オイラは兄貴やママさんにそれをするのに遅すぎる年齢だと言われたことがある。
兄貴にはフィギュア造りを始め原型師となる事を
ママさんにはハンドメイドをやる事を
だが、オイラは一度たりとも『 遅すぎた 』などと思ったことはない。
確かに原型師となる事もハンドメイドを始めることも一般的の年齢にしたら『 遅い方 』だったけれど
自分にとっては始まった時が最良の時だったのだ 
それは
それよりも早過ぎてもダメで、また遅すぎてもダメだった。
『 遅すぎる 』と言われるのは他者からの客観的な認識だけで、自分にとってはそうではない。
その時でなければいけなかったのだよ 
昔から何かを作ることは好きだったが、それをもとに客商売をしようなんてことは若い頃には更々思いも考えもしなかった。
色々な世界を見て、触れて、感じ、人と出逢い、そのうち夢を見つけ、野心が芽生え、野望や欲望をもち、終わりなき目標をもみつけ、はじめるきっかけとなりオイラの今がある。
若い頃にゃ~ただ過ぎゆく時に身を任せてそんな考えがひとつも思い浮かばなんだ
『 やりたいことがあるはずだ 』と心の中で思うだけで、いざそれが何なのかさえ分からず漠然と『 自分は何がしたいのだろう 』と思っていたし
今やっている事が『 これだったのか 』とも完結ではないけれど、やりたいことのそのひとつなのは確かだ。
人との出逢いもまた然りで、もっと早くに出逢っていればと聞くけれど、出逢った時が会うべくするタイミングではなかったのだろうか…と思うのだ。
自分のわずかな周りの事だけで他に目を向ける余裕も気すらなかった昔、二十歳だった頃にはきっと気付くことさえなかっただろう。
何かに誰かに関わること、感謝する気持ち、自分でない誰かや何かに笑顔になってほしい、笑っていてほしい、動物たちが幸せであってほしいと
今だからこそ想い感じ、楽しい、幸せだと思える
オイラ、今が楽しいんだ 
何かに挑戦するならなら早いうちが良いというのは『 早い年齢だと失敗してもやり直しができる 』という考えからだと思うが、たとえ年齢が若くとも失敗・挫折し心が折れて立ち直れなくなったら、それは老いも若いも関係ない。
年齢関係なく何かをはじめよう!!と心でも身体でも動いた瞬間がその時だと
日常の些細な事でも『 ちょっと頑張ってみようかな~ ちょっとしてみようかな~ 』三日坊主でも一日坊主でもいいじゃないか
そう思えることが大事だと思うんだ。
兄貴にはフィギュア造りを始め原型師となる事を
ママさんにはハンドメイドをやる事を
だが、オイラは一度たりとも『 遅すぎた 』などと思ったことはない。
確かに原型師となる事もハンドメイドを始めることも一般的の年齢にしたら『 遅い方 』だったけれど


それは
それよりも早過ぎてもダメで、また遅すぎてもダメだった。
『 遅すぎる 』と言われるのは他者からの客観的な認識だけで、自分にとってはそうではない。


昔から何かを作ることは好きだったが、それをもとに客商売をしようなんてことは若い頃には更々思いも考えもしなかった。
色々な世界を見て、触れて、感じ、人と出逢い、そのうち夢を見つけ、野心が芽生え、野望や欲望をもち、終わりなき目標をもみつけ、はじめるきっかけとなりオイラの今がある。

『 やりたいことがあるはずだ 』と心の中で思うだけで、いざそれが何なのかさえ分からず漠然と『 自分は何がしたいのだろう 』と思っていたし
今やっている事が『 これだったのか 』とも完結ではないけれど、やりたいことのそのひとつなのは確かだ。
人との出逢いもまた然りで、もっと早くに出逢っていればと聞くけれど、出逢った時が会うべくするタイミングではなかったのだろうか…と思うのだ。
自分のわずかな周りの事だけで他に目を向ける余裕も気すらなかった昔、二十歳だった頃にはきっと気付くことさえなかっただろう。
何かに誰かに関わること、感謝する気持ち、自分でない誰かや何かに笑顔になってほしい、笑っていてほしい、動物たちが幸せであってほしいと
今だからこそ想い感じ、楽しい、幸せだと思える



何かに挑戦するならなら早いうちが良いというのは『 早い年齢だと失敗してもやり直しができる 』という考えからだと思うが、たとえ年齢が若くとも失敗・挫折し心が折れて立ち直れなくなったら、それは老いも若いも関係ない。
年齢関係なく何かをはじめよう!!と心でも身体でも動いた瞬間がその時だと

日常の些細な事でも『 ちょっと頑張ってみようかな~ ちょっとしてみようかな~ 』三日坊主でも一日坊主でもいいじゃないか
