年上の同僚が『 背中側の左肩が痛い 』と言い出したのは昨年の事だった。
最初は筋肉痛かな?と思っていて私もそう思っていた。
けれど、その痛みが3ヶ月経っても治らなかった。
同僚はおかしいと思い個人病院へ行ったが、結局は痛みの原因は分からず医師には『 大丈夫だろう 』と言われた。
それから2ヶ月ほど経ち、まだ時々痛むと言い出したので
やっぱりなんか変やで…違う病院へ診てもらっておいない!!と私は言った。
その翌日、朝から出社した同僚にどうだったか聞いてみると…
まるでドラマみたいやわ… 俺、癌なんやって。 治療せんかったら余命1年やって…。
マジでっ!!??
マジで…。
すぐに治療せいっ!! 専門機関へ行けっ!!
そんなわけで癌専門機関である
愛知県がんセンター( 愛知県が運営する日本初のがん専門病院 )へ行くことになった。
そこでの数週間の入院で体の癌が調べられた。
わかった事実は…
・左肩裏の癌転移。( 肩が痛いと言っていたのはそのせいだった )
・肺、脳への転移。( 脳の癌は手術が出いない部位にあるため取り除くことはできない )
・全てに転移しており手術が不可能な為に抗がん剤治療ではなく別の薬で治療。
癌のレベルでいえば
レベルⅣ ※ レベルⅣは癌においてもっとも悪く、5年後の生存率がもっとも低いのだ。
治す為の治療ではなく、現在の状態を悪化させないための継続維持( 延命治療 )となった。
愛知県から地元へと戻り地元の大きな病院へ通いつつ、毎日会社へ出社し仕事をこなす日々。
薬の効果があったのか、病院通いも1週間ごとから2週間ごとへ変わり1ヶ月に一度通うほどになった。
けれど、1年数ヶ月後…彼は亡くなった。
『 また明日 』と言ったのに、もう明日には会えなかったのだ。
これからの新たな治療方針を検討している矢先のことで死因の直接の原因は癌ではなかった。
自分は癌で死ぬと思っていたから亡くなった本人もきっと驚いたことだろう。
彼が亡くなったことで気になる事があった。
亡くなった同僚とは一緒に仕事をする時間が長く隣の席だったので日常色々な事を話した。
病気になってからは病気の不安や愚痴、弱音、死ぬことへの恐怖など家族に言えない事を私に話した。
心配させまいと家族には言えないことも、他人の私だから言えることもある。
聞くことで抱えている不安や、死への恐怖が少しでも和らぐのならと毎日々話をして聞いていた。
長男に初孫が産まれ喜んでいたことも、奥さんには病気の事でイライラしてあたってしまい謝れなかったことも、
父親が娘を想う気持ちも、
病気のせいで食欲がなく奥さんが毎日作ってくれるご飯も残してしまい、それでも作ってくれる奥さんに感謝していたことも。
『
奥さんにその気持ちを伝えたのか? 』と問うても『 照れくさくって言えん 』と言っていたこと。
思っていても家族に対して感謝の気持ちと言うのは照れくさく改まって言えないものである。
けれど、彼が亡くなり
彼が家族に抱いていた想いを私の中だけでとどめてしまっていいものか?
彼の家族は本当の彼の気持ちを知らないんじゃないのだろうか?
随分悩んだ挙句に伝えることにした。
しばらくして亡くなった同僚の奥さんが挨拶と色々な手続きに夕方会社へ来た。
気丈にも皆に挨拶をして回っていた。
私が駆け寄ると、奥さんも私の事を同僚から聞いていたらしく『 あなたが〇〇さんですね、主人が大変お世話になりました 』と深々と頭を下げた。
少し人目を避けた場所で奥さんに今まで話していたことを伝え
彼の家族への想いを伝えた。
奥さんは『 主人の気持をはじめて知りました、ありがとうございます 』と泣き崩れた。
私はただ…一緒に泣いて、泣いている奥さんを抱きしめることしかできなかった。
連れ添ってきた旦那さんを突然亡くし、しっかりしなくては!と気を張って頑張っていた奥さんを泣かせてしまったことに後悔したけれど、これで良かったんだと。
亡くなった彼は
お前はまたいらんことを言いやがって!!といつものように笑っているだろう