uparupapapa 日記

今の日本の政治が嫌いです。
だからblogで訴えます。


『シベリアの異邦人~ポーランド孤児と日本~』【カクヨム】連載版 第9話「初めての日本!!!」

2022-11-29 13:18:51 | 日記

 1920年(大正9年)7月下旬以降第一回救済事業で375人が陸軍輸送船「筑前丸」で東京へ。

  しかも言葉や習慣の違う孤児たちの世話と意思疎通の窓口に同じポーランド人が良いだろうと、合計65人の大人のポーランド人を付添人として一緒に招いた。




  ウラジオストクからヨアンナはエヴァという友を得た。

 住み慣れた家を失い、かけがえのない両親を失い、シベリアの暗く、寒く、飢餓と敵国の難民に対する侮蔑と憎悪の世界から救出されたヨアンナは、押しつぶされそうな悲しみを背負いながら同じ境遇のエヴァや他の孤児達に囲まれ、未知の不安と希望の国、日本に向かう船に乗った。

 

 初めて見る広い広い北に広がる灰色の海。

 大海を押し進む船に乗るのも初めての事。

 比較的元気な子と介助の必要な子。

 年長さんと幼少さん・・・・。

 

 エヴァと見る海は所々白波がたち、流れる風が冷たく心地よい。

 でもエヴァは何だか辛そう。

 そう、エヴァはこの戦乱で栄養失調気味であった。

 でも努めて元気を装う。

 同行の大人たちから余計で過大な病人扱いされたくないし、ようやくできた友ヨアンナと引き離されたくないから。

 たくさんの孤児達が思い思いに船室と甲板上に別れ、雑談する。

 だが可哀そうだが看護の必要な重症な子は、船室内に仮設された簡易入院コーナーで自由を制限された寝たきりの移動であった。

 ホントはエヴァも怪しい。

 保護係の大人たちから保護観察要注意対象とされ、鋭い監視の目に晒されている。

 そんな大人たちひとりひとりにエヴァは不敵にもあだ名をつけた。

 「ほら、あそこの影にいるオジサンは、ちょっとキリンに似ていない?」

 「キリンって何?」

 「ほら、首の長い動物よ、知らないの?」

 「知らな~い。エヴァはなんでキリンの事知っているの?」

 「だって、何かの本で見た事あるもの。

 首がと~ても長いんですって。」

 「へぇ、そんな不思議な生き物もいるのね。私も見てみたいな。」

 「それでね、あのオジサンの顔、絵で見たキリンの顔にそっくりなの。

  長ーいまつ毛で頬もこけていてね。

  いつも何かムシャムシャ食べているように口を動かしそうな顔しているでしょ?

  だから私は心の中で『キリンおじさん』って呼ぼうかしらって思っているの。」

 「あら、エヴァって悪い子。大人の人にそんなあだ名をつけるなんて。」

 「そう?そういうヨアンナも石像の妖精さんに『ダニエル』って名前をつけたんでしょ?それと一緒よ。」

 「それとは全然違うと思う・・・。」

 「とにかく、キリンさんや熊さんや、キツネさんにリスさんでしょ、それにお魚の目のようなオジサンもいたわよね。」

 「ヤッパリエヴァって悪い子だと思うわ。私知らな~い。」

 

 ぺろって舌を出すエヴァであった。

 

 でもヨアンナも(エヴァや他の誰にも言っていないが)、あの懐かしいふるさとのいつ見ても必ず大量の洗濯物を干していたアガタおばさんのような、陽気でいつもバリバリ働く随行する看護担当の大人の女性を見て、心の中で『アガタお姉さん』と呼んでいた。

 それに顔中髭だらけの人を『ウォルフさん』と呼び(でも彼はふるさとのウォルフおじさんみたいに、割腹は良くない。ごく普通のスマートなお兄さんであった。)

心の中でいつも「ごきげんよう!」と挨拶していた。

 当のお兄さんは何故ヨアンナがいつも自分を見つめるのか?その訳が判らずにいた。

「そんなに僕の髭が珍しいか?」

 

な訳ないだろう。

 

彼にはヨアンナは謎の少女だった。

 



 ポーランド人孤児たち一行を迎えるにあたり、日本は国家の威信をかけ、驚くべき短期間に総力を挙げて迎える万全の準備をした。

 

 寄港先の敦賀港では多大な便宜が図られ港に到着後すぐに長旅でボロボロになった着衣が煮沸消毒され、代わりに真新しい浴衣を着させられた。

  たもといっぱいに飴や菓子を入れてもらい、更に玩具や絵葉書などが差し入れられ子供たちを慰めた。

  休憩、宿泊所に滞在したのは1日という短期間だったが、心のこもったもてなしを受け、子供たちの心に強く残った。

 無理してはしゃぐエヴァ。

 ヨアンナはそんな彼女をかけがえのない友として、大切に思っている。

 きっと二人にとって一生忘れる事の出来ない旅になったろう。



 ヨアンナは到着した敦賀港から宿泊施設に向かう道すがら、思わず吸い込まれてしまいそうな美しい花とのどかな民家が見えた。

 照りつく真夏の太陽、初めて聞くうるさいぐらいの蝉の鳴き声。

 ヨアンナやエヴァには、それらの音が何なのか理解できない。

 彼女らにとって異郷の地は珍しさで溢れていた。

 この地に降り立った瞬間、ここが今まで過ごした自分たちの世界とは異なる場所だと感じた。

 でも何故だか心地よい。

 ここの人々の優しい眼差し、何やら話しかけてくるが理解できない言葉の意味。

 今まで口にしたことのない甘いお菓子!

 「おとぎの国?」

 そう、ヨアンナが平和で幸せな家庭の中で何不自由なく暮らせていた幼い記憶が残っていたら夜ベッドで優しい母が読んでくれる、グリム童話やアンデルセンの童話の絵本の中の不思議なおとぎの国を思い出しただろう。



 ヨアンナの父と母がまだ生きていた頃、母はヨアンナの事を

「私の大事な子猫ちゃん。」

 といつも呼んでいた。

 あまりいつもそう呼ぶのでヨアンナは

 「私はヨアンナ!子猫ちゃんじゃない!」

 ふくれて応えた。

 でも母から笑顔が消えることはなく、

「そうねぇ、可愛い、可愛い大事なヨアンナ子猫ちゃんよねぇ。」

というので、それ以上反論するのを辞めた。

 また父は、ヨアンナを天使のように扱い、仕事の時以外ヨアンナが父のまとわりつくのをとがめたり、わずらわしそうな素振りを見せなかった。

 そしていつも楽しそうにポーランド民謡の『はたけのポルカ』を歌って聴かせた。

 母同様、父も歌は上手だった。

 ヨアンナにとって大切な両親の記憶。

 

 思い出しながらも、流れる景色と道を曲がった先に咲き誇る草花が目に入りヨアンナは思った。

「まあ!なんてきれい!!きれい!!!きれい!!!!」

 長かった辛い旅路にすっかり凍りついていたヨアンナの心。

 思わずエヴァの手を取り感動に高揚した目で訴えかけた。

 頷くように同意するエヴァ。

 

 たどり着いた日本の気候と風習が作り上げた景色が、柔らかく、温かく、心地よくほぐしてくれているのを無意識に感じた。

 ヨアンナ一行は桃や当時日本でも珍しかったバナナなど、目にしたことのない果物を食べ、地元の子供たちと遊び、尋常高等小学校を訪れ、夢のような楽しい時間を過ごした。



 一日が経ち手配された列車に乗り、揺れる車内で夢を見た。

「お母さん!ああ、お父さんも!!」

大粒の涙が流れ、声にならない声を出し、両手を広げ駆け寄った。

「おお!ヨアンナ!待っていたよ、よくここまで来ることができたね!偉い、偉い!」

「よく顔を見せてごらん。」

ヨアンナは父と母の間で顔を埋め、いつまでもいつまでも甘えながら泣いていた。

 

 朝になり・・・・

相変わらずの規則的なレールを走る音と揺れ。

「・・・・夢だった・・・。」



 でもひとつ、これだけは現実である。

 ヨアンナの顔に残る涙の跡と腫れた目元は・・・。

 ひとり苦難を乗り越え、少しだけ成長したヨアンナ。

 夢の中の父と母に見せた涙は、あの世に逝ってしまった両親にとり、ひとり残したこの悲しみに満ちたこの世の中で一番清らかで大切な宝物であった。




 列車の旅も終盤に差し掛かり、車窓の外は連なる家、家、家・・・。

 そして大きな駅にたどり着き、

「目的地に着きました、皆さん降りるように。」

と告げられた。

 そして駅から歩くこと数分。

 見た事の無い着物を着たおびただしい人、人、人!目前に奇妙なアーチがそびえその先にぶら下がる幾列にも並んだガス灯と、時折目にする店先の日本提灯。

 異国の不思議な文字の看板たち。人力車や大八車がところ狭しと人と人の間を器用に縫い、行き交う表通り。

 家の狭い庭先にささやかに植えられた鉢植えの草花。

 船から降りた所とは全く異なる賑わいと活気と喧騒に包まれていた。





     つづく


『シベリアの異邦人~ポーランド孤児と日本~』【カクヨム】連載版 第8話 「救出」

2022-11-18 09:23:34 | 日記

その頃ヨアンナは前年までのロシア革命後の混乱と当時の革命ロシアの有力政治勢力であるボリシェヴィキ、メンシェヴィキ間の政争やその後の反革命軍(白軍)との闘争で無人と化し、荒れた農場の無人の小屋に、ヨアンナを世話してきた2家族6人と身を寄せていた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 ※ ボリシェビキ:ロシア一国の単独革命を目指す一派。

   メンシェビキ:世界同時革命により、世界中を共産主義化しようという一派。

   反革命軍(白軍):革命側(赤軍)に対し、ボリシェヴィキの10月革命に反    

   対する一派。但し白軍はその10月革命以前のロシア革命の発端となった2月革

   命には反対していない。

   なので、正確には反革命軍という名称は当たらない。反ボリシェヴィキ軍と

   呼ぶべきである。

   最終的にはボリシェヴィキが勝利し、盟主レーニンの死後、後釜に悪名高いス

   ターリンが座り、恐怖による独裁政権を確立、ドイツ・ナチスのヒトラーより 

   多くの国民や征服した外国人を殺戮、悪政の限りをつくした。

 

   因みに、世界一多くの人類を虐殺したのは、けた違いのダントツ一番である中

   国共産党の毛沢東です。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 その家族はヨアンナの父の最後を目撃したが助ける事も出来ず、結果、見殺しにしてしまった罪の意識から、残されたヨアンナを成り行き上、連れ歩いたのだった。




 そんなある日の午後、一脚の馬車が小屋の前で止まった。

 少しの間、何やら話す声が聞こえ、粗末なドアがノックされた。




 部屋の中の誰もが固唾を呑んだ。

 もう一度強めのノックに勇気を出して返事をした。

 「ここにポーランドからの孤児がいると聞いてやってきた。

 もし居るのなら助けに来たのでドアを開けてほしい!」

 ロシア語ではなくポートランド語が聞こえた。

 助けとの言葉に反応し、急いでドアを開けると、ふたりの男が立っていた。

 ひとりはポーランド人、ひとりは軍服を着た東洋人。

 ポーランド人は極東救済委員会のメンバーのひとりで、孤児の捜索と通訳を兼ね同行していた。

  彼が手短にここに来た事情を伝え、ヨアンナを連れ出すのを納得させた。

  残る家族に当面の食料と金を残し、納得させた上で。




 しかしヨアンナの目は不安で一杯だった。

 

 私に用なの?

 何処に連れて行くの?

 お母さん、お父さん助けて!!

 

 心の中で叫んだ。

 

 東洋の軍人さんは怖そうだったが、救済委員会の人はひざまずきヨアンナに優しく語りかけた。

「お嬢さんの名前はヨアンナって言うんだね?

  おじさんはロベルト。

 ヨアンナを助けに来たんだ。もう大丈夫。

 何も心配は要らないよ。

 

 おじさんたちと一緒に食べ物の心配のいらない所に行こう。

 可愛そうに・・・・、お腹が空いているだろう?

 いつから食べていないの?」

 「昨日のお昼。」

 「じゃあ、昨日の夜も、今日の朝も何も食べていないんだね?」

ウンと頷いた。

 

 軍人さんがヨアンナを馬車に乗せると、用意してあったパンとミルクを与えた。

 馬車が走り出し、次第に小屋から遠ざかる。

 とうとうヨアンナにとって、知っている人が誰もいない孤独な旅が始まった。



 数日かけイルクーツクの日本軍の駐屯所からウラジオストクの救済委員会が手配した宿泊所などに泊まる。

 数日後次第に集結した孤児たちで賑やかさが増すと、日本行きの船の出航の準備が整った。

 

 その孤児たちの中に、ヨアンナと同い年のエヴァという少女がいた。

 

 エヴァはひどくやせ細ってはいるが、透き通った青い目が人懐っこさをたたえ、ヨアンナの一番の友達になれそうな予感を持たせてくれる。

 「おはよう、ヨアンナ!昨日のオートミールも美味しかったけど、今朝のご飯も

良い匂いがするね。

 楽しみだわぁ・・・、今朝のメニューは何かしら?」

 満面の笑みで語りかけてくるエヴァは、もう何年も前からのヨアンナの友であるかのように、自然に接する術を持っているようだ。

「フフフ、エヴァったら、頭の中は食べ物でいっぱいなのね。

 でも昨日のオートミールは半分も食べられず残したじゃない?

 今朝のご飯だってチャンと食べられるかどうか分かんないでしょ?」

「だって私、今までいつもほんの少ししか食べていなかったでしょ?

 お腹がびっくりしてそんなに食べられないじゃない。

 でも、今まで食べた中で一番美味しかったのはホントよ!

 ああ、あんな幸せな食べ物を毎日食べられるのだったら、私の身体は全部食べ物で出来ていても良いわ。

 ねぇヨアンナ、そう思わない?」

 

「・・・・・思わない・・・・。」






 そしてヨアンナはもう一人、奇跡の出会いをその宿泊所で果たした。

 それは近所の家にいたあの「いたずらヤン」である。

 彼はヨアンナを見つけると、目を見開き、クシャクシャな笑顔で、とても嬉しそうな顔になった。

 しかし彼は重いチフスにかかり床に伏している。

 彼には渡航は無理であるのが誰の目にも一目瞭然だった。

 

 彼をここまで連れてきたのは、せめて最後くらいはできるだけ手厚い看護と、同世代の孤児達と触れ合えば、きっと元気が貰えるだろうとの児童救済委員会と日本の捜索隊の温情と気配りの特別なもてなしの結果であった。

 

 彼は力なく言う。

「ヨアンナ、ごめんよ。僕・・・。

ヨアンナにまた会えてうれしいよ。

元気になったら、僕、ヨアンナと遊びたいな。

ごめんね、いつも意地悪ばかりして。」

ヨアンナはあの日までの嫌なことを一瞬で忘れた。

 

そして今、唯一よく知っていた人に会えたことを素直に喜んで、

「また会えてよかったわ。

ヤン、一緒にお船に乗れるのね。」

 

・・・だがそれは叶わなかった。

 

ヤンにとってウラジオストクが短い人生最後の地となった。

 

それを知らないヨアンナは未知の不安と希望に満ちた日本行きの船に乗る。





    つづく


『シベリアの異邦人~ポーランド孤児と日本~』【カクヨム】連載版 第7話「日本への道」

2022-11-10 09:59:55 | 日記

 勇気を振り絞り大きく重いドアをゆっくり開けた。

 ギーと云う不気味な音がしそうな程、不安な心を写し出すそのドアを開けるのが

怖い。

 ドアの向こうに、期待する応えが待っているようには到底思えない。

 

 でもこれからの自分の説得に、全てのシベリア孤児たちの命運がかかっている。

 

 自分の説得の失敗は、しかも最後の頼みの綱であるチャンスを落とすとは、イコール未来あるはずだった孤児たちの見殺しに直結する。

 守ってあげるべき大人たち。

 でもなす術もなく、消え去る大切な幼い命。 

 その残酷な結末を誰が直視できるだろうか?

 

 今、彼女たちの置かれた救出作戦の状況を、バレーボールの現代の国際大会の試合に喩えると、宿敵である絶対負けられない命を懸けた試合の相手に、既に2セット先取され、3セット目もマッチポイントを獲られた状態。

 

 後が無い。

 あと1ポイント取られると即ゲームセットとなる絶体絶命の形勢にあった。

 

 その重圧から引きつった面持ちで、彼女を含む一行は日本領事館という未知の巨大な壁に挑んだ。

 

 受付の堅苦しそうな係官に要件を告げる。

 彼は東洋人によくありがちな端正だが若干の細く吊り上がった目。

 髪をきれいに7・3に分け、落ち着いたとりすましたたたずまいで物腰低く柔らかではあるが、有能な係官によく見られるような、そつなく事務的に対応をした。

 

 彼女は最悪、領事に会えず門前払いされる事を覚悟していた。

 しかし小一時間程待たされた挙句、「3日後に若干の時間を割いてくれる」との回答を得た時、皮一枚で運命の糸が繋がったと感じた。

 そしてヤクブケヴィッチ副会長の言葉が蘇った。

「もしかして希望が持てる?」

それは、要件を聞かれ必死でポーランド難民の、とりわけ孤児の身に起きている悲劇を訴えかけた彼女が係官の胸を打ったから取り次いでもらう事ができたのだった。

 感情を表に出さない係官からの同情と賛同を打ち漏らした彼の表情に、迂闊うかつにも彼女を含む一行は全く気づけないでいた。

 そして彼女の言葉には孤児たちの命を救うという目的の尊さと、熱の籠った人の心を動かす強い説得力があることにも。

 それは奇跡であり、神から与えられた当然の結果でもあった。

 

 3日後の約束の時間、アンナ女史は領事の執務室に通され、分厚く敷き詰められた絨毯の奥にある重厚な机のあるじに自らの請願の内容を訴えた。

 領事は整えられた短い髪、鼻の下に少しだけ髭がある。

 温厚そうな涼しそうな目元から人を包み込む優しさをたたえ、じっと真摯に聞いていた。

 

 彼女は語り始める。

「親愛なる日本の領事様、私のような縁も所縁も利害関係もない見ず知らずの外国人に目通りしていただき、貴重なお時間をいただいたこと、重ね重ね誠にありがたく存じます。

閣下のご厚意に心から感謝いたします。」

 緊張な面持ちで、しかしまっすぐな目で相手の眼を見据えながら話した。

 領事はそれに笑顔で、

「ここに来るまでには、さぞ勇気がいった事でしょう。

 私の方こそ貴女のような崇高なご婦人とお会いでき心から喜んでおります。」

 そう言い終わると、控えの間から熱いコーヒーが運ばれ出された。

 

 その後彼女の口から熱心にシベリアでの同胞の苦難とここに至るまでの他の列強諸国から受けた冷徹な扱いを聞き、ここが最後の望みである事を正直に涙ながらに訴えた。 

 もし貴国に断られたらシベリアで無残な死を迎えるしかない哀れな孤児の運命を強く語る。

 

 深い同情と正義感と慈愛の心、人の上に立つ武士道精神の心得を持つ領事は、

「私には貴方達の不幸な同胞の救済を決定する権限はありません。

 しかし私にもできる事はあります。」

 そう言うと机に向かい引き出しの中から1通の書状を取り出し、

「これをお持ちなさい。」

そう言いアンナ女史に渡した。

「これを持って日本の外務省にお行きなさい。

きっと貴方達の助けになります。」

 

 その時彼女の天を見上げ喜びの表情で何かを呟くのをそこに居合わした職員たちは目撃した。

 だが、彼女らには自分たちの幸運に気づいていない。

 

 対応してくれた領事は、ただの領事ではない。

 

 人道派軍人として知られるあの樋口季一郎と命脈を結んだ、人道主義に基づいた

 人格者であった。



 注: 樋口季一郎 1888生。最終階級陸軍中将。

    第三師団参謀長、ハルビン特務機関長、第9師団長を経て、

    第5方面司令官兼北部軍管区司令官。

    1919年シベリア出兵に伴い、ウラジオストークに赴任。

    1925年ポーランド公使館駐在武官(少佐)として赴任。

    第二次世界大戦前夜、迫害を逃れたユダヤ人を助け、満州国通過という

   「樋口ルート」という脱出路を屈指し、累計2万人以上のユダヤ人を救う。

    更に1942年北部軍第5方面軍司令官として着任(本部札幌)。

    アッツ島玉砕後、キスカ島撤退作戦に於いて、奇跡の救出を成功させた。

    1945年8月10日、ソ連による対日参戦。

    同8月18日から侵略してきたソ連軍に対し、占守島(千島列島最北端)

    に於いて対ソ徹底抗戦を指揮、これを成功に導く。

    も占守島攻防戦で日本軍守備隊が負けていたら、敗戦後の連合国の領土配分 

    交渉で北海道・東北がソ連領になっていたかもしれない。

    あまり知られていないが、あの時代の傑出した救世主であり、

    この物語の主人公ヨアンナや、ポーランドとは間接的に深い関係にあった。 

    



 それはさておき、今は一刻を争うとき。

 救済委員会のアンナ女史たち一行は急ぎ渡航した。

 領事館の紹介状と極東ポーランド赤十字社からの紹介状を携えて。

 

 1920年6月18日東京の外務省を訪れた。

 対応した外務省の担当係官の助言により、アンナ女史は翌日フランス語の嘆願書及び状況報告書を携え再び外務省を訪れた。

 アンナ女史は在ウラジオストク領事館の時と同様涙ながらに必死で訴えた。

 勿論もちろんポーランド人の孤児など遠く離れた日本に人として国家としてこの窮状を知り、見殺しにしても良いものか?

 女史の訴えに深く同情し、「アジアの盟主を目指す国家」としてこうあるべきとの指針と野心を持った日本。

 どうすべきか決断と行動は早かった。

外務省は日本赤十字社に救済事業の立ち上げを要請、ウラジオストクを拠点に同年7月救済活動を始動した。

 

 アンナ女史の救済要請から17日後の事だった。

 当時日本は、シベリア出兵で列強最大の兵力を展開。

 他の列強が撤退した後も、駐留を続けていた。

 彼ら駐留日本軍はアンナ女史の請願を許諾した日本政府の命を受け、イルクーツクとその周辺に点在するポーランド人とその孤児たちを軍の組織の総力を挙げ、粘り強く捜索した。



 シベリア各地に点在する孤児救出は、時間との厳しい戦いであった。

 こうしている間にも、力尽きた孤児たちは日にひとり、ふたりと絶命している。

 

 ヨアンナは・・・・。





     つづく


『シベリアの異邦人~ポーランド孤児と日本~』【カクヨム】連載版 第6話 「児童救済会」

2022-11-08 14:48:36 | 日記

 シベリアの孤児達は明日をも知れない危機的状況にあった。

 

 そんな状況をみかねて大陸極東の最果て、ウラジオストクのポーランド人達が立ち上がった。

 ウラジオストクは、イルクーツクと並びシベリアでポーランド人が古くから暮らす拠点都市となっていた。

 シベリア鉄道の土木技師を夫に持ち、ウラジオストクに居住するアンナ・ビルケヴィッチ女史が中心となって『児童救済会』が組織され、せめて孤児たちだけでも助け出したいと行動をおこした。

 

 と云っても当人たちも故国からロシア人に徴用されシベリア鉄道建設に駆り出された者や、流人として流されてきた者とその家族や子孫である身。

 寄付を募っても孤児たちを救える額など、集まるはずもない。

 思い悩んで救済会が助けを求めた欧米の列強諸国は誰もが耳を閉ざし、助け舟を出さなかった。

 

 追い詰められた救済委員会。

 最後にわらをもつかむ想いですがったのが日本だった。

 

 でも彼女たち救済委員会のメンバーにとって日本とは、ずっと昔キリシタン信徒をはりつけにした非情で残忍な国との印象しかない。

 そんな国に助けを求めるのは無駄と思われた。

 

 その彼女たちを説き伏せたのは、若い医師ヤクブケヴィッチ副会長だった。

 

 シベリア流刑囚の息子である彼は「私は日露戦争に従事した同胞を数多く知っています。

 でもその中で日本や日本人を悪く言う人は誰一人としていません。

 今年の春にわが軍のチューマ司令達を助け、船を用意し窮地を脱することができたのは日本軍のお陰だったと皆さんもご存じじゃないですか。」 

そう発言し、メンバーの婦人たちを説得した。

 

 委員会のメンバーは説得を受け入れるしかなかった。

 他に方法はない。

 まず彼女らはウラジオストクの日本領事を訪ねた。

 その建物の構えは彼女に冷たく、よそよそしく思われる。

 それはそうだろう、日本にとって故国ポーランドの困窮した民や孤児を救うべき理由など何処にもない。

 彼女が救いを求めたそれまでの各国の対応は、冷徹な門前払いだったことを思えばなおさらだ。

 それまですがった国は彼女たちにとって総て欧米の白人国家という遠い同族意識の

微かな可能性に訴える事ができたが、地球の反対側の全く異質な黄色人種の国にそんな連帯意識を求めるのは無理な相談だ。

 

 いわば絶望に近い望みであった。

 

 

 

          つづく


京都橘高校への台湾の想い・・・・根本 博という人物を知っていますか?

2022-11-02 15:58:44 | 日記

 

 

 

 2022年10月10日 日本の京都橘高校のマーチングバンドが、中華民国国慶日という台湾人にとって特別の日に招待され、そのあまりに有名なパフォーマンスを披露した。

 蔡英文総統への特別な謁見の機会を得るなど、破格の待遇を受けての演技である。

 それはただ外国人のパフォーマンスで、中華民国国慶日の重要な行事に花を添えるというような軽い意味ではない。

 武漢ウイルスの蔓延による入国制限の中、特別待遇を与えてまで招待した高校生たち。

 彼女らは日本の国旗を背負って台湾人の見守る舞台に立ったのである。

 台湾人の日本人に対する特別な想い。

 それは長い歴史の中で培ってきた双方の民族の信頼と絆がもたらした、友好の歴史の現れだった。

 多くの日本人の知らない彼らとの信頼と絆。

 

 習近平の野望による台湾侵略の危機が迫る中、日本人として是非知っておくべき台湾人の想いを紹介しました。

 

 

 

 

 

  根本 博 陸軍中将

 

  家族には「釣りに行く」と言い残し、台湾に密入国。

 そして蒋介石との約束を守り、大陸中国と台湾の最前線である金門島死守の戦いに身を投じ、見事撃退した根本は、何事も無かったかのように、家を出た時と同じ姿で帰宅した。

 

 その歴史的事実を決して忘れていない台湾の人々の想いは、京都橘高校のパフォーマンスを通し、その向こうの日本への熱い気持ちをぶつけるように、国家を挙げて賞賛しながら熱狂したという。

 

 今の私たちに彼らのそんな熱すぎる思いを、ストレートに受け止めるだけの器量があるだろうか?

 

 私は台湾を見る目が以前と大幅に変わった思いがします。

 そして何かしらの自覚を持ち、何かに気づくべきと・・・・。