『宇都宮教会のいろいろ』   ☆ブックマーク欄「宇都宮教会ホームページ」も併せてご覧ください。

インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
 TEL 028-621-8661 ※24時間対応しております

牧師・礼拝説教(要約)

2015年02月09日 06時46分31秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】 2月1日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 マルコの福音書4章11~20節
・説教題 ことばの行方―他のことばに警戒
▼人には同じ経験をしても、受け取る心がけの事情で、大変違った結果になります。
 主イエスは種まきのたとえを通して、人はその受け取り方で、大違いの結果になると説きました。14節、「種蒔く人は、みことばを蒔くのです。」単に穀物や野菜などをではありません。神のことばをです。ですから正しい良い心で聞きませんと、何も残らず、消えてしまいます。受け取り方が良ければ、30倍、60倍、100倍の実を結ぶと言われます。
 この世の神、罪や汚れを悔い改めず、固い心と習慣で生きますと、芽生えと生長と結実はないことになります。
▼「道路や岩地の心」に蒔かれても芽が出ません。17節「みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。」と。18節、「もう一つの、いばらの中に種を蒔かれるとは、こういう人たちのことです。――みことばを聞いてはいるが、 世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望がはいり込んで、みことばをふさぐので、実を結びません。」と。
▼とてもよい始まりを与えられながら、人にもきっと良い花や実を結ぶと期待させていながら、すぐに姿を消してしまうのは、多くは、こうして、罪や汚れを悔い改め、みことばに聞き従わないために、心にも人にも喜ばれないようにされてしまうからなのです。聖書で言う長続きのする信仰は、自分は罪深かったことを知り、悔い改めて、イエス様を信じることにあります。ごめんなさいと言えない人は、どこかでつまずいてしまいましょう。主イエス様が私の全部を担ってくださったことに生涯をかけなければなりません。福音に生きましょう。
▼世の信仰や、考え生き方に教えられ倣う面が多くあるかもしれませんが、キリストがありませんので、種なし草に過ぎません。このキリストゆえに、罪の告白と赦しがあるのです。神の権威もそうです。その裁きに間違いがありません。神の名を使って人を公然と殺めるおぞましい光景をテレビに出る時代になりました。旧約聖書の一番顕著な律法の十戒には、「殺してはならない」と明言されています。
 神のみことばから離れた行いと教えは、やがて厳粛な御子の裁きに曝されることを承知しておきましょう。
▼日常生活の中で人に接して生きて影響を与えられ、与えてまいりますが、だれが真理で道でいのちなのかを見極め、ことに近いようだがまがいものである人々と宗教が増えていますので、汚され、まどわされ、狂わないように、行方が分からなくならないよう、万遍なくみことばに触れてまいりましょう。