2011年 3月11日→大震災 3月10日→沼ッチ誕生日 3月6日→30代最後の日曜日
去年の3月6日の日曜日は30代最後の日曜日だった。次週は40歳になっている。
30歳代でやり残した事は無いか?後悔することは無いか?心残りは無いか?本当にチャレンジしなくていいのか?3月6日の数日前までずっとこの事ばかり考えていた。それは、気になる事があったからだ。谷川岳一ノ倉沢東尾根である。先週も谷川岳に一人で行き、東尾根を見ながら西黒尾根をピストンし、一ノ倉沢出合いまで行った。山頂で東尾根を登ってきた人にも雪の状態、ルート状況等の情報を聞いていた。やるなら3月6日しかない、結論がでた。怖いが現場へ行きもせずにあきらめる事はできない。東尾根を視野に入れて自分なりにトレーニングはしてきたつもりだが、完登できる自信は無い。土曜日に誰か登ってトレースが残っていないかズルイが内心期待していた。
結果は完登することができた。前後にパーティーいてくれて、相互に助け合いながら、ラッセル交代しながらの登攀になった。他のパーティーは要所でザイルを出していたが、私にはザイルを出してはくれない。当たり前である、それを覚悟で来ているのだから。でも内心やさしい言葉をずっと待っていた。とても怖かった。それでも最後の腐りかけた雪壁そして雪庇を抜けて頂上へ出た。後は先週下った西黒尾根を走る様に下って行った。下山後トイレで顔を洗った、鏡にとても充実感に満ちた自分の顔があった。
3月10日の夜、充実し後悔することが無く40歳を迎えることができた。お酒がいつも以上に美味しかった。次の目標を考えるのも楽しかった。
3月11日のあの時間、私は勤務先の工場の敷地内の建屋の外にいた。事務所、工場、足元が大きく揺れている。揺れが止まらない、長い、まだ止まらない。今までに経験の無い長さだった。揺れも止まり、建屋の中を確認し怪我人がいない事、火事が起きないかを確認し、所定の集合場所へ向かった。車の中に山ラジオがありポケットの中に入れてきた。ラジオを聞いてみる。沿岸部に想像を絶する高さの津波がくる事をつげていた。
非常に不謹慎極まりないと思いますが、この時私は先週東尾根に行っていて良かった、一週間予定をずらしていたら一生挑戦する事ができなかったかもしれない。と何度も思っていました。震災後はなかなか山へ行けない日が続いた。この頃から挑戦出来る時は、挑戦を後伸ばしにしない事に決めた。
震災から一年経って、周囲も平穏を取り戻しつつある。私は夢であったヒマラヤが、今は目標になっている。福島に住んでいながら、夢を持ち目標がありそれに向かって前進している事にすごい幸せを感じている。本当に大した事はできないが、福島に住んでいる私達が後ろを見ていたら何も始まらない様な気がする。福島に住んでいいるからこそ元気だよ、夢も目標もあるよと県外及び国外の人たちにアピールしてきたいと思っています。
Tさんの言われる通りです。Tさんの山へのモチベーションの高さは、お話していてジンジン感じます。フィエスタの若手にも、ここまで情熱を燃やしている者はいないのでは?と感じてしまうほどです。これからも、私達のレベルよりも少しだけ上のレベルの山を目指して頑張っていきましょう。
ところで、本日のくのじ沢はいかがでしたか?
さて、くの字沢ですが、無事登ることができました。那須とは思えないすばらしい景色のルンゼというかクロワールというか沢でした。雪もよくしまり終始ラッセルはまったくありませんでした。小雪がちらつく程度で日差しもあり良い条件でした。核心部は頂上の手前100~150M位の急斜面のみで思ったほどの難度はありませんでした。意外とあっけなかったといえばそれまでですが、予想以上にかっこよい景色にびっくりしました。ご一緒できずに残念でした。でもまだまだこの後も登れそうな状態のように感じました。お互いの都合があえばご一緒したいです。遠征隊の訓練はどうでしたか。
アイスクライミングの成果が出た結果だと思います。お疲れさまでした。是非私もいつもと違った那須岳の景色を見てみたいです。
遠征隊の訓練は、安達太良の鬼面山の北稜を登りながらザイルワークを行う予定でしたが、悪天候の為、一般ルートから山頂へ行き、下山後下部の斜面でザイルトレを行いました。まずは、チームワーク造りが重要だと考えます。本日は良い一歩だったと思います。
私もいつも酔いながらブログ書いています。山行記録は、編集長に添削修正して頂いていますが、それ以外は後からみると恥ずかしいです。