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蘇我氏を滅ぼした藤原氏

2005年11月03日 | 奈良・飛鳥時代

蘇我氏を滅ぼした藤原氏

 中臣鎌足と中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)といえば蘇我氏を滅ぼしたことで有名です。平安の藤原道長の先祖がこの藤原氏の始まりです。

 640年当時、蘇我入鹿・蘇我馬子と中臣鎌足・中大兄皇子は日本の行方に関して真っ向から意見が食い違いました。 中臣鎌足は、645年の大化の改新で中大兄皇子とともに蘇我氏を滅ぼし、その子孫である、麻呂・宇合・房前・武智麻呂を四卿といいます。なぜかこの4人、737年に疫病(天然痘)で亡くなっています。

 また、宮子は聖武天皇の母であり、光明子は聖武天皇の后、孝謙天皇の母となり、鎌足以来鎌倉幕府までの約500年にわたる政治の実権を握る礎を築いた御方です。その後も藤原氏は日本で第一の貴族の座を明治維新までの約1200年の間守り続けたのである。 武智麻呂が南家、房前が北家、宇合が式家、麻呂が京家の祖となり、のちに北家藤原氏の家系に「藤原道長」が生まれます。 

 これは日本の歴史上、大きな役割を持った藤原氏の系図です。鎌足のとき、大化の改新の功によって、藤原氏を名のり、後に、公家の主流をなし、天皇家と縁戚関係を背景に、五摂家を始めとして大きな勢力を持ちました。奥州藤原氏、伊達氏、斎藤氏など武家にも多く分かれていくことになります。

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