ご心配をおかけしている皆さんに早くお伝えしようと思ってはいたのですが
ライフのことを伝えようとする度に心の整理がつかぬ感情が溢れて涙で止まってしまい、ずっと書けないままでいました。
( 2018.9.8 撮影 )
9月6日(曇り)早朝、一本の連絡が我が家に入りました。
市に委託された廃棄物処理業者からでした。
『 ライフが死んだ!!!!!!! 』ママさんの第一声でした。
『 ウソや!!!! 』私は慌てて部屋から飛び出しました。
ママさんに聞くと『 市に依頼されて猫の遺体を回収したら首輪に電話番号が書いてあったから連絡をした 』とのことで、近所なので亡くなった猫を我が家まで送ってくれると言ってくれたそうです。
私は焦りで気が動転しながらも確認するまではライフでない事を祈りつつ、玄関を飛び出したと同時にそれらしき車が近づき業者の方が『 その箱に 』となんともいえない顔をしていたのを覚えています。
私は無我夢中で箱を降ろし開けました。
そこにはライフの姿がありました
死後硬直もはじまり冷たく硬くなっていました。
すぐに抱き上げ抱きしめ、人目もはばからずその場でライフの名を叫び泣き崩れました。
外でライフを抱きしめたまま泣いて動けずにどのくらい時間が経ったのかわかりません。
その間ママさんは送ってくれた業者の方と話をずっとしていたそうです。
亡くなった現場も『 今ならわかるから 』とママさんは業者の方に教えてもらい行ったのですが、私はライフから片時も離れたくなくて行きませんでした。
多分、朝ご飯を食べようと毎日の楽しみにしていた遠征先から帰宅する時に車か何かと事故に合ったと思います。
左側を強くぶつけたようで、ライフを触った時の手の感触から内臓に損傷があることもすぐ分りました。
この出来事はライフ自身も本当に驚き焦ったのだと思います。
『 ママさんとねぇちゃんに車には気をつけてと言われていたのに大変なことになってしまった。やってしまった 』と… もしかしたら自分を責め悔いていたかもしれません。
何度も一緒に遠い遠征地から二人で帰って来た時も、碁盤の目のような住宅地でも必ず交差点や道路を渡る時にはライフの方が手前で一旦停止をして左右の車や人が居ないかを確認してから渡っていたのです。
道路の真ん中を歩かず、道のギリギリの脇や側溝などを歩いてました。
彼自身、不意の出来事だったと思います。
事故に合ったにもかかわらず見た目の外傷は全くなく、血も出ていなくて本当にただ眠っているようでした。
ただ違っていたのは、いつもの温もりは無くなりとても冷たかった。
毎日々楽しそうに日課のように雨の日も台風の日も遠征先へ出向き、二匹の黒猫ちゃんと二匹のシャム猫ちゃんに嬉しそうに会いに行っておりました。
以前の可愛がっていた猫が6歳で亡くなり、数年後にライフが我が家に来て今年で6歳になった。
この春に呼吸器官の大きな手術をして成功して命が繋がりやっと本来の元気を取り戻したのですが…少しそれが気にかかっていた頃でした。
外に出すことは『 いつかは事故に合うかもしれない 』という危険があると承知していたのですが、楽しく庭を駆け回りママさんや私と外で追いかけっこや隠れんぼを尻尾をピンと立てて遊んでいる姿を見ると、自分の勝手な解釈だと分っているのですが『 ライフの楽しみを取り上げ奪ってしまっていいのだろうか… 』と悩んではいたものの実行することが出来ませんでした。
動かなくなったライフを部屋に寝かせ、ただただ顔をライフの身体に埋めさすりながら泣き『 あぁ、これは夢だ 』と考えたり
冷たく横たわるライフを何度も抱きかかえ名を呼んだり起こそうとしてもグッタリとして反応のない姿を見て『 現実なのか… 』と呆然として現状に心や頭が追いつかず夢と現実との区別もつかぬほど混乱していたのだと思います。
どうしてライフがこんな事に、誰がライフを轢いたのか、もっと早く閉じ込めておけば、あの日、あの時…
今更悔いたところで『 ライフが生きている頃 』には戻らないので、そう思うこともありませんでした。
そのかわり
どうしてねぇちゃんも一緒に連れて行ってくれなかったのか、ライフが助かるなら私の手脚など失くしてもいい、私の命などいくらでも差し出すのに…
『 あの子を亡くしてこれからどうやって生きていけばいいのか 』
そんなことばかり。
その後、その日のうちに私自ら火葬場へ連絡を入れました。
今まで亡くなった猫たちは土に埋葬したりしていたのですが、ライフの遺骨は一緒に居たくて。
残暑の中、腐敗が進んではいけないと悲しみの中でもママさんがドライアイスや保冷剤を用意してくれた。
自分で火葬場へ連絡をしておきながら心の底では違うことを思っていた。
ライフの身体を焼きたくはない。
このまま腐敗が進みドロドロになり骨と皮になってもずっと私の腕の中で抱きしめ続けられるなら、どんな姿になってもかまわない。
焼かれてしまえば感触も重みも消えてしまう。
異常だと言われればその通りです。
最愛の者を失った時にその姿を確信し目に映せるのはカタチでしかなかったから、亡骸に縋る他ないように思いました。
それでも『 ちゃんとしなくては 』とも思っていたので一日だけ一緒に居られる時間をとった。
9月8日午後(雨)
毎日の楽しみの日課にしていた遠征先をママさんに抱っこされたライフを乗せて車で回り、それから荼毘にふしました。
大好物のシュークリームやデニッシュパン・カリカリやまたたび…ご飯が一番の食いしん坊の坊主には食べ物ばかりでした(笑)
思えば好きなオモチャも無く外の自然が遊び場で、これといって持たせてやれるモノがないので新しい【赤い首輪】を着けて旅立ってもらうことにした。
亡くなる前に5.8kgも大きく育った坊主は小さな骨壺に納まりました。
火葬場の方は『 この子(ライフ)は大きくても肥満じゃなくて筋肉がすごいね。あと骨が太いんだろうね 』と言ってくれて『 小さい頃に身体が弱かったから毎日ミルク飲ませて丈夫に育てたから 』って自分で言ってまた涙が溢れてきた。
自分たちで遺骨を拾う際に火葬場の方の指摘で気が付かなかったことが分った。
やはり内臓が損傷を受けていたこと、新たに左側の頭部や腕・脚・肋骨が骨折していたこと折れていたり破損したりしていることで分った。
鼻血など出ていなかったので頭部に損傷や、筋肉があったので腕や脚が骨折していることも分からなかった。
とんでもない衝撃が身体に受けた証拠だった。
もしもの時の為に、私が先に亡くなった時の事も考え家族に伝えていました。
私には子供がいないので順番からいけば甥が最後に残ります。
甥には普段から『 私が先に死んだらライフ君の事を頼むよ!あの子だけは幸せにしてやってくれ 』
『 残されたライフを育ててゆく為に必要なお金は多少でも必ず残していくから、病院代や食いしん坊な坊主に美味しいモノをお腹いっぱい食べさせてやってほしい 』と事あるごとに頼んでいました。
いつも元気でやんちゃなあの子の幸せだけを望んでいました。
ライフを失った日から誰とも顔を合わせたくなくて話もしたくなくて、愛想笑いの一つも出来なくて一日がとても早く日にちや曜日の感覚がない曖昧な日々が続きました。
ママさんとライフの話をするたびに、ブログを見て私やライフを想い心配し連絡をくれたりメッセージやコメントを読ませてもらうたびに感謝の気持ちでいっぱいになり、我が家ではライフが生活の中心だったので使われなくなったライフ用にとあつらえた数々の品を見るたびに涙が溢れた。
『 ライフが亡くなった。戻らない 。見えない。触れられない。』という現実は受け入れています。
順番でゆけば人間よりも寿命が短く遅かれ早かれ先に逝くことも理解しています。
自分が先に逝かず見送れて良かったと思っています。
毎日を大事にしていたので『 もっと何かしてあげられたばず、できたはず 』という悔いや後悔、自責の念はありません。
私が悲しんでいてはきっとライフが心配することも分かっています。
でも… 分っていてもどんなに愛する者たちとの別れを繰り返しても私の覚悟が足りないのでしょうね。
立ち止まることなく前に進んでいるからこそライフと過ごした日々が過去のモノとなっていくのが怖くて『 もうあの笑顔に会えない、あの子だけが居ない 』と今も毎日涙がこぼれてくる。
四十九日までは今まで(生前)と変わらず坊主の朝食・おやつ・夕飯・夜食を用意し家族で食を囲んでいて、使っていた食器や寝床もそのままに。
毎日が『 ねぇちゃん!おなかすいた~ 』とフラッとお外から帰って来るような気がしてなりません。
今もどうしようもない感情が自分の中で渦巻いており、これは誰に何を言われても納得や解決できずに時間がかかっても自分自身で折り合いをつけなんとかする他ないと思っています。
ヘタレのねぇちゃんは泣いてしまうので坊主の話しすら触れたくなかったのですが
ライフを『 忘れない 』『 ライフに励まされてきた 』『 ライフの日常が楽しみ 』『 手術が成功したのに悔しい 』と伝えてくれたこと
ライフを失い自身が生きることさえ意味や気力をなくした時に『 皆がついている 』『 悲しんでいい 』と伝えてくれて
ライフ( Life 生きる )がその名にふさわしく立派に生きたことに向き合わなくてはならないと思い記しました。
ただ傍にいるだけでいい・いてくれるだけでいい…自分の大切な者たちが逝きそれすらも叶わない時が来ます。
何度も別れを教えられたからこそライフとは今まで共にしてきた猫の誰よりも出来る限り悔いのないよう一緒に生きてきました。
それでも後悔はなくとも言葉ではあらわせないほどの埋められない気持ちがあります。
日々の生活や仕事の忙しさに追われ、つい大切な者との一緒に過ごせる時間も後回しにしたり疎かになってしまう時があると思います。
あたり前があたり前でなくなるのも、いつもがいつもじゃなくなるのも瞬く間です。
そんな事は言われなくとも分っていても、慌ただしい日常にそれを考え及ぶ余裕すらない毎日があります。
だからこそ改めて考えない忘れがちになってしまっている『 一緒にいられる今 』をふとした時にでも思い出し今を大切にしてもらえたら…と
泣きべその私が言っては説得力もないですが。
長文になってしまいましたが、次は[ 皆さんへ ]に続きます。
メッセージやコメント、ご心配をおかけして申し訳なくもありがたく読ませていただいております。お返事にはもう少しお時間をください。
ライフのことを伝えようとする度に心の整理がつかぬ感情が溢れて涙で止まってしまい、ずっと書けないままでいました。
( 2018.9.8 撮影 )
9月6日(曇り)早朝、一本の連絡が我が家に入りました。
市に委託された廃棄物処理業者からでした。
『 ライフが死んだ!!!!!!! 』ママさんの第一声でした。
『 ウソや!!!! 』私は慌てて部屋から飛び出しました。
ママさんに聞くと『 市に依頼されて猫の遺体を回収したら首輪に電話番号が書いてあったから連絡をした 』とのことで、近所なので亡くなった猫を我が家まで送ってくれると言ってくれたそうです。
私は焦りで気が動転しながらも確認するまではライフでない事を祈りつつ、玄関を飛び出したと同時にそれらしき車が近づき業者の方が『 その箱に 』となんともいえない顔をしていたのを覚えています。
私は無我夢中で箱を降ろし開けました。
そこにはライフの姿がありました
死後硬直もはじまり冷たく硬くなっていました。
すぐに抱き上げ抱きしめ、人目もはばからずその場でライフの名を叫び泣き崩れました。
外でライフを抱きしめたまま泣いて動けずにどのくらい時間が経ったのかわかりません。
その間ママさんは送ってくれた業者の方と話をずっとしていたそうです。
亡くなった現場も『 今ならわかるから 』とママさんは業者の方に教えてもらい行ったのですが、私はライフから片時も離れたくなくて行きませんでした。
多分、朝ご飯を食べようと毎日の楽しみにしていた遠征先から帰宅する時に車か何かと事故に合ったと思います。
左側を強くぶつけたようで、ライフを触った時の手の感触から内臓に損傷があることもすぐ分りました。
この出来事はライフ自身も本当に驚き焦ったのだと思います。
『 ママさんとねぇちゃんに車には気をつけてと言われていたのに大変なことになってしまった。やってしまった 』と… もしかしたら自分を責め悔いていたかもしれません。
何度も一緒に遠い遠征地から二人で帰って来た時も、碁盤の目のような住宅地でも必ず交差点や道路を渡る時にはライフの方が手前で一旦停止をして左右の車や人が居ないかを確認してから渡っていたのです。
道路の真ん中を歩かず、道のギリギリの脇や側溝などを歩いてました。
彼自身、不意の出来事だったと思います。
事故に合ったにもかかわらず見た目の外傷は全くなく、血も出ていなくて本当にただ眠っているようでした。
ただ違っていたのは、いつもの温もりは無くなりとても冷たかった。
毎日々楽しそうに日課のように雨の日も台風の日も遠征先へ出向き、二匹の黒猫ちゃんと二匹のシャム猫ちゃんに嬉しそうに会いに行っておりました。
以前の可愛がっていた猫が6歳で亡くなり、数年後にライフが我が家に来て今年で6歳になった。
この春に呼吸器官の大きな手術をして成功して命が繋がりやっと本来の元気を取り戻したのですが…少しそれが気にかかっていた頃でした。
外に出すことは『 いつかは事故に合うかもしれない 』という危険があると承知していたのですが、楽しく庭を駆け回りママさんや私と外で追いかけっこや隠れんぼを尻尾をピンと立てて遊んでいる姿を見ると、自分の勝手な解釈だと分っているのですが『 ライフの楽しみを取り上げ奪ってしまっていいのだろうか… 』と悩んではいたものの実行することが出来ませんでした。
動かなくなったライフを部屋に寝かせ、ただただ顔をライフの身体に埋めさすりながら泣き『 あぁ、これは夢だ 』と考えたり
冷たく横たわるライフを何度も抱きかかえ名を呼んだり起こそうとしてもグッタリとして反応のない姿を見て『 現実なのか… 』と呆然として現状に心や頭が追いつかず夢と現実との区別もつかぬほど混乱していたのだと思います。
どうしてライフがこんな事に、誰がライフを轢いたのか、もっと早く閉じ込めておけば、あの日、あの時…
今更悔いたところで『 ライフが生きている頃 』には戻らないので、そう思うこともありませんでした。
そのかわり
どうしてねぇちゃんも一緒に連れて行ってくれなかったのか、ライフが助かるなら私の手脚など失くしてもいい、私の命などいくらでも差し出すのに…
『 あの子を亡くしてこれからどうやって生きていけばいいのか 』
そんなことばかり。
その後、その日のうちに私自ら火葬場へ連絡を入れました。
今まで亡くなった猫たちは土に埋葬したりしていたのですが、ライフの遺骨は一緒に居たくて。
残暑の中、腐敗が進んではいけないと悲しみの中でもママさんがドライアイスや保冷剤を用意してくれた。
自分で火葬場へ連絡をしておきながら心の底では違うことを思っていた。
ライフの身体を焼きたくはない。
このまま腐敗が進みドロドロになり骨と皮になってもずっと私の腕の中で抱きしめ続けられるなら、どんな姿になってもかまわない。
焼かれてしまえば感触も重みも消えてしまう。
異常だと言われればその通りです。
最愛の者を失った時にその姿を確信し目に映せるのはカタチでしかなかったから、亡骸に縋る他ないように思いました。
それでも『 ちゃんとしなくては 』とも思っていたので一日だけ一緒に居られる時間をとった。
9月8日午後(雨)
毎日の楽しみの日課にしていた遠征先をママさんに抱っこされたライフを乗せて車で回り、それから荼毘にふしました。
大好物のシュークリームやデニッシュパン・カリカリやまたたび…ご飯が一番の食いしん坊の坊主には食べ物ばかりでした(笑)
思えば好きなオモチャも無く外の自然が遊び場で、これといって持たせてやれるモノがないので新しい【赤い首輪】を着けて旅立ってもらうことにした。
亡くなる前に5.8kgも大きく育った坊主は小さな骨壺に納まりました。
火葬場の方は『 この子(ライフ)は大きくても肥満じゃなくて筋肉がすごいね。あと骨が太いんだろうね 』と言ってくれて『 小さい頃に身体が弱かったから毎日ミルク飲ませて丈夫に育てたから 』って自分で言ってまた涙が溢れてきた。
自分たちで遺骨を拾う際に火葬場の方の指摘で気が付かなかったことが分った。
やはり内臓が損傷を受けていたこと、新たに左側の頭部や腕・脚・肋骨が骨折していたこと折れていたり破損したりしていることで分った。
鼻血など出ていなかったので頭部に損傷や、筋肉があったので腕や脚が骨折していることも分からなかった。
とんでもない衝撃が身体に受けた証拠だった。
もしもの時の為に、私が先に亡くなった時の事も考え家族に伝えていました。
私には子供がいないので順番からいけば甥が最後に残ります。
甥には普段から『 私が先に死んだらライフ君の事を頼むよ!あの子だけは幸せにしてやってくれ 』
『 残されたライフを育ててゆく為に必要なお金は多少でも必ず残していくから、病院代や食いしん坊な坊主に美味しいモノをお腹いっぱい食べさせてやってほしい 』と事あるごとに頼んでいました。
いつも元気でやんちゃなあの子の幸せだけを望んでいました。
ライフを失った日から誰とも顔を合わせたくなくて話もしたくなくて、愛想笑いの一つも出来なくて一日がとても早く日にちや曜日の感覚がない曖昧な日々が続きました。
ママさんとライフの話をするたびに、ブログを見て私やライフを想い心配し連絡をくれたりメッセージやコメントを読ませてもらうたびに感謝の気持ちでいっぱいになり、我が家ではライフが生活の中心だったので使われなくなったライフ用にとあつらえた数々の品を見るたびに涙が溢れた。
『 ライフが亡くなった。戻らない 。見えない。触れられない。』という現実は受け入れています。
順番でゆけば人間よりも寿命が短く遅かれ早かれ先に逝くことも理解しています。
自分が先に逝かず見送れて良かったと思っています。
毎日を大事にしていたので『 もっと何かしてあげられたばず、できたはず 』という悔いや後悔、自責の念はありません。
私が悲しんでいてはきっとライフが心配することも分かっています。
でも… 分っていてもどんなに愛する者たちとの別れを繰り返しても私の覚悟が足りないのでしょうね。
立ち止まることなく前に進んでいるからこそライフと過ごした日々が過去のモノとなっていくのが怖くて『 もうあの笑顔に会えない、あの子だけが居ない 』と今も毎日涙がこぼれてくる。
四十九日までは今まで(生前)と変わらず坊主の朝食・おやつ・夕飯・夜食を用意し家族で食を囲んでいて、使っていた食器や寝床もそのままに。
毎日が『 ねぇちゃん!おなかすいた~ 』とフラッとお外から帰って来るような気がしてなりません。
今もどうしようもない感情が自分の中で渦巻いており、これは誰に何を言われても納得や解決できずに時間がかかっても自分自身で折り合いをつけなんとかする他ないと思っています。
ヘタレのねぇちゃんは泣いてしまうので坊主の話しすら触れたくなかったのですが
ライフを『 忘れない 』『 ライフに励まされてきた 』『 ライフの日常が楽しみ 』『 手術が成功したのに悔しい 』と伝えてくれたこと
ライフを失い自身が生きることさえ意味や気力をなくした時に『 皆がついている 』『 悲しんでいい 』と伝えてくれて
ライフ( Life 生きる )がその名にふさわしく立派に生きたことに向き合わなくてはならないと思い記しました。
ただ傍にいるだけでいい・いてくれるだけでいい…自分の大切な者たちが逝きそれすらも叶わない時が来ます。
何度も別れを教えられたからこそライフとは今まで共にしてきた猫の誰よりも出来る限り悔いのないよう一緒に生きてきました。
それでも後悔はなくとも言葉ではあらわせないほどの埋められない気持ちがあります。
日々の生活や仕事の忙しさに追われ、つい大切な者との一緒に過ごせる時間も後回しにしたり疎かになってしまう時があると思います。
あたり前があたり前でなくなるのも、いつもがいつもじゃなくなるのも瞬く間です。
そんな事は言われなくとも分っていても、慌ただしい日常にそれを考え及ぶ余裕すらない毎日があります。
だからこそ改めて考えない忘れがちになってしまっている『 一緒にいられる今 』をふとした時にでも思い出し今を大切にしてもらえたら…と
泣きべその私が言っては説得力もないですが。
長文になってしまいましたが、次は[ 皆さんへ ]に続きます。
メッセージやコメント、ご心配をおかけして申し訳なくもありがたく読ませていただいております。お返事にはもう少しお時間をください。