高額出張費および公用車問題に揺れる、
東京都の舛添要一知事が28日の会見での釈明時に、
自身を「政治家ってのはトップリーダーです」
と発言したことが極めて不評を買っている。
平時なら聞き流されたかもしれないが、
特権意識が招いた問題とも批判される中での発言に、
ネット上などで「自分でよく言えるよな」
「見下した発言」「思い上がり」と批判の声が噴出した。
舛添氏は、昨年4月から約1年間で計48回、
公用車で神奈川県湯河原町にある別荘に行き来していた。
会見では、毎週のように別荘に向かった理由を
「あのね、政治家というのはトップリーダーです。
先々のことを、
大きなグランドデザインを描く作業があるんです」と発言。
斬新なアイデアを生むためのリフレッシュの必要性を説いたが、
状況的に「トップリーダー」は反感を買ったようだ。
ツイッターには「総理大臣が言うならまだしも」
「自分の事をよくトップリーダーって言えるよな」
「トップリーダーは自分でトップリーダーとは言わない」
「周囲にトップリーダーとおだてられて
思い上がったか」などと批判が集中。
発言に対し「見下した発言」「ズレ過ぎ」
「勘違いしている」「トップリーダーと威張る都知事」
「ダメだこりゃ」と、印象はよくなかった様子で、
火に油を注ぐ一言となってしまったようだ。
-デイリースポーツ 4月29日(金)20時36分配信-
政治家=トップリーダーなのではない。
民衆から支持を得た高邁な施策・政策のため
死にもの狂いで頑張り、実現を果たす者、
会社経営などで、利潤追求のみにとらわれるのではなく
仕事に携わる人々や、他社や社会全体に
多大な影響力を発揮し引っ張ってゆく者などを云う。
わたしの認識するトップリーダーとは
そうした人たち。
別な言い方をすれば、『指導者』だ。
首相や重職に就いた者が勘違いしがちだが、
ただその職に就いただけの人間を、
世の中の人々はトップリーダーとは認識してくれない。
それを端的に示してくれるのが
サミット=先進国首脳会議だ。
『サミット』と云うだけあって
参加者は各国の代表であり、
世界をけん引するだけの力のある国のトップが集まる。
しかし、数年でコロコロ変わり、
世界のリーダーとしての指導力を
発揮できていないようなどこかの国は、
まるで刺身の褄であるかのように
記念撮影時、隅っこに追いやられる。
もし誰もが認める重要人物なら、
例え場所取り争いでつま弾きにされても
すぐにその場の雰囲気や空気で
真ん中に呼び戻されるだろう。
それは単にその国の国力でそう扱われるのではなく、
その人間のリーダーとしての資質と実績、
更に会議を引っ張る指導性などによるもので決まる。
会議で寝ているような人間は
居ても居なくても同じ。
どんなに重要なポストや立ち場の者でも
記念撮影時、真ん中に呼ばれたりしないのだ。
もうすぐ始まる伊勢志摩サミット。
今年は議長国としてきっとオバマの隣に収まるだろうが、
歴代の日本の首相の立ち位置はどうだったか?
そして、それは何を意味するのだろう。
また、もしも(想像したくもない悪夢だが)
トランプやテッド・クルーズが大統領として
次のサミットに出席したならば、
きっと会議は台無しだろう。
果たして真ん中に立てるのだろうか?
翻って舛添さん、
今回の騒動で、あなたはたくさんの批判を受けました。
もう一度振り返ってみて、
本当に自分をトップリーダーだと改めて自認し、
胸を張り自負できますか?
きっと次の都知事選。
対抗する候補がかなり低い資質でも
楽々当選できるほどハードルが低くなるでしょう。
私はそう思います。
一連の2020年東京オリンピックの迷走から
うまく距離を保ち、批判の渦中から逃れたり、
熊本地震への支援を表明することなく
職員の派遣も物資を送ることもしない都知事。
とても情けないとしか感想を持てないオヤジが一句。
別荘に ファーストクラスも 公用よ
(血税消費認定委員会)
お粗末。
東京都の舛添要一知事が28日の会見での釈明時に、
自身を「政治家ってのはトップリーダーです」
と発言したことが極めて不評を買っている。
平時なら聞き流されたかもしれないが、
特権意識が招いた問題とも批判される中での発言に、
ネット上などで「自分でよく言えるよな」
「見下した発言」「思い上がり」と批判の声が噴出した。
舛添氏は、昨年4月から約1年間で計48回、
公用車で神奈川県湯河原町にある別荘に行き来していた。
会見では、毎週のように別荘に向かった理由を
「あのね、政治家というのはトップリーダーです。
先々のことを、
大きなグランドデザインを描く作業があるんです」と発言。
斬新なアイデアを生むためのリフレッシュの必要性を説いたが、
状況的に「トップリーダー」は反感を買ったようだ。
ツイッターには「総理大臣が言うならまだしも」
「自分の事をよくトップリーダーって言えるよな」
「トップリーダーは自分でトップリーダーとは言わない」
「周囲にトップリーダーとおだてられて
思い上がったか」などと批判が集中。
発言に対し「見下した発言」「ズレ過ぎ」
「勘違いしている」「トップリーダーと威張る都知事」
「ダメだこりゃ」と、印象はよくなかった様子で、
火に油を注ぐ一言となってしまったようだ。
-デイリースポーツ 4月29日(金)20時36分配信-
政治家=トップリーダーなのではない。
民衆から支持を得た高邁な施策・政策のため
死にもの狂いで頑張り、実現を果たす者、
会社経営などで、利潤追求のみにとらわれるのではなく
仕事に携わる人々や、他社や社会全体に
多大な影響力を発揮し引っ張ってゆく者などを云う。
わたしの認識するトップリーダーとは
そうした人たち。
別な言い方をすれば、『指導者』だ。
首相や重職に就いた者が勘違いしがちだが、
ただその職に就いただけの人間を、
世の中の人々はトップリーダーとは認識してくれない。
それを端的に示してくれるのが
サミット=先進国首脳会議だ。
『サミット』と云うだけあって
参加者は各国の代表であり、
世界をけん引するだけの力のある国のトップが集まる。
しかし、数年でコロコロ変わり、
世界のリーダーとしての指導力を
発揮できていないようなどこかの国は、
まるで刺身の褄であるかのように
記念撮影時、隅っこに追いやられる。
もし誰もが認める重要人物なら、
例え場所取り争いでつま弾きにされても
すぐにその場の雰囲気や空気で
真ん中に呼び戻されるだろう。
それは単にその国の国力でそう扱われるのではなく、
その人間のリーダーとしての資質と実績、
更に会議を引っ張る指導性などによるもので決まる。
会議で寝ているような人間は
居ても居なくても同じ。
どんなに重要なポストや立ち場の者でも
記念撮影時、真ん中に呼ばれたりしないのだ。
もうすぐ始まる伊勢志摩サミット。
今年は議長国としてきっとオバマの隣に収まるだろうが、
歴代の日本の首相の立ち位置はどうだったか?
そして、それは何を意味するのだろう。
また、もしも(想像したくもない悪夢だが)
トランプやテッド・クルーズが大統領として
次のサミットに出席したならば、
きっと会議は台無しだろう。
果たして真ん中に立てるのだろうか?
翻って舛添さん、
今回の騒動で、あなたはたくさんの批判を受けました。
もう一度振り返ってみて、
本当に自分をトップリーダーだと改めて自認し、
胸を張り自負できますか?
きっと次の都知事選。
対抗する候補がかなり低い資質でも
楽々当選できるほどハードルが低くなるでしょう。
私はそう思います。
一連の2020年東京オリンピックの迷走から
うまく距離を保ち、批判の渦中から逃れたり、
熊本地震への支援を表明することなく
職員の派遣も物資を送ることもしない都知事。
とても情けないとしか感想を持てないオヤジが一句。
別荘に ファーストクラスも 公用よ
(血税消費認定委員会)
お粗末。