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ブログ通信簿3

久し振りにブログ通信簿をもらいました。(→8月1日、8月9日) ホホー、ぐっと若くなり、20才男性、です。 「山の知識と経験を生かして、詩人を目指しましょう。」 そのアドヴァイス、ありがたく頂戴します。 . . . 本文を読む
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【映画】地獄の逃避行

1973米国 96分 鑑賞 TV(シネフィルイマジカ)監督脚本製作 テレンス・マリック 出演 マーティン・シーン シシー・スペイセクたまたまNYの演劇学校授業でマーティン・シーンが出たのをTVで見た直後に放映された。実際にあった1950年代の25歳男と15歳少女2人の連続殺人行をマリックが詩的な映像で映画化したもの。シシー・スペイセクは、「ザ・リバー」「ミッシング」「3人の女」「ストレイト・ストー . . . 本文を読む
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移動速度

人の歩く速さは時速4kmと言われるが、それ以下になると、 新しい世界が開ける。つまり、動植物との出会いだ。 大阪でも、春先の夕方など、よく鼬を見かけた。ここ松江では 獺、鳶、鵜、鷺(読みは↓)などとの出会いがある。 中でも「くにびき大橋」をわたっている時、欄干ごしに、中の島を タヌキがうろうろするのを見かけたのは出色と言えるだろう。 (夫は、私の話を聞いても、イタチのときと同様で、全く信じなか . . . 本文を読む
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【映画】つぐない

2007年 英国 123分 鑑賞@島根県民会館 監督 ジョー・ライト 原題 Atonement 出演 キーラ・ナイトレイ ジェイムズ・マカヴォイ ヴァネッサ・レッドグレーヴ シアーシャ・ローナン 認知症で、もう後がない老作家(レッドグレーヴ)が、少女期に犯した 過ちを振り返り、生涯の最後に告白的自伝を書いている、 と言う設定だが、残念なことに、これが、三文小説。 しかし、この作家、13歳で書き . . . 本文を読む
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伯耆大山(ほうきだいせん)

大山(だいせん)は松江から東へ50kmで、距離と親近感で 東京都における高尾山に似ているが、ただ違うのは こちらは富士山のような形で、標高1700m以上ある点だ。 また神奈川県の大山(おおやま)とは、信仰の山という共通点がある。 山にも成長と衰退期があるらしい。これは後者それも末期の崩れつつある山で 見るからに稜線が柔らかい。今のうちだと、老母と3人、お天気の日に出かけた。 前面がコビトカバを . . . 本文を読む
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懐かしい町、宮崎

5歳になるまで、父の郷里、宮崎市郊外の生目村で暮らした頃の、不確かな記憶をたどろうと思う。宮崎市への街道を、自転車の荷台のばかでかい籠の中で、左右にすべりながら、3、4歳の私が、どこかへ運ばれている。漕いでいるのは、40代前半の父だ。河畔の食堂で、初めて食べたアイスクリーム、味もだが、それまでの人生で見たこともない、上等そうな持ち手のついた皿に、強い感銘を受ける。銀だったのか、すずだったか、今とな . . . 本文を読む
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ああ忙しかった

スキーの両足をそろえた格好で、富士山のてっ辺から一気に滑り降り その余勢でエヴェレストに向かい、これまた頂上を極めた。 鋭角に尖った頂には2、3人がひしめき合っている狭さ。 記念に写真をとってもらうが、 「笑って」と言われたものの恐さに顔が引きつっていたようだ。 下りはシェルパが後から抱きかかえて安全に降ろしてくれた。 家に帰り、布団を被って寝ている母に報告しようと、デジタルカメラをのぞくと、 . . . 本文を読む
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桜島の煙

私の小学校では代々、5年生の遠足は桜島登山と決まっていた。 しかし、足弱の私には、苦行だった。頂上近くは砂でずるずる滑るので、 近くを歩いていた男の先生に杖を引っ張ってもらって、 やっとの思いで登頂した。多分、10月の初旬だったと思う。 その後わずか10日もたたない、昭和30年10月13日に南岳の噴火が起こり、 以後、登山禁止になった。私たちが、桜島に登った最後の学年になったのだ。 桜島は、年 . . . 本文を読む
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フランク永井を悼む

フランク永井もついに亡くなった。 「有楽町で逢いましょう」「君恋し」 ジャズで鍛えた低音の歌唱力は一世を風靡した。 彼のデビュー1957年(昭和32年)は私の中学入学と重なる。 N君はフランク永井のものまねがうまかった。 彼はクラスでも小さい子なのに声はおとな並みだった。 「あなたを待てば雨が降る」と歌いながら廊下を行くと、 「何も知らないくせに」と国語のM先生が苦笑いしたのを思い出す。 そ . . . 本文を読む
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手遅れの反省

私の父はお酒がまったくいけない人だった。 元旦の、ほんのわずかな屠蘇(とそ)でも赤くなるのだった。 たぶん、アルコール分解酵素が全然働かないタイプだったのだろう。 だから、わが家には飲酒の文化がなかったといってもいい。 ある元日の夕方、長姉の担任、K先生が訪ねてきた。 かなり飲んでいたらしく、赤い顔をしてふらつきながら、門の外の 電柱のあたりで「Mちゃーん」と何度も大声で姉を呼んだ。 酔った客 . . . 本文を読む
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ある記念日

1985年(昭和60年)11月2日 は、プロ野球ファンには忘れられない日だろう。 阪神タイガースが、初めて日本一になったのだから。 この日は、私には、もう一つの意味がある。 優勝の熱気が町に漂っている頃、九州の片隅では 自転車に鞄を積み、寝たきりの患者の往診に出かける医者がいた。 やがてある電車道の信号を渡りきったところで、乗ろうとした 自転車が倒れて、かれは大腿部を骨折し、入院する。 . . . 本文を読む
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招かれざる客

20年以上前、夫が東京支社に勤務していたころ、午前2時、3時ごろ、 正体もないほど酔っ払った客を連れてアパートに帰って来ることが、 たびたびあった。私はパジャマのまま「こんばんは」と言って、しばらく 話をした後は、夫に任せてまた寝てしまう。 翌朝、いつもの朝ごはんを、客の数だけ余分に作り、送り出す。 この酔客たちは、皆、夫の上司か、年長の同僚である。 どちらかというと非社交的な夫なのにどうしてこ . . . 本文を読む
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