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いつもの書道の話しとは離れて、
ミニ・ファミリーヒストリーなので、
ご興味のない方はスルーなさってください。
先週15日(火)の新月はマヤ暦 KIN 1 だそうで、
更に今年の冬至は、木星と土星が並ぶ、特別な年、
なのだそうです。
この節目の時に、
記録の意味で、子ども達へ残します。
我が家の梅 と 私の父(子ども達のおじいちゃん)の歴史。
昭和26年。
父と母が結婚当初、新居をとりあえず ある一軒家の一部屋を
借りて住んでいました。 その家主が大家さんだと思っていたら、
その家主も借家で、本物の大家さんが別にいたそうです。
父はそれを知らずに間借りしていたら、家主の又貸しが
大家さんにバレて、家主が訴えられることに。。。
で、こんなとこに住んでられないと、
夜逃げ同然に昼間、母の実家の空き部屋(4畳、狭っ)へ、
リヤカー!で引っ越しました。
(当時はリヤカーを引いてくださる方がいたそうです。)
明治生まれの舅(母の父)は厳しい人(私には優しいおじいちゃん)で、
婿である父に、
「所帯を持つのに家がないのは、男として烏と同じだ。」と。
父は、会社が休み(当時は土曜日も出勤)の 日曜日に、
毎週 土地を探しに あちこち 手弁当も持たずに、、、
戦後まだ5年くらいで食料不足のためお弁当どころではなく、
母は「何も持たせてあげられなかった。」と。
1年半 もの間、毎週 土地を探して歩き回ったそうです。
自分の苦労を話さない人なので、母は詳しくは知らないそうですが、
まずは中央線沿線、東中野の駅など不動産屋を一軒一軒。
借地はあっても売地がなかったそうで、
日曜日のたびに大変な思いをしたみたいだ、と。
縁あって今の土地を見つけて気に入って買うことに。
ところが地主に土地を数坪くらい騙されて、
それを知って、直談判 交渉して少し取り戻したと。
当時 父は25歳くらい。
築地魚河岸のすぐ近くで生まれ育った江戸っ子で、
子どもの頃はガキ大将と言われたそうですから。。。(笑)
資金は15歳上の父の長兄に貸してもらったと。
貸してもらった恩義から、土地の名義は長兄の名義にしました。
借金は、兄弟といえども返済したそうです。
(ずっと後で長兄から名義変更する流れになって
贈与税を払うおまけも;)
広い土地ではありませんが、
半分あれば夫婦で暮らせるくらいの家は建てられるので、
あとのやや広めの半分 陽当たりのいい南側を空けて
自分は遠慮して 北側△地の尖った方に平屋を建てました。
昭和29年のこと。
南側を空けたのにはわけがありました。
土地を長兄名義にしたので、
南側に長兄が妹(長姉)のために家を建てるかと、
そのつもりで、空けておいたのだそうです。
父が2歳の時に母親が病死し、
長姉は父の母親代わりだったそうです。
長姉は喘息があり病弱で、ずっと家族の世話をしていました。
ゆくゆくは父が長姉の面倒をみようと母にも相談していたそうです。
それで病弱な長姉のために南側を空けておいたそうです。
さて、梅です。
舅に烏と同じだと言われて、やっと探し当てた土地に、
家を建て、引っ越すことになりました。
それまで住んでいた 豊島区大塚にある
母の実家のすぐ近くの 天祖神社 の夜店で
新居の庭に植えるのに、苗木を数本 買ったそうです。
引っ越しのトラックにその苗木が乗っていた、、、?
植えるために買ったのですから当然 荷物の一部だった
はず、、、なのに、どうして苗木が乗っていたか
夫婦とも後年になったらわからない、と。
(へんなの~;)
その苗木たちは新居に植えられて、時代とともに、
今の梅だけが残ったのだと。
「この梅が、咲いてみるまで八重のこんなかわいい
紅梅だとは知らなかったのよ。」
と、母は言います。
そんなこんなで、
父の改めての 一家の主あるじ の出発 と 梅の 成長物語が
同時に ここから始まりました。
この土地に根付く 同志 のような…? きっと。。。
そのころ20代後半の父にとって、
*梅の成長は自分の成長でもあるようで、
梅が大きくなっていくようすに、
自分を重ね合わせて梅を楽しみに見ていたそうです。
そして、梅が、毎年 季節になると、
ちゃんと元気に花を咲かせてくれて、
寒いのにがんばって咲いていることを
うれしく見ながら、梅に励まされたそうです。
(*父から直接聞いた話しではなく、父の死後、
魂と会話できる方にお願いして、
梅のことを父の魂に聞いてもらった話し。)
花が咲くと 毎晩 眺めていましたから、
深い想いがあったのだろう、と。
ちなみに、父が当地世田谷に引っ越してから
しばらくして私は生まれます。。。
生まれた子に家がないのはかわいそう、
家が先、という父の哲学でした。
88歳9ヵ月で父は他界しましたが、
晩年、自分が死んだら、梅はバッサリ切っていいよ、と。
言い遺していました。
陽当たりの悪い北西にあって、枝にびっしりとカイガラムシが
つくので、駆除や手入れが大変だから、家族に迷惑になる、
という配慮でした。
でも、梅はまだ咲いてくれています。
バッサリなんて切れません。
父が天寿をまっとうしたように、
剪定しながら、梅は梅の天寿をまっとうしてほしい、と。
父の魂は、
*本音は花が少しに減ってもいいから、
天から見ていたい、そうです。
父の想いはできる限り 私が受け継いで
父には天から見ていてほしいと。
さて、とはいえ、これはあくまで私の想いです。
たまたま私は一人っ子で跡取りということもあって、
父の想いを受け止めてそう思うだけ。
私の子ども達に父や私の想いを受け継いでほしいとは思いません。
ただ、そんな歴史があったんだと、それだけ。。。。^^
冬至を機に、カルマを手放して、
カルマを作らない(カルマにならない)ように、
記録します。
***
こんな長い私的な文を最後までお読みくださった方、
心からお礼申し上げます。
お付き合いくださってどうもありがとうございました。