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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
 TEL 028-621-8661 ※24時間対応しております

教会福音讃美歌

2012年12月21日 04時53分35秒 | インポート
あら野のはてに(87)
1荒野(あらの)の果てに 夕日は落ちて
 妙(たえ)なる調べ 天(あめ)より響く

※グロリア、イン エクセルシス デオ
 グロリア、イン エクセルシス デオ

2羊を守る 野辺の牧人
 天なる歌を 喜び聞きぬ
(くりかえし)

3御歌(みうた)を聞きて 羊飼いらは
 馬槽(まぶね)に伏せる 御子を拝みぬ
(くりかえし)

4今日しも御子は 生まれ給いぬ
 よろずの民よ 勇みて歌え
(くりかえし)


※グロリア、イン エクセルシス デオ=「いと高き所には、栄光、神にあれ」
聖書の箇所
「すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。
『いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。』」(ルカの福音書2章13,14節)


クリスマスは教会で!御一緒に讃美歌を歌いましょう。A.O





牧師・聖書に学ぶ会(要約)

2012年12月20日 05時54分53秒 | インポート
○病める方々などの方々のための祈り
○聖書 2.列王5:1~17。
「 アラムの王の将軍ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた。主がかつて彼によってアラムに勝利を得させられたからである。この人は勇士ではあったが、らい病にかかっていた。 アラムはかつて略奪に出たとき、イスラエルの地から、ひとりの若い娘を捕えて来ていた。彼女はナアマンの妻に仕えていたが、その女主人に言った。「もし、ご主人さまがサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、きっと、あの方がご主人さまのらい病を直してくださるでしょうに。」それで、ナアマンはその主君のところに行き、イスラエルの地から来た娘がこれこれのことを言いました、と告げた。アラムの王は言った。「行って来なさい。私がイスラエルの王にあてて手紙を送ろう。」そこで、ナアマンは銀十タラントと、金六千シェケルと、晴れ着十着とを持って出かけた。彼はイスラエルの王あての次のような手紙を持って行った。「さて、この手紙があなたに届きましたら、実は家臣ナアマンをあなたのところに送りましたので、彼のらい病から彼をいやしてくださいますように。」イスラエルの王はこの手紙を読むと、自分の服を引き裂いて言った。「私は殺したり、生かしたりすることのできる神であろうか。この人はこの男を送って、らい病を直せと言う。しかし、考えてみなさい。彼は私に言いがかりをつけようとしているのだ。」 神の人エリシャは、イスラエルの王が服を引き裂いたことを聞くと、王のもとに人をやって言った。「あなたはどうして服を引き裂いたりなさるのですか。彼を私のところによこしてください。そうすれば、彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」 こうして、ナアマンは馬と戦車をもって来て、エリシャの家の入口に立った。エリシャは、彼に使いをやって、言った。「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」しかしナアマンは怒って去り、そして言った。「何ということだ。私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、このらい病を直してくれると思っていたのに。 ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で洗って、私がきよくなれないのだろうか。」こうして、彼は怒って帰途についた。 そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい。』と言っただけではありませんか。」
そこで、ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。そこで、彼はその一行の者を全部連れて神の人のところに引き返し、彼の前に来て、立って言った。「私は今、イスラエルのほか、世界のどこにも神はおられないことを知りました。それで、どうか今、あなたのしもべからの贈り物を受け取ってください。」神の人は言った。「私が仕えている主は生きておられる。私は決して受け取りません。」それでも、ナアマンは、受け取らせようとしきりに彼に勧めたが、彼は断わった。そこでナアマンは言った。「だめでしたら、どうか二頭の騾馬に載せるだけの土をしもべに与えてください。しもべはこれからはもう、ほかの神々に全焼のいけにえや、その他のいけにえをささげず、ただ主にのみささげますから。

『らい病人ナアマンのきよめ』
○問答例「ナアマンは妻からどんなよい知らせを聞いたのですか。」

牧師・余白余録

2012年12月19日 05時45分09秒 | インポート
ジョン・T・シモンズ著 河村従彦訳 『主を仰ぐ朝』P.198
 キリストの処女降誕はキリスト教信仰の中で最も議論になる教理の一つです。キリスト教の真理にとってそれほど重要でないという理由で、その教えと内容を否定する人もいます。・・・処女降誕は何が重要なのでしょうか。簡単に言うと、キリストは人間の歴史の中から出てこられた方ではなく、外から世と歴史の中に入って来られた方だということです。主は、男性と女性による自然の出産のプロセスを通してこの世の存在を開始された普通の人間ではありません。主は「聖霊によってみごもり」、人間の性質と肉体を取られた聖なる神の御子であられました。今もそうです。キリストは神になろうとした人ではありません。人になられた神さまです。キリストただの人ではありません。神- 人(しんじん)です。
 世の救い主になるためにはそのようなご性質がどうしても必要でした。


牧師・ミニチャーチ集会(要約)

2012年12月18日 04時00分10秒 | インポート
○祈りの諸課題の祈祷
○聖書:主牧:ペテロ第一の手紙1:7~21節
信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。
あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。この救いについては、あなたがたに対する恵みについて預言した預言者たちも、熱心に尋ね、細かく調べました。彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき、だれを、また、どのような時をさして言われたのかを調べたのです。彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、あなたがたのための奉仕であるとの啓示を受けました。そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人々を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。それは御使いたちもはっきり見たいと願っていることなのです。ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」と書いてあるからです。また、人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、あなたがたが地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい。ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。 キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現われてくださいました。あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。

 ペテロの手紙は、主イエスとともに貴い3年間の弟子としての恩寵に与りましたから、その手紙は権威と篤実さが漂います。試練の中にあるローマの信者に、励ましました。「イエス・キリストを信じている。栄えに満ちた喜びにおどっています。真の信仰のあかしは、喜びおどる事を経験しているものなのではないでしょうか。


牧師・礼拝メッセージ(要約)

2012年12月17日 04時45分06秒 | インポート
【先週の礼拝説教回想】12月 9日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 マルコの福音書1:1~9
・説教題 福音を信じなさい
▼先回は、マタイの福音書から待降節の福音を学びました。キリストに至るアブラハムからの系図の中に、芳しく思われそうもない罪深い諸王、省かれた王たちに触れました。ことに4名のいわば異邦人女性たちが系図に組み込まれている事実から、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスの贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」ローマ3:23、24と。
▼本日はマルコの福音書から。マルコはバルナバの従兄弟、ペテロと親しい人物で、ペテロの後年に、ローマにいたペテロに聞きながら、この福音書を最初に記述したと言われています。
 マルコの福音書は、キリストの機敏な活動、簡明な教えと、この書の割りには長い受難の記事を載せています。
 キリストの聖誕前後のことは後でマタイとルカ、ヨハネの福音書が補充した形をとっております。彼には手早く、主イエスの活発な活動、教え、奇蹟を記述し、目的である最終の十字架による人々の贖いの御業に進めております。旧約聖書イザヤの預言から、キリストの出現の幕開けに洗礼ヨハネを登場させ、4節「罪が赦されるための悔い改めのバプテスマを説いた。」 ことから始めております。
1、イエス・キリストの聖誕の時点にだけにかたよって、成人して説いたと、行ったこと、贖いの完成を明示しておく必要を感じて、主要なクリスマスの迎え方は、薄っぺらになり、肝心なものを覆い隠す結果となりました。いのちと平和の君に取って代わり、サンタクロース、贈り物、美味しいごちそうの祝いなど、雰囲気的な行事になってしまっています。
2、主イエスは神の御子として、聖徒を救い、不信の世を裁くために、再来する時が近づいています。 
「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。」テサロニケ第一の手紙4:16。地を裁き、平和な御国を成就させるためです。その時の予兆はマタイ24章に書かれており、その成就の中に私たちは生きております。人間の歴史と教会は完結の時を迎えております。迎えることに失敗する人達は昔も今も変わりません。自戒したいものです。ひとり子をくださるほど私たち一人一人を愛し、罪の代価を払われました。ないがしろにしないでください。クリスマスを迎える同じ態度が必要です。
▼マルコ16:20、21。主の最終のことば『全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます』と言い残しての再臨です。
▼キリトの福音を信じましょう。


牧師・エッセイ

2012年12月16日 15時31分04秒 | インポート
『―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―』(ヨハネの手紙第一1章2節)

祈り
☆次聖日はクリスマス礼拝。昼食は一品持ち寄り愛餐。午後1時から、クリスマス祝会。
プレゼント交換があります。500円見当でお持ちください。
☆クリスマス案内チラシを先週、牧師夫妻で関堀町と豊郷台団地に戸別配布をしました。また、長岡通りの教会前歩道分の草刈りも。
☆当教会出身の牧師方への寄せ書きを用意しました。

♪今週半ばの集会案内♪
12月18日(火)聖書に学ぶ会   10:30~
12月20日(木)ミニチャーチ集会 11:00~
12月22日(土)公園CS
12月20日、22日の集会の時間・場所については教会にお問い合わせください。
教会?028(621)8661

教会学校金言? 「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。」(ヨハネの手紙第一4章16節)罪人がご自分のもとに立ち返るのを待っておられる神の愛を学びました。

ガーデンスポット
落ち葉   ピラカンサ  日光連山  筑波山遠景

次聖日、12月23日の礼拝説教 ヨハネの福音書1章9~14節「ことばは人となって」


ふれあい

2012年12月15日 04時56分46秒 | インポート
野宿の旅でありながら
 2000年前、イエス・キリストを、救い主メシヤとして礼拝しお迎えしたのは、貧しい羊飼いたちと、異邦人であった東方の博士たちだけでした。
 羊飼いたちは、夜、野宿していたとき、神の御使いによって、救い主の降誕を知らされました。
「御使いは彼らに言った。『恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。』」(ルカの福音書2章10節~12節) 
 羊飼いたちには、家もあり家庭もあったでしょうが、彼らは、羊とともに、きょうは東、あすは西と旅を続け、野宿することも少なくはなかったでしょう。
 これは、お互いの人生を象徴しているように思えるのです。あす、私の人生がどのように開かれるか、あるいは閉ざされるかもしれない中で、時には冷たい夜露に濡れながら、一人野宿しなければならないこともあるでしょう。
 一方、東の博士たちは何百キロの道のりを、昼は灼熱の太陽の下を歩き、夜はひどく底冷えがし、狼の遠吠えが聞こえてくる中で、何十日も野宿しながら旅を続けてきたのです。
 この博士たちの姿もまた、私たちの人生そのものの姿のようです。
 その彼らが礼拝した、神の御子救い主は、冷たく寒い家畜小屋、汚く臭い飼い葉おけの中におられたのです。
 そして、その生涯は、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」(マタイの福音書8章20節)という生涯でした。
 しかも、神の御子救い主が、この世で最後にあられた所は、たたみ一畳の広ささえもあたえられなかった荒削りの十字架の上でした。
 これは、キリストがあなたの苦悩を背負い、そしてあなた自身を背負った姿なのです。
 このような方だからこそ、あなたの人生を引き受けてくださることができるのです。
榊原 寛著 太平洋放送協会 「ふれあい」ラジオメッセージ第7集 より引用・要約しました。A.O

インマヌエル讃美歌

2012年12月14日 05時26分07秒 | インポート
もろびとこぞりて(406)

1もろびとこぞりて むかえまつれ
 ひさしくまちにし 主(しゅ)はきませり
 主はきませり 主は 主はきませり

2くろがねのとびら うちくだきて
 とりこをはなてる 主はきませり
 主はきませり 主は 主はきませり

3とこやみの世をば てらしたもう
 あまつみひかりの 主は きませり
 主はきませり 主は 主はきませり

4しぼめるこころの はなをさかせ
 めぐみのつゆおく 主はきませり
 主はきませり 主は 主はきませり

5あまつかみの子と いつきむかえ
 すくいのぬしとぞ ほめたたえよ
 ほめたたえよ ほめ ほめたたえよ

イエス・キリストの降誕を喜び祝う代表的なクリスマスの讃美歌です。教会でともに賛美しましょう。A.O

「それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂にはいり、朗読しようとして立たれた。 すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、 主の恵みの年を告げ知らせるために。」イエスは書を巻き、係の者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。 イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」ルカの福音書4章16~21節

預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。その預言者イザヤの書には
「神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。」イザヤ書61章1~3節


牧師・聖書に学ぶ会(要約)

2012年12月13日 05時24分36秒 | インポート
○課題ある方々のためのとりなしの祈り
○学んだ聖書の箇所。列王記第二5章1~17節
「 アラムの王の将軍ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた。主がかつて彼によってアラムに勝利を得させられたからである。この人は勇士ではあったが、らい病にかかっていた。 アラムはかつて略奪に出たとき、イスラエルの地から、ひとりの若い娘を捕えて来ていた。彼女はナアマンの妻に仕えていたが、その女主人に言った。「もし、ご主人さまがサマリヤにいる預言者のところに行かれたら、きっと、あの方がご主人さまのらい病を直してくださるでしょうに。」それで、ナアマンはその主君のところに行き、イスラエルの地から来た娘がこれこれのことを言いました、と告げた。アラムの王は言った。「行って来なさい。私がイスラエルの王にあてて手紙を送ろう。」そこで、ナアマンは銀十タラントと、金六千シェケルと、晴れ着十着とを持って出かけた。彼はイスラエルの王あての次のような手紙を持って行った。「さて、この手紙があなたに届きましたら、実は家臣ナアマンをあなたのところに送りましたので、彼のらい病から彼をいやしてくださいますように。」イスラエルの王はこの手紙を読むと、自分の服を引き裂いて言った。「私は殺したり、生かしたりすることのできる神であろうか。この人はこの男を送って、らい病を直せと言う。しかし、考えてみなさい。彼は私に言いがかりをつけようとしているのだ。」 神の人エリシャは、イスラエルの王が服を引き裂いたことを聞くと、王のもとに人をやって言った。「あなたはどうして服を引き裂いたりなさるのですか。彼を私のところによこしてください。そうすれば、彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」 こうして、ナアマンは馬と戦車をもって来て、エリシャの家の入口に立った。エリシャは、彼に使いをやって、言った。「ヨルダン川へ行って七たびあなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだが元どおりになってきよくなります。」しかしナアマンは怒って去り、そして言った。「何ということだ。私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、このらい病を直してくれると思っていたのに。 ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で洗って、私がきよくなれないのだろうか。」こうして、彼は怒って帰途についた。 そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。あの預言者が、もしも、むずかしいことをあなたに命じたとしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。ただ、彼はあなたに『身を洗って、きよくなりなさい。』と言っただけではありませんか。」
そこで、ナアマンは下って行き、神の人の言ったとおりに、ヨルダン川に七たび身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。そこで、彼はその一行の者を全部連れて神の人のところに引き返し、彼の前に来て、立って言った。「私は今、イスラエルのほか、世界のどこにも神はおられないことを知りました。それで、どうか今、あなたのしもべからの贈り物を受け取ってください。」神の人は言った。「私が仕えている主は生きておられる。私は決して受け取りません。」それでも、ナアマンは、受け取らせようとしきりに彼に勧めたが、彼は断わった。そこでナアマンは言った。「だめでしたら、どうか二頭の騾馬に載せるだけの土をしもべに与えてください。しもべはこれからはもう、ほかの神々に全焼のいけにえや、その他のいけにえをささげず、ただ主にのみささげますから。

『らい病人ナアマンのきよめ』
問い例:一節に見られるナアマンの長所と短所をあげましょう、長所を四つ書き入れてください。その短所一つと長所四つを比べて、どちらが重大だと思いますか。


知ってる? クリスマスのこと

2012年12月12日 05時21分54秒 | インポート
☆イエス様は12月25日生まれ?
 イエス様の誕生日が何月何日だったかはわかりません。聖書には書いてもありませんし、ユダヤでは12月は雨季の最中なので「羊飼いが野宿していた」という聖書の記述から考えると、イエス様の誕生は12月ではなかったと考えられます。
なぜクリスマスが12月25日に祝われるようになったかというと、キリスト教がヨーロッパに伝えられた時、異教徒たちが祝っていた冬至の祭りをキリストの降誕と結び付けてキリスト教化した、歴史があるようです。
 その前夜はクリスマス・イブと呼ばれ、礼拝や祝会が行われていますが、ユダヤ教では夕方の日没から一日がはじまるので、その影響によるものです。
CS成長センター「成長」№139「知ってる?クリスマスのこと」より引用A.O
 
◎クリスマス集会の御案内◎
待降節には
12月16日(日)礼拝時 讃美歌など
        特別なプログラムを用意し皆様をお待ちしております。
そして
12月23日(日)クリスマス礼拝 10:30~
          教会学校 9:45~
クリスマス祝会 13:00~
                  軽食、プレゼント交換
12月24日(月)キャンドルサービス18:30~
 どなたでも どうぞお待ちしております。