは黒人とフランス人。経済を握っているのはフランス人だから、船が補給のための短期滞在中は初のフランス料理にありつけたよ。

 

 南アフリカは厳しいアパルトヘイトの国だから、凄く居心地が悪かったし。

 

 ヨーロッパは当たり前だけど、何処に行っても白人ばかりだろ?

 

 そりゃ勿論、あからさまな差別をする者ばかりじゃなかったけど、友好的な人ばかりじゃないと、いつも気を張っていたよ。

 

 南アメリカはインディオ系と少数の黒人と、ラテン系白人が多かったな。」

 

「そうか。

 

 話を聞くと、あまり楽しい旅じゃなかったようだな。

 

 ・・・って、ホントなのか?」と、疑いの目。

 

「ホントさ!決して妻の目が届かないうちに命の洗濯をしようだなんて思ってないし。」

 

「あぁ~!ちょっと本音がでたな?」

 

「そ、そりゃ、そんな不心得者がメンバーの中に居ない事もなかったけど、結局誰も羽目を外したりしなかったし。」

 

「そうなのか?それはつまらなかったな。

 

 そうそう、さっき百合子さんが「秀則さんが外遊から帰ってきてから、何だか元気が無いの。」って言ってたぞ。食あたりにでもなったか?お前は食いしん坊だからな。腹が減って手当たり次第口に入れたんじゃないのか?」

 

「手当たり次第って、人を飢えたケモノみたいに。失敬な兄貴だな!そんな事あるかい!

 

・・・でもそうなの?百合子は何も言ってこないけど、心配かけたかな?水には何度かあたったけど、それ以外の食あたりは無かったよ。」

 

「それじゃ旅の途中で何か他にあったのか?それとも家に帰ってきてから粗相でもしたか?」

 

「粗相?子供じゃあるまいし、粗相なんてしてないよ。」

 

「そうか?」疑いの声と表情がありありの兄上。

 

 秀則は観念したかのように

 

「兄貴だから打ち明けるけど・・・。あんまり人には話したくないけど、実は・・・」

 

 と意を決して打ち明ける事にした。

 

「別に秘密にするような事じゃないし、言ってもいいんだけど・・・、あまり愉快な話じゃないんだ。だから百合子にも言うのをはばかってね。」

 

「ふんふん。」

 

「視察の最終目的地のアメリカで、嫌なものを目撃したんだ。」

 

「嫌なもの?」

 

「そう、とても不吉でゾッとする風景。

 

 壮絶な黒人差別をね。」

 

「・・・そうなんだ。」

 

「あれはニューヨークに上陸してから西へ向かう大陸横断鉄道の始発駅のセントルイスに向かい、視察を開始し始めていた時だった。

 

 街の郊外を歩いていたら、ある『人だかり』を見つけたんだ。

 

「何だろう?」

 

 そう思いながら近づいていくと、人込みの向こうのポプラの木に何か吊り下げられていたんだ。

 

 季節外れのクリスマスツリーか?って思っていたら、なんとそれは人の首つり遺体だった。

 

 それも二体。

 

 自殺か?いや、違う!瘦せこけた遺体にいくつもの殴られた痕や切り傷があり、血がしたたり落ちていたよ。

 

 彼らは殺されたんだ!と直ぐに気づいた。

 

 そしてこの取り囲む群衆は、集団リンチで殺した犯人たちと、囃し立てた野次馬だったんだって。しかもその中に普通の市民の姿をした女性まで紛れてね。

 

 

 

 僕の背筋が凍ったのは凄惨な遺体を見たからではない。

 

 それを取り囲み、薄笑いすら浮かべていた群衆に対してだったよ。

 

 

 

 ここに居るのは人じゃない!

 

 

 

 僕は言葉にならない声を発して群衆をかき分け遺体を引き下ろそうとしたんだ。

 

「何と酷むごい事を!」

 

みっともないけど、僕は泣き叫びながら遺体にしがみついた。

 

「何やってるんだ!」

 

 群衆の中から怒りの抗議と怒号が聞こえてきた。

 

 僕は構わず引き降ろそうとしていたら、

 

「こいつを殺せ!」と背後から声がし、僕を遺体から引きはがし、何度も殴ってきたよ。

 

 僕は生まれて初めて命の危険を感じた。

 

 それから間もなく、後ろから直ぐに銃声がしてね。

 

 群衆の蛮族たちの僕を殴る手がとまったんだ。

 

 

 

「止めろ!止めないと撃つぞ!」

 

 群衆の向こうに黒スーツの白人数人が銃を構えているのが見えた。

 

 彼らは群衆に対し、威嚇射撃をしたのだと分かったよ。

 

 その後僕は殴られた痛みから気を失い、気づいたらホテルの一室にいたよ。

 

 仲間たちの言うには、僕ら一行を監視していた公安(?)の連中が助けてくれたんだと。

 

 でもその助けた理由は、僕らの命が大事だからではなく、僕らが(小規模ではあるが)日本の国を代表する使節団だったから。

 

 ここでぼくが死ねば、厄介な国際問題に発展するだろ?

 

 「ジャップは大人しくさっさと国に帰れ!」だと。

 

 多分彼らはCIAかFBIのエージェントだろうけど、面倒は起こすなだって。

 

 僕は胸糞悪く、あの国を出る最後の時まで嫌悪したよ。

 

 

 

 僕の元気がないとしたら、その時の体験が尾を引いているからだと思うよ。」

 

 

 

「そうか、そんな事があったのか。

 

 でもな、いつまでもそうして沈んでいたら、前には進めないぞ。

 

 気持ちを切り替え、以前のお前に戻れよ。

 

 お前はそのための国の人材であり、家族の大黒柱の宝なんだからな。

 

 そんな経験があったとしても、気持ちを強く持て!

 

 男だろ?ナッ!」

 

 そう言って励ましてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 秀則は鉄道局に一年の視察を終え鉄道局に復帰するにあたり、復命書と膨大な添付資料を提出している。

 

 それらの中で特にアメリカに関する資料は、後の秀則にとって重大な影響をもたらす結果となる。

 

 

 

 その内容を要約すると、

 

 

 

 

 

 

 

 アメリカの鉄道環境

 

 

 

 アメリカはその建国の歴史から1800年代の西部開拓に伴い、鉄道の発明・実用化と建設がほぼ同時に発達・推移する。

 

 その西部開拓は常に侵略の歴史であり、先住民からの掠取りゃくしゅ、隣国との戦争による土地取得、鉄道敷設にかかる開拓民からの強引な土地収奪(地上げ屋並みの手法)等、力による手法での建設が主であった。

 

 更にその鉄道建設に際しては、黒人及び苦力クーリー(中国系奴隷労働者)の使役によるところが大きく、劣悪な労働環境、極めて非人道的な犠牲の上に成り立っている。

 

 その後の運営にしても同様で、白人と黒人従業員には明らかな差別の壁が存在し、結束ができていない。

 

 これらの会社運営には利己的な利益追求しか見えてこず、受益者であるはずの社会に対する奉仕の理念が存在していない。

 

 我が国の鉄道運営の根幹であるべき『鉄道一家』としての一体感による相互扶助及び総合力の強化を目指す理想・理念が彼の国には無い。

 

 更にアメリカの特徴として、広い国土に人口が点在するだけで、旅客鉄道の立地条件は必ずしも良いとは言えない。

 

 農産物等、物資の大量輸送に特化し、活路を見いだすしかないであろう。

 

 事実、昨今の自動車産業の発達は目覚ましく、人の移動は自動車に取って代わられ、圧倒される状況が現れ始めている。

 

 強引な力による運営方法及び、人種差別の激しい社会環境に於いては円滑な発展は望めない。

 

 以上の観点から、アメリカの鉄道環境事情は日本にとって参考になるとは言い難い。

 

 

 

 

 

     以上

 

 

 

 

 

 セントルイスでの白人による黒人差別犯罪と、秀則に対する襲撃事件が彼にとって大きな印象と影響を及ぼし、その報告書の内容にも情け容赦のない記述が反映された。

 

 この報告書の添付資料内容はアメリカ当局に知られる事となり、後に僕は要注意人物としてアメリカ当局にマークされる事となる。

 

 

 

 

 

 僕のアメリカに対する感想

 

 アメリカという国とそこに住む人々は、人として何か大切なものが欠如しているように見える。

 

 黒人に対する憎悪と差別意識が昂じて、集団リンチによる殺害が横行する国。

 

 そもそもアメリカという国は、ピューリタンが建国したキリスト教信者が支える国家ではなかったのか?

 

 その教義により、敬虔で善良な生活を求められるはずの信者たちが集団リンチによる犯罪?

 

 キリスト教の教義では、黒人等の異人種に対する差別が許されているのか?

 

 差別や憎悪による殺害が許されているというのか?

 

 それがキリスト教なのか?

 

 白人社会に蔓延するそうした空気はキリスト教によるものなのか?

 

 

 

 

 

 否!

 

 

 

 それは絶対に違う。

 

 秀則はキリスト教信者ではないが、そこだけは違うと信じている。

 

 

 

 黒人を殺害しておきながら、平気な顔して教会で礼拝を受ける白人たち。

 

 彼らはどう見ても偽善者のそしりは免れない。

 

 そうした彼らが形成する国。

 

 秀則はそうした国に対する漠然とした恐怖と不安を帰国まで持ち帰ってしまった。

 

 

 

 百合子の秀則に対する懸念もそこから来ている。

 

 

 

「あなた、外国で辛い目に遭われたのね?

 

 私は妻としてあなたに何もして差し上げられませんが、せめて我が家でだけは、あなたのお心を温められるよう、お守りできますよう、全力を尽くしますわ。」

 

「ありがとう、百合子。

 

 心配をかけたね。

 

 でも僕はもう大丈夫。百合子や秀彦、早次を見ていると、そういつまでも沈んではいられないよ。

 

 さぁ、明日からまた頑張るか!」

 

「父さん、何を頑張るの?お勉強?」

 

 秀則はこの頃、字を覚えるのが楽しくて仕方ないらしい。

 

「お勉強かぁ~。そうだな、父さんも秀彦に負けないよう、お勉強、頑張るよ。」

 

 早次がいつものように百合子にしがみつき、ジッと僕を見ている。

 

 

 

 

 

 最近の日本を取り巻くキナ臭い情勢に懸念を持ちつつも、せめて日本の鉄道だけは人を差別しない、人に優しい存在でありたい。

 

 温かい我が家のように。

 

 そういう鉄道を作るのが僕の使命だ。

 

 そう固く決意する秀則であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      つづく

 

 

 

 

 


奇妙な果実〜ビリーホリデイ

2024-06-03 22:07:00 | 日記
警告⚠️

この動画はショッキングで残酷な写真と歌詞が載せられています。
苦手な方、こういうのが嫌いな方は決して見ないでください。



この回のblogは『奇妙な果実〜鉄道ヲタクの事件記録』の背景となる【ビリー・ホリデイ】の歌を紹介する動画を載せました。

何故『奇妙な果実』なのか?

一連の物語の終盤に分かってくると思います。
それはまだ先のお話ではありますが、今回紹介するこの歌の動画は、今後投稿・発表する物語のテーマの内容を先取りした伏線を意図したものです。


歌の背景にショッキングな写真が登場します。
苦手な方は決して見ないで(聴かないでください)。