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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
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牧師・礼拝メッセージ(要約)

2013年09月16日 04時33分10秒 | インポート
【先週の礼拝説教回想】 9月8日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 マタイの福音書5章10節
・説教題 義のために迫害されている者の幸い
▼神の御国に生きる者の憲法を述べられた主イエスのことばを連続的に学んでおります。主の語られる事は論理的で学究的なものではなく、語られる事は論理的で学究的なものではなく、包括的、結論的、根本的なものでした。主は、道、真理、道です。人間の頭一つをとっても、極めて細密で包括的働きと機能を持たせて創造されました。それでも「頭」と一括して呼ばれます。
▼義のために迫害されている者の幸い。
 この節のウエスレ-の注解「すなわち、彼らは、ここに述べられている義を持ち、それを求めているから。真に正しい人、悲しんでいる人、心の正しい人は然り、『キリスト・イエスにあって、信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける』(2テモテ3:12)、世は常に言うであろう、『この連中は地上から除け、彼らは、私たちの考えを責めるために造られている。見るさえも忌まわしい。彼らの生活は他のようではなく、彼らの道は違ったものだ。』」と。
▼「義のために人々から受ける迫害」は昔からあったこと。人は反省し変わるかといえば変わらないこと。第二次世界大戦時、日本では、先達たちは、迫害され、殉教した人たちもいた。
▼無関心の迫害に信仰によって勝利しよう。
 迫害の形態は11節「わたし(キリスト)のために、人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせる」と。初期の教会に見られたローマでの迫害の契機の一つは、「彼らは地下で密かに集会を持ち、聖餐式と称して人間の血を飲み交わしている。恐ろしい集団だというようなものです。」
▼教界の中でも曲がったり、削ったり、加えたりする異端がずうっと続いてきました。聖書の福音書と手紙と黙示
録はそれを証拠立てております。
義のために迫害を受けることは、必ずしも、身体的危害を加えられることだけではありません。神を憎み、偽装してまで信じる者を痛めつける迫害なのです。今日、世は、無関心という、神の子たちを生殺しにする形をとっています。これは、最もむごい迫害と言えましょう。
▼私たちの構えと望みは、12節「喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから」です。家族も取り囲む社会も無関心、無頓着です。悔い改めないばかりか、無視と無関心と敵意を向け、軽んじ、無き者にしようとしています。しかし主は、サタンとこの世にすでに勝利されたこと、神は私たちに大きな報いを用意しておられるのです。
▼義のために迫害されている者は幸いです。